【ナレーター】
アマチュア無線機から、陸上、海上、航空、衛星無線機まで、あらゆる無線通信機器を手がけるグローバルメーカー「アイコム株式会社」。
完全国内生産にこだわり、その高い製品開発力と技術力を武器に、現在約180の国と地域で製品が使われ、海外売上高比率は7割を誇る。
近年では、従業員へのリスキリングによる新規事業開発の強化や、他社との協業による事業拡大を積極的に進めており、さらなる成長に向け、挑戦を続けている。
躍動する経営者の軌跡と、実現したい未来とは。
【ナレーター】
自社の強みについて、中岡は、無線機の専業メーカーであることだと言い切る。
【中岡】
無線を扱っている会社はたくさんありますが、専業メーカーはたぶん世界でも数少ないと思うんです。アマチュア無線、趣味の無線から始まっているのですが、それが船舶用や陸上用へと広がり、エアバンド(飛行機の無線)にも使われるようになっていきました。
現在はそれに加えて、IP無線やWi-Fi、電話回線、LTEの回線、5G、衛星無線などもあります。これら全てを1つのブランドで揃えているのは、おそらく当社だけだと思います。
メイドインジャパンを続けてきたので、品質の面も含めて、非常に高い品質を保った無線専業メーカーだという点が、当社の強みだと思っています。
お客様の声を素早く製品やソリューションに活かすことは非常に重要なことで、たとえば完全防水の船舶用無線を出したのは当社が世界初だと思います。
他のメーカーの方も完全防水の無線機を出してこられたんですけど、その中でお客様から「確かにこれはすごい。でも、水に沈むと見つけることができないじゃないか」という声が出てきました。
「じゃあ浮くようにしたらいいんじゃないか」という話になったのですが、普通に考えるとできるわけがない、というのが最初の社内のリアクションでした。ですが、いろいろな部署が集まって、実際に取り組むと、割と短期間で実現できたんです。
だから、なるべくお客様のフィードバックをすぐに製品化して、市場に出すということを、できるだけ早いサイクルで回していきたい。これもかなり実現できていると思います。
【ナレーター】
中岡のビジネスパーソンとしての原点は、アメリカの販売子会社時代にある。大学卒業後、アイコムに入社し、営業職に従事。順調にキャリアを重ね、1994年にアメリカの販売子会社へと赴任した。当時経験したあることが、今に生きていると振り返る。
【中岡】
アメリカ人の社長から、「本当にアメリカでセールスマネージャーになりたかったら、50州全て回るべきだ。みんなやっている」という話があり、私はそれを真に受けて実行しました。
1年ほどでそれをやり遂げたのは、大きな自信になりました。中には「アジア人を初めて見た」と言われるような小さな町もありましたが、逆に「きっとそういうところは無線が絶対必要だろうな」という思いもありました。
そんな町でドアをノックして営業しても「あなたの言っていることが分からない」と言われたこともありましたね。伝わらない英語になってしまっていたので、そういう苦労は結構したと思います。
あんまり深く考えなかったのがよかったのかもしれません。「言われたことはとにかくやる」「これはタスクだ」「自分に与えられたタスクはなんでもやるしかない」という意気込みでした。
【ナレーター】
アメリカで最も印象に残っている仕事として、国防省の案件を挙げた中岡。その理由について、次のように語る。
【中岡】
米軍MIL規格のスペックというのが大前提なんです。当時はそういうことを全く意識しておらず、米社ではそれに準じた製品テストを行っていなかったのですが、MIL規格に合格している他社の製品と比べても、「当社の製品なら絶対大丈夫だ」と思っていました。
ただ、規格に合格していないと入札の資格がないので、本社に掛け合って「何とかならないか」と依頼すると、「まずスペックを読み込んで、基礎研究して、設計して、2年はかかる」という返事でした。
そこで私たちは、日本から輸入した機械を、そのまま第三者機関のあるオレゴン州に持ち込んでテストをしてもらいました。目論見通り合格できたので、応札できました。
その結果、当時で総額4000万ドルか、それ以上の注文が取れました。全社の売上高が250億円前後の中での40〜50億円の注文でしたから、非常に大きかったですね。
米軍が使っているとなると、アジアや中南米の国もすぐに飛びつくような反応でしたし、ヨーロッパにおいても、信頼度を上げるという意味でプラスになったと思います。