株式会社あいや
代表取締役社長 杉田 芳男

杉田 芳男(すぎた よしお)/1968年東京農業大学卒業。71年株式会社あいや入社。89年に同社代表取締役社長に就任。組合法人西尾茶協同組合代表理事、西尾商工会議所会頭なども務める。

本ページ内の情報は2016年11月時点のものです。

愛知県西尾市に本社を構える株式会社あいやは、明治21(1888)年創業という長い歴史を持つ抹茶製造・販売業者である。西尾では古くからお茶栽培が行われており、上質の茶葉を生産していたものの、ブランドの知名度では宇治などに遅れを取っていた。
そこで同社4代目の代表取締役社長、杉田 芳男氏は、抹茶の販路を従来の飲用から食品加工原料へと大きく変えたのである。このことがきっかけとなり、現在、同社は業界トップクラスの抹茶メーカーとなった。洋菓子の分野にまで抹茶を広めた当時の画期的な営業方法や、同社で行われている社員同士の連帯感を強める抹茶メーカーならではの取り組みなど、お茶と共に歩んだあいやの“歴史と今”について、杉田社長に話を伺った。

“飲む抹茶”から“食べる抹茶”へ

あいやの抹茶が使われた食品の数々。

かつて抹茶を使ったスイーツが少なかった時代に、茶業界から食品業界へ販路を変えたきっかけをお教え頂けますでしょうか?

杉田 芳男:
私があいやに入社したのは昭和46(1971)年のことでした。当時、“西尾の抹茶”は質が良いものの、知名度は低く、誰も知らないと言っても過言ではないほど無名でした。一方で宇治茶は、「お茶といえば宇治」と言われるほど、絶大なブランド力を持っていました。どうにかして宇治茶の牙城を崩せないかと思い、全国各地の有名なお茶屋さんに、私は西尾の抹茶を売り込み続けました。しかし、「うちでは宇治を扱っているから」ということで、全く箸にも棒にも掛からぬ状態だったのです。

一体どうしたらよいのかと考えた末、発想を転換し「抹茶を食品に使って頂こう」という結論に至りました。宇治茶の販路とは別の道を進む決断をしたのです。抹茶を使った食品と言えば、当時は茶団子などの和物が一般的でした。今とは違い、抹茶を使った洋菓子はほとんどありませんでした。そこで、洋物にまで抹茶を使って頂けるようになれば、販路が拡大できると考え、食品業界へ大きく舵を切ったのです。それが1975(昭和50)年頃のことでした。

西尾茶は、緑の鮮やかな渋みのない抹茶の原料茶葉でしたので、食品に入れるのに適した品格をしていました。また、食品業界への参入にはトン単位での受注対応が必要でしたが、生産農家さんの懸命な努力によって、大量の供給を支え続ける基盤を作ることができたのです。

抹茶の三大要素の数値化

当時、抹茶をほとんど使用していなかった製菓会社やアイスクリームメーカーの方に、どのようにして抹茶を紹介し、受け入れられたのかお聞かせいただけますでしょうか?

杉田 芳男:
大手の製菓会社さんやアイスクリームメーカーさんなどは、抹茶というものにトライすることがほぼ初めての状態でした。ですので、メーカーの買い入れ担当の方も抹茶について詳しい方がほとんどいませんでした。初めて抹茶をご覧になったという方もいらっしゃったほどです。当時抹茶は、利き酒のような官能審査で品質を評価していましたので、例えば1㎏当たりの値段を決める基準についても、味や香り、滑らかさなどの感覚で説明されることが一般的でした。しかし、メーカーの方々にはその説明では納得して頂けません。そこで私は、抹茶の色素・水分量・粒度という3つの要素を数値で示すという、今までとは違った方法で品質を証明することにしたのです。

色調は色彩計を用いて値段ごとに数値を出しました。例えば「1㎏3000円の抹茶ならばこのくらいの数値です。5000円、8000円になるとこのくらい数値が上がり、明るくなりますよ」というようにです。水分量は水分計を使って量りました。抹茶の場合、一番安定している水分量は6.0%以下です。仮に私がそれ以上の水分量を含む抹茶を売ったとしたら、余分に水を売っているようなものです。そこで、水分量の数値を示し、「あいやの抹茶は6.0%以下の一番水分量が安定したものしか含まれていません」ということをお見せました。

