オンラインの手軽さとエリア専門のトラベル・コンシェルジュによるきめ細やかなサポートが人気を博し、高い顧客満足度を得ている株式会社旅工房。旅行業界内で注目を集めたインドネシアのバリ島専門サイトを同社が立ち上げて間もない2003年、当該事業をさらに強化するべくバリ島に関する豊富な知見を携えて入社したのが、現在、同社執行役員の前澤弘基氏だ。世界中に衝撃を与えた2002年のバリ島爆弾テロ事件による低迷期を乗り越え、バリ島の魅力をユーザーに伝え続けた前澤氏の挫折と成功の軌跡を追った。

バリ島の魅力に惹かれた学生時代

―学生時代から旅行関係のお仕事に興味をお持ちだったのでしょうか?

前澤 弘基:
大学時代から何度か海外旅行を経験していて、特に東南アジアの国々を中心に訪れていました。その中でもバリ島が一番好きで、バリ島や東南アジアに携わる仕事をしてみたいという思いは、学生時代から持っていました。今でこそ、インターネットを通して様々な旅行先の情報を知ることができますが、当時はまだ、旅先の情報は限られたものでした。そこで、まだ一般に知られていない魅力を伝える仕事をしたいと思うようになったんです。


―御社へは中途入社と伺っておりますが、前職でも旅行関係の会社にお勤めだったのでしょうか?

前澤 弘基:
就職する前に旅行業界について学んでおきたいと考え、バリ島専門の旅行会社のアルバイトに応募しました。今でいうインターンのような形だったのですが、大学4年生の夏休みに、バリ島の支社で仕事をさせてもらえるチャンスがあり、約2か月間、現地で業務にあたりました。その後、同社に入社することが決まったので、卒業した2000年の4月に新卒入社し、念願のバリ島支店に行くことが決まりました。駐在期間は2年間でしたが、現地の人との仕事を通しながら、いろいろな経験を積むことができました。

予期せぬ会社の倒産と旅工房との出会い

―どのようなきっかけで転職をされたのかお聞かせいただけますか?

前澤 弘基:
2002年10月にバリ島で爆弾テロ事件が発生し、その余波で勤めていた会社が倒産してしまったんです。倒産することが決まってからは、従業員たちは次々と退職してしまいました。ただ、私にとってこの会社での2年間はとても有意義なものでしたし、日本からの送金が止まってしまうことで生活に影響が出る現地のメンバーたちの不安を考えると、すぐに辞める気にはなれず、何か自分にもできることはないかと考え、とにかく最後まで見届けようと思ったんです。旅工房の高山社長と出会ったのはちょうどその頃です。もともと旅工房と前職の会社は取引先の関係でした。当時、旅工房はBtoBに特化していましたが、インターネットの普及とともに一般のお客様向けのサービスも開始し始めていて、パッケージツアーにも力を入れようとしていました。そこで、前職の社長が高山社長へ「バリ島のパッケージツアーをやるんであれば、うちに適任者がいる」と紹介してくださったのが始まりです。高山社長との面談を経て、「自分がいたバリ島の魅力を、インターネットでもっとたくさんの人にご案内出来たら」と思い、入社を決意しました。


―テロ事件が原因で突然の倒産に追い込まれて、転職をされるわけですが、将来に対する不安などはありませんでしたか?

前澤 弘基:
まだ26歳という若い時期でしたし、次の仕事に関する不安はそれほどありませんでした。確かに、ツアーを販売したり、航空座席やホテルの仕入れをしたりといったノウハウはあまり持っていなかったので、旅工房に入社する際にも、自分ができることは限られているだろうとは思っていました。しかし、何より2年間の現地駐在経験が私の強みです。バリ島は観光地として、必ず盛り返すことができると確信していましたし、自分がやりたいことや、やるべきことのビジョンははっきりと見えていました。当時、旅先の情報はガイドブックなどが主な情報源だったのですが、そこには載っていないバリ島の魅力を私は知っていました。それをうまく発信していくことが求められているんだと理解していました。転職先の旅工房に関しても、若くて勢いのある会社だという感触がありました。

自腹を切る覚悟で臨んだ大勝負

―最初はどのようなお仕事に携わられたのでしょうか?

