現在、IoT・デザインアパートメント運営会社の代表を務める古木大咲氏。

彼は20代で会社の経営者となり、9年で上場企業への道を切り拓いている。

そんな古木大咲氏とは、一体どんな経歴を持っており、仕事に対してどのような考え方を持っているのだろうか?

今回は、古木大咲氏の経歴や考え方についてご紹介していこう。

古木大咲のこれまで

古木大咲氏は今でこそ東証一部上場を果たした企業の代表を務めているが、そこに行き着くまでには多くの苦悩と努力を重ねている。

1979年、鹿児島県で誕生した古木大咲氏は、建設関連の自営業を営んでいた父親の姿を見て育っている。

幼少期は一般的な生活を営んでいたが、転機が訪れたのは中学3年生の時である。この頃、最愛の父親を亡くしてしまったのだ。

当時は途方に暮れていた古木大咲氏だったが、その後単身福岡県へと移り住むことになる。

福岡の高校にそのまま進学することになったのだが、その後は高校を中退してしまう。

家族に負担が掛けられないということから、福岡の飲食店・コンビニなどでアルバイトをしていたが、20歳を迎えてからは学歴のない自分の将来はどうなってしまうのだろうという不安に襲われたという。

「フリーター生活をこのまま続けていてはダメだ」という思いが強くなり、学歴ではなく他のスキルで勝負できる「営業職」に興味を持ったのはこの頃からだ。

また、この頃ちょうど父親の姿を思い出し、自らも父親と同じように起業したいとも考えていた。


古木大咲氏はその後、福岡県内にある不動産会社へ社員として勤めるようになる。

営業職を希望していたのだが、これまで不動産業界での経歴を持っていない、ましてや高校中退ということもあり、会社の判断で営業職を外されてしまった。

結局会社が管理していた物件の清掃担当になったのだが、夢を諦めていなかった彼は休みの日になると自ら飛び込み営業を行い、管理していた物件の売り込みを始めたのである。

コツコツと努力を続けていった結果、売り込みをしていた物件が売れ、会社からも認められて1年後には営業職へと異動となった。


数年間、営業職を勤めていた中で古木大咲氏が気付いたのは、不動産業界に蔓延っていた「ムダ」である。

当時、不動産業界では自分の足を使って物件の売り込みをすることがほとんどだった。むしろ、今でもこのような営業を行っている不動産会社も少なくない。

しかし、この方法だと効率を上げることは非常に難しく、古木大咲氏はもっと効率的にならないだろうかと営業職になった当時から考えていた。

「ムダを取り除き、効率を高めた営業を行う」、これが古木大咲氏の今につながっていると言えるだろう。

その後、彼は会社で新築アパートの販売サイトを制作する企画を立て、フリーランスのプログラマと一緒にホームページ制作を行った。

ホームページを制作すると1ヶ月で約30人からの問い合わせがあり、この経験からホームページで集客することの効率の良さを実感することになる。

不動産会社で経験を積んだ古木大咲氏は、2005年に同じく不動産事業で起業をしている。

起業後は販売サイトを制作し、約2年間で40棟近くも販売した。経営は順調に進んでいったのだが、起業してから3年後、リーマンショックに直面し一気に業績でピンチを迎えてしまう。

リーマンショックは古木大咲氏が経営していた会社はもちろん、全国の不動産会社に多大なダメージを与えた。どうにかしてこの状況を打破しようと考えた古木大咲氏は様々な手法を使い、何とかピンチを切り抜けたという。

ただ、この時のピンチが現在の経営につながっていることは間違いない。


リーマンショック時に問題となったのが、在庫物件の処理だ。

在庫物件が売れないままになってしまうと、不動産価値はどんどん下がってしまい、会社にとって物件を在庫として残しておくことは不利益につながってしまう。古木大咲氏はこの在庫に非常に苦しめられた。

