【ナレーター】
創業100年を超える老舗パンメーカー「株式会社神戸屋」。
現在の主流である、イースト菌を使用した製パン方法を業界に先駆けて確立させ、パン食の文化を築き上げた同社は、パンの製造・販売の他にも、ベーカリーやレストランの運営などフードビジネスを多角的に展開。
近年ではオンラインストアや冷凍パンのサブスクリプションサービスにも注力しており、その事業の裾野を広げている。
より良い食の“あたりまえ”を創造し、一人ひとりの生活の質を高めることをパーパスとして掲げる神戸屋。躍動する6代目経営者が思い描く未来像とは。
【ナレーター】
自社の強みについて「技術力」にあると桐山は言い切る。
【桐山】
製パンの方法は大きく分けて2種類。“職人が手で作って焼き上げる方法”と、“機械でつくる方法”があります。
神戸屋の場合は、このうち特に“職人が手で作って焼き上げる方法”において高いアドバンテージを持っています。というのも、神戸屋の社員はパン職人の世界大会であるベーカリーワールドカップに日本代表として出場する回数が非常に多いのです。
一般的には、製パンの技術はなかなか可視化されることはありませんが、ベーカリーワールドカップのような大会やコンペはそれを唯一可視化できるツール。そこに当社の社員を定期的に輩出できているということは、神戸屋が技術力を持っているということの証だと思っております。
このような世界大会でも認められる技術力の高さは、神戸屋の堅実な精神から醸成されてきたものではないかと考えております。
【ナレーター】
桐山のキャリアスタートは大手IT企業だった。創業家に生まれ育ったが、当時は後を継ぐつもりはなく、別業界に就職し、キャリアを重ねる。順風満帆に過ごす中、父親から食事の誘いを受けた。当時のやりとりは今でも鮮明に覚えているという。
【桐山】
お寿司屋のカウンターにて2人で食事をしたのですが、その際に私の父が「なぜ神戸屋に入ることを決意したのか」という理由や経緯など、過去の背景を淡々と話されたのです。
そして最後に、当時神戸屋の顧問を務めていた祖父が、私の神戸屋への入社を切望しているという一言をもらってその日は終わりました。
もともと家業を継ぐつもりはなかったのですが、社会人経験を経てその話を聞き、少し心境が変わったのを覚えています。
というのも、社会人になり株式会社USENで勤務している中で、世の中を見ることができ、改めて家業である神戸屋を経営している父や祖父の責任の重さや重要さを、私自身が実感していくようになって。
自分の中での家業に対する興味や、責任の重みっていうのが増幅していた時期でもありました。
自分のキャリアも含め、今後どうしていくかということを考えた結果、神戸屋への入社を決意しました。お寿司屋で父と話した半年後ぐらいには、もう神戸屋に入社していたという状態ですね。
【ナレーター】
そして、2012年に神戸屋に入社。当時の心境と心がけた行動とは。
【桐山】
入社した当初は「吸収の時期だな」というふうに思っていました。
家業である神戸屋の内情を知らないまま「知識や経験がない段階で、軽率な発言をするべきでない」と考えていました。そのため、入社してから感じたギャップなど、当時思ったことはノートなどに箇条書きにして書き溜めていましたね。
そのとき感じたことっていうのは、ひょっとしたら入社してしばらく経つと慣れてしまい、なくなってしまうかもしれないので、忘れないうちに書き残しておこうと思ったのです。
そのように、客観視する俯瞰的な視点は今後絶対必要になってくると考えていたので。
その後も意思決定するときや、社内で新しいポジションに就くときなどに、そのノートを見返していましたね。自分の頭の整理にも繋がりましたし、非常に良かったなと思います。
【ナレーター】
その後、グループ会社の取締役や経営戦略室の室長などを経て、2021年に35歳で代表取締役社長に就任。その経緯と、当時から構想していた企業像について、次のように語る。
【桐山】
2023年の春、当社では主力事業であった包装パンの製造販売事業を分社化して、株式譲渡しました。
実はこの計画を立案したのは、私が当時、経営戦略の室長だった時です。当時社長であった父に提案しました。
それで、これから分社化・株式譲渡の計画を実行に移していこうというフェーズになったときに、「誰が会社を引っ張ってやっていくか」ということを考えたんです。
そのとき、今後会長に就任するであろう父がやっていくより、次の100年を見据えて考えると、私が計画を遂行すべきだなと感じました。
このような経緯があり、「社長をやらせてください」と父に伝え、それを父が受け入れてくれたのです。
社長に就任する際に重要視したのは、中長期的な視野による経営戦略です。神戸屋は老舗ゆえに非常に安定志向であり、市場の停滞感もありました。
その中で、私が社長に就任する前から経営層の間では、中長期的な視野で今後神戸屋をどう経営していくかという議論が多く交わされていました。
しかし、「構造改革をしていかなきゃいけない」というマインドがありながら、なかなか行動に移せずにいました。
そんな中で新型コロナウイルスが流行し、本格的に「ああ、これは中長期的な視点で本気で考えて、抜本的に変えていかないと次の100年はないぞ」と危機感を覚えるようになりました。
そこでコロナ禍の中、具体的に様々な検討を始めるようになりました。