【ナレーター】
未来会議を経て飲食事業に商機を見出した福嶋は、持ち帰り専門寿司事業を立ち上げる。立ち上げ時は順調だったが、思わぬところに落とし穴があった。
【福嶋】
5年間で490店舗とする計画を立てました。最初は行列ができていましたが、日が経つにつれてお客様が少なくなっていきました。
スタートして1ケ月もしないころ、20日ぐらい経ってから見に行ったら、お客様が少なかったんです。なぜだろうと思いましたね。
そこで、メインのお客様がいる団地まで自転車で商品を持っていったところ、ネタがみんな落ちてしまっていたんですね。
加えて、ネタの大きさが違うということに気がついたので、人の手で握り直したんです。握り直したらまたお客様が増えてきたのですが、工程が増え、人件費に換算すると高くなってしまいます。
それだと採算が合わなくなってしまい、立ち上げから約3ケ月経ったころにやめました。
やはり、駄目なものは駄目ですよ。一度駄目だった事業を再度やっても、成功させるのはなかなか難しいです。良いものは最初から成功の兆しが見えます。ビジネスの場合も同様ですね。
【ナレーター】
早々に未来会議を開いた福嶋が次に着目したのが、当時はまだ企業への導入が浸透していなかったオフィスコンピューターだった。
【福嶋】
これからはもうパソコンの時代だと。企業が給与計算や顧客管理を全部パソコンでやるようになるだろうと思いました。給与計算や顧客管理などができるパソコンのパッケージをつくったら売れるのではないかと思いました。
値段は7万9800円ぐらいであれば企業も購入できますし、やろうと決めたんです。その当時、東芝がBP100という小型のオフィスパソコンをつくって売り出したのを新聞で見ました。
これで勉強をしようと、東芝にこれを売らせてくれませんかと申し入れました。そして代理店契約をして売り始めました。
【ナレーター】
オフィスコンピューターの代理販売は、これまでの事業とは打って変わって、販売開始当初は全く売れなかったという。危機的状況を打破するために福嶋が考えた策とは。
【福嶋】
どうすれば社長に契約していただけるのか。
僕も事業をやっていましたから、コンピューターを入れたいと思うときがあるんです。でもしばらくしたら忘れてしまい、また思い出すときがあるんですね。たとえば顧客管理をコンピューターにやらせたら面白いんじゃないかなとか。
ですから、経営者が必要だと思うタイミングに合わせて営業に行けば、契約していただけるのではないかと思いました。そこで、日経流通新聞や産業新聞に広告を出したら色々な会社から電話がかかってきて、今度は飛ぶように売れる。
半年で販売代理店の中でトップになりましたね。
【ナレーター】
その後、当時パソコンショップでパソコンと一緒に店頭に並んでいたゲームソフトに着目した福嶋は1982年にゲームソフトの企画・販売に参入。考えたのはコンテストの開催だった。知られざるその裏側に迫った。
【福嶋】
優勝金は100万円です。準優勝が50万円で、入選が10万円なんです。知名度のない会社なのに、この賞金額は当時の相場よりだいぶ高かった。ですので、この会社は実際に最優秀・優秀賞を選ぶつもりはないと思われてしまったようです。
そのことが分かるとすぐに各店舗に連絡し、集まった作品の中から最優秀賞を出すことを伝え続けました。
その結果、コンテストの締め切り直前に一気に応募がありました。約300の作品が集まりましたね。そのままやっていたら無理でした。何も手を打たずに待っていたら、恐らく集まらなかったと思います。
【ナレーター】
大盛況で終えたのも束の間、福嶋はすぐに次の一手を講じていた。
【福嶋】
(集まった作品を)そのまま出すのではなく、質を上げて出そうと。受賞したのは最優秀賞と優秀賞を合わせて13本ですね。13人に会い商品化することを伝え、契約書をつくりました。
大学生にひとつずつ作品をプレイしてもらい、もっとこうすれば面白くなるという部分を出してもらいました。集まったフィードバックをそれぞれの作者に送り、修正してもらったんです。それによって質が上がったので、良かったですね。
その作品を販売した結果、入賞した13品中12作品が3000本以上を売り上げました。当時では3000本売れればヒットです。1万本売り上げたのは2本あったかな。すごい大ヒットですよ。
コンテストに出したものをそのまま出していたら無理だったと思います。
【ナレーター】