前澤 弘基:
弊社のバリ島専門サイト内で販売するパッケージツアーを企画しました。外注先の制作会社の人と一緒にサイトを作りこんでいきました。ただ、当時は旅工房自体の知名度も低く、SEOやリスティング広告などネットに必要なノウハウも全く知らない状態でのスタートでしたので、集客は思うように進みませんでした。前職でお世話になったお客様からは「応援しています」という声を頂いたのですが、結果がなかなか出せず、だんだん辛くなってきました。前職のときに一緒に働いていた現地メンバーたちにも「新しい会社でバリ島の魅力を伝えて、お客さんを集めるから、心配しないで」と伝えていたので、そうした期待に応えられないもどかしさがありました。


―その状況を打破したきっかけをお教えいただけますか?

前澤弘基:
リクルートが出していた『エイビーロード』という海外旅行専門の媒体に広告を載せることにしたんです。広告費は当時の弊社の状況からすればかなりの金額でしたが、「絶対に結果を出しますから、お願いします」と社長に直談判をしたんです。失敗したら自分で払う覚悟でした。少しでも早く、会社や現地の人たちの期待に応えたいと思ったんです。そんな本気の思いに、同僚たちからも「協力するよ。何かあったら、助けるから」と声をかけてもらいました。そして、実際に掲載されると、バリ島の魅力が伝わる広告内容に対する反響は大きく、出稿費の2倍の利益を出すことができたんです。そこから徐々に業績は改善していきました。

転機となった“社長からのメッセージ”

―最初に社長にお会いされたときの様子をお教えください。

前澤 弘基:
初めて社長とお会いしたとき、まだ旅工房は10人くらいの小さい会社だったんですが、社長はたくさんのビジョンを持っていました。ビジョンが書かれたA4の紙を前に、「今後、インターネットを通して現地サービスを向上させ、お客様を満足させたい」という思いを熱く語ってくれたんです。そんな社長の熱意や、旅工房の可能性に惹かれました。


―社長との印象深いエピソードはありますか?

前澤 弘基:
会社が成長し、従業員数が200名程になり、営業組織のマネジメントに苦労した時期がありました。そんなとき、自分の力不足から初めて降格を経験したんです。「このままではいけない。何とかしなければ」と悩んでいたところ、社長が何も言わずに、新聞を私の机にそっと置いたんです。そこには、ボストンコンサルティンググループ出身の内田和成さんの勉強会の広告が載っていたので、私は「何かを得たい」という一心で申し込みをしました。結果、この勉強会が私にとっての転機となり、その時に出合った『仮説思考 BCG流問題発見・解決の発想法』という書籍は今でも愛読書になっています。言葉こそ交わしてはいませんが、印象に残る社長とのエピソードですね。

顧客目線を忘れない

―今の地位に上り詰めることができた要因は何だとお考えですか?

前澤 弘基:
若い時から「どうやったらお客様に喜んでいただけるか」ということを第一に、サービスを作ってきました。お客様の視点で考えることを大切にしたいという強い思いが、評価されたのではないかと思っています。また、前職時代、バリ島に駐在していた経験から、現地の人たちと円滑にコミュニケーションを取ることができたのも功を奏したのだと思います。


―今後の目標についてお聞かせください。

前澤 弘基:
現在、旅工房では、ハワイやベトナムのホーチミンに現地法人を有しています。いつか、思い入れのあるバリ島やインドネシアの現地法人立ち上げに携わることができればと思っています。

編集後記

前澤氏の座右の銘は「七転八起」だという。インタビューでは「まさに自分の人生だと思っています。失敗することだらけですが、必ず立ち上がっています」と語った。その言葉通り、期待に応えようという強い責任感と、高い当事者意識を持ち合わせていたからこそ、いくつもの困難・苦悩を乗り越えることができたのだと感じた。

前澤 弘基(まえざわひろき)/1976年5月10日生まれ。
2000年、國學院大學文学部卒。同年4月、学生時代からアルバイトをしていた株式会社オリエントパシフィックエクスプレスに入社。同社バリ島支店に2年間駐在した。2003年1月、株式会社旅工房に入社。バリ島専門サイトでのパッケージ商品の企画などに従事。2005年、大阪支店の立ち上げに尽力。2015年6月、同社執行役員に就任。
趣味はスノーボード、旅行、ゴルフ。座右の銘は「七転八起」。

※本ページの情報は2017年10月時点のものです。

>>他の企業の「社長の右腕」記事を見る

この企業の経営者インタビュー動画

旅行業界の供給者論理を変える!新風を巻き起こす経営戦略の全貌

株式会社旅工房 代表取締役会長兼社長 高山 泰仁