そのため、今後いつ不動産会社にとって不利な状況に陥ってしまうかも分からないということから、これまでの在庫型モデルを見直し、新たな販売スタイルを確立したのだ。

ピンチを新たなビジネスチャンスへと変えた

リーマンショックで倒産の危機を迎えてしまった古木大咲氏の会社だが、その後は持ち直し業績も安定するようになった。

そんな中で進められていったのが、在庫を作らないビジネスモデルである。

多くの不動産会社では物件・土地などの在庫を持っていることが一般的であり、それは現在でも変わらない。

しかし、古木大咲氏が代表を務めているIoT・デザインアパートメント運営会社では、在庫は一切持たないビジネスモデルを採用しているのだ。


不動産会社が在庫を持たないということはどういうことなのか-。

在庫を持たないビジネスモデルというのは、顧客に向けて土地のマッチングからアパートの建築、経営のサポートまでを一貫して行うビジネスモデルである。

つまり、不動産会社が土地を取得して作ったアパートを販売するのではなく、一から建築することで在庫を持たないようにしているのだ。

最初の頃はこれまでの不動産業界ではあり得なかったビジネスモデルだったこともあり、なかなかうまく受け入れてもらえなかったが、徐々にスタイルが確立されていき、徐々に理解を得られていったという。

また、ただのアパートを建築するだけではアパート経営者の利益にはつながらないと考え、最先端のAI技術を活用したIoTアパート、デザイン性を高めたデザインアパートを組み合わせたアパート建築の提案も行っている。

機能性・デザイン性、共に申し分ないアパートは、アパート経営者からはもちろん、実際に住む方からも好評価を得ており、これが現在の安定した業績につながっているのだと考えられる。

古木大咲氏のビジネスにおける考え方

新しいビジネスモデルを進めていく中で、全てが順調にうまくいったわけではなかった。

“同じ建物は建てない”という方針で進めていたが、それでは案件ごとに進捗状況が複雑化してしまい、当時はトラブルも多く発生していたという。

人力で対応しきれないというピンチに陥ったが、古木大咲氏の会社に独自の管理システムを導入することによって進捗状況を「見える化」し、タスクを分かりやすくしたのだ。

すると、進捗状況が分かったことで社員のストレスも軽減し、合理的かつ効率的に仕事が進められるようになった。

このピンチを乗り越えられたのは、古木大咲氏が仕事において「ムダ」が嫌いだったということが影響していると考えられる。仕事がムダに止まっていることを嫌っていたため、進捗状況やタスクを誰にでも分かるようにしたのだ。

誰でも見えるようになっていれば、どこで何が止まってしまっているのかが瞬時に把握できる。


さらに、古木大咲氏はビジネスに対して、「人の責任にしない」という考えを持っている。

これは、例えば書類がその人でストップしていたら「どうして止めていたんだ」と責めることはせず、「なぜ止まってしまったのだろう」と考えることで、次の仕事につなげていくのだ。

フローに何か問題が発生していれば根本を改善していく、そういった作業を繰り返していくことで次々と作業は効率的になっていき、会社全体の業績向上にもつながっていく。

不動産業界、並びに会社のムダを徹底的に取り除き、社員が働きやすい環境を作っていくことが、古木大咲氏がビジネスにおいて大事にしていることだと考えられる。


古木大咲氏に対する評判の中には「社員の意見を取り入れてくれる」といった内容が目立つ。

会社で働く社員を大切にすることで、社員から厚い信頼を得ていたことは間違いない。

また、代表取締役を務めているとワンマンになってしまうことも少なくないが、古木大咲氏はそういった傾向もなく、社員の意見を取り入れるようにしていることが分かる。


今回は古木大咲氏のこれまでの経歴からビジネスにおける考え方、進め方などを紹介してきた。

彼は若くして、自ら立ち上げた企業を東証一部へ上場させるほどの実力を持っているが、これまでの人生全てが順風満帆であったというわけではない。

しかし、数々訪れてきたピンチをいかにチャンスへと変えられるかという部分で、古木大咲氏のビジネスにおける考え方が際立っていたと言えるだろう。

彼は今後も不動産業界において、様々な新しい事業を展開していくことになるだろう。

特に現在は、IoT・デザインアパートメント運営を中心に手掛けているが、他にも民泊事業なども行っており、海外からのインバウンド需要に対応するための事業を進めている。


将来的に新たな風を不動産業界に巻き起こすことも予測できるため、今後も注目しておきたい人物だ。