このヒットが起点となり、その後も世界に名を轟かす作品を次々にリリースし日本を代表する企業に発展した、福嶋の事業。成功の秘訣について聞くと、開口一番に福嶋はこう答えた。
【福嶋】
事業家として成功していくことは全然難しくありません。
なぜかというと、今後世の中がどうなっていくのかというのを見た上で、人々がどういうものを望んでいるかということを考え、実行すれば顧客になっていただけます。
AIによっていろいろなビジネスが変わっていきますが、どういうものが変わっていくかを考えていって、それをビジネスとしてやっていけばいいんです。
世の中がどんどん変わっていきますから、ビジネスとしては非常に大きなチャンスだと思います。そのような面では、ビジネスをやろうとしている若い人たちは幸せだと思います。
【ナレーター】
ビジネスの立ち上げに際して、福嶋は好き嫌いではなく、ある視点で事業を選択することが重要だと言う。
【福嶋】
多くの人たちは、「それが好きだから、その事業をやりました。」といいます。でも、ほとんどの方は駄目ですよね。
好き云々という考え方もあるかもしれませんが、僕は好き嫌いは関係ないと思います。より多くの人たちが喜ぶものは何かを考え、提供できることが一番大きいことです。
そういうものを狙っていくことが、これからビジネスをやる人たちにとって非常に重要だと思います。
【ナレーター】
もし人生がやり直せたらどうしたいかと尋ねると、意外な答えが返ってきた。
【福嶋】
一番は生まれ変わりたい。僕は自分の性格が大嫌いですから。事業やっていると常に心配性なんですよ。だから3年後、5年後を常に心配しています。
たとえば成功してもこういう性格だからあまり嬉しくない。次に生まれ変わったときは楽天家になりたい。サラリーマンになって、定時で仕事を終えて仲間と集まって、わいわい過ごすような。楽天家の性格に生まれたいですね。
-視聴者へのメッセージ-
【福嶋】
これから事業をやりたいという人に対しては、やはりやる以上は、大きくしていくこと。大きくなる可能性のある事業のほうが簡単で、成功する確率は高いんです。ですから、そういうものを狙っていくべきだと思います。
今後どんどん人間のニーズが大きくなってくる。そういうものを考えて、それに対して向かっていくこと。AIやドローン、ロボットなどの最新技術を利用したビジネスを考えていく。
これからの時代というのは、ビジネスを立ち上げて成功する確率は今までよりも何倍も何倍も高い。なぜならば世の中が変わってきているからです。
経営者プロフィール
氏名 | 福嶋 康博 |
---|---|
役職 | 名誉会長 |
生年月日 | 1947年8月18日 |
出身地 | 北海道 |
株式会社営団社募集サービスセンター設立、代表取締役社長
◯1982年8月
株式会社エニックス 代表取締役社長
◯1989年4月
株式会社エニックス、コニカエニックス株式会社、エニックスプロダクツ株式会社を株式会社営団社募集サービスセンターに吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更、代表取締役社長
◯2000年10月
代表取締役会長兼最高経営責任者
◯2003年4月
株式会社スクウェア・エニックス 代表取締役会長
◯2004年6月
相談役名誉会長
◯2005年6月
名誉会長
◯2008年10月
株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス 名誉会長(現任)
会社概要
社名 | 株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス |
---|---|
本社所在地 | 東京都新宿区新宿6丁目27番30号 新宿イーストサイドスクエア |
設立 | 1975 |
業種分類 | 情報通信業 |
名誉会長 |
福嶋 康博
|
従業員数 | 4,712人(連結、2023年3月31日現在) |
WEBサイト | https://www.hd.square-enix.com/jpn/ |
事業概要 | 株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスは、多彩なコンテンツ/サービス事業を展開しているスクウェア・エニックス・グループを統括する純粋持株会社です。スクウェア・エニックス、タイトー、アイドスなどの国際的ブランドのもと上質なエンタテインメント・コンテンツ/サービスを提供しています。 |