最後の粒度ですが、人間にとって一番おいしく感じる抹茶の微粉の粒度は、2ミクロンから20ミクロンの幅に約90%が収まるといわれています。この数値よりも粒の大きい粗い粉を作れば、生産性が上がりますから利益も増えるでしょう。しかしそれはいけません。メーカーの方には、粒度計で弊社の抹茶がこの幅に収まることを確認して頂きました。「決して粗製濫造は致しません」ということを証明したのです。数値による情報開示をしたことで、メーカーさんの信頼を得ることができ、抹茶の新たな活用に乗り出して頂くことができたのだと思います。

人材に求めることは“挑戦する心”

伝統的な趣のあいや本店とクリーンルームを備えたあいや本社工場。

今後、御社を支えていくために、社長はどのような人材が必要だと考えていらっしゃいますか?

杉田 芳男:
一言で言うと“挑む”気概のある人物です。できない理由を探すのではなく、自分自身に対して挑めるような人を弊社では求めています。私は社員によくこう言います。「10㎏の荷物を担げる人は10㎏を担いでくれ。30㎏の荷物を担げる体力のある人は30㎏担いでくれ。しかし、ぶら下がることはやめてくれ。その分誰かが難儀することになるから」と。1年生社員と、30年勤めている社員とではキャリアの差があって当然ですから、その差を埋めろというのではありません。自分の持つキャパシティを最大限に活かして働いて頂きたいと思っているのです。学歴など関係ありません。弊社では中卒でも会社の要になっている社員がいます。

ですので、面接では「困難に行き当たった時にどうしたのか」ということを質問する時があります。私が知りたいのは、上手くいった話ではなく、失敗した時にどう対応したかということです。逃げたのか、それとも解決したのかという点が重要ですね。

1日の始まりは1杯のお茶と共に

人材マネジメントに対する社長のお考えをお聞かせいただけますか?

杉田 芳男:
私は、基本的に現場を信頼し任せるようにしています。任せれば、社員は頑張ってくれます。箸の上げ下ろしまで言ってしまうとみんな手を引いてしまいますから。ただ、社長として会社が進む方向だけはしっかりと示すようにしています。どちらを向いて走ればよいのか、今は止まる時期か進む時期か、そういったことは朝礼できちんと社員に伝えています。

弊社では毎日、全社員集まってお茶を1杯頂きながら朝礼を行います。会社の現状や今後の方向性、お客様の声などを私から社員に直接伝えることで、ベクトルを合わせることができるのです。そして、問題があればそこで共有するようにしています。納品の遅れや出荷のミスなど、必ず大なり小なり問題は出てきます。そういったことをきちんと把握することも重要です。

それに、朝礼で社員の表情を見ることも大切にしています。元気のない社員がいたら「どうしたんだ」と一言声をかけるようにしています。また、月に1回「おもてなし茶会」といって、社内で抹茶を点ててお茶会をします。そうすることで、日頃あまり話さない社員同士でも交流ができますので、連帯感を持つことに繋がります。

他には、全社員に年賀状を手書きで出していますね。書きながらその人の顔を思い浮かべて、一言を添えるようにしています。部課長、係長などには、年1回、その年の事業を振り返って激励の手紙を渡しています。

社長としての28年間は、家族や社員、生産農家の皆さんに支えられてきました。ですので、会社はみんなのもの、地域のものだと考えています。社員たちがこの会社を辞める日が来た時に「あいやに入ってよかった」と思ってもらえるようにするのは、社長としての大切な仕事の一つだと思っていますね。

編集後記

株式会社あいやは現在でも新たな挑戦を続けている。記事中の取り組みのほかにも、不可能だと考えられてきた碾茶(抹茶の原料)の有機栽培を成功させたほか、スイーツブランド「西条園」を立ち上げ、新たな抹茶スイーツの可能性を広げている。また、米・独・中に現地法人を持ち、積極的な海外展開を行っている。一見様々な事業展開をしているように思えるが、地域に根差し、“西尾の抹茶”という1つのブランドをとことん極める姿勢は崩さない。お茶を介した社員同士の交流により連帯感が育まれている点は、抹茶メーカーならではである。抹茶を通じて生み出された一体感と追求力が、既存の常識や概念を覆し、新機軸を次々と打ち出すあいやを支えているのだと感じた。