日本で住むには、欠かすことのできない災害対策。
その中でも特に地震は、過去の大災害の経験から数多くの防災情報が共有されつつあるが、家を建てる「地盤」を選ぶことで住宅への被災自体を最小限にとどめることを呼びかけているのが、地盤調査と補償に特化したサービスを行う地盤ネットホールディングスだ。
東日本大震災発生時、同社が地盤改良不要と判断した被災区域の物件では1件も被害がなかったことが大きな信用となり、2012年には東証マザーズ上場も果たしている。
山本強社長は証券会社から住宅業界に転職し、出向先で培った地盤の知見を活かして2008年に地盤ネットホールディングスの前身となる地盤ネットを起こした。
地盤とのつながりは約20年にも及ぶが、その出会いのきっかけは「左遷」だったという。
波乱にとんだ起業までの道のりも「サラリーマンの典型的なパターン」と語る山本社長。
その人生を変えた“Turning Day”は忘れもしない、1997年7月7日だった。
愛社精神の高さが引き起こした事件
「住宅業界に革命を起こす」
そんなスローガンにひかれ、山本社長が新卒で入社した証券会社から住宅業界に転職したのは1994年。
地域の工務店に加盟を勧める住宅フランチャイズチェーンの営業として、初めての業界に飛び込んだ。
折しもバブル経済が崩壊し、不動産にも透明性が求められていた時代。
チェーン展開によるスケールメリットを生かした住宅の価格破壊をうたう転職先には、業界を変えようという意欲にあふれる若者がたくさん集まっていたという。
当時の山本社長も、意気込みと希望に満ちた若手社員の一人だった。
会社の業績は右肩上がり、加盟店はどんどんと増え250店舗を超えた。
活動的な毎日は非常に楽しく、活気のある社風も山本社長にとって、とても好ましいものだった。
「自分たちが業界を変えている。この会社をもっと世の中に広めたい。」
だが、その愛社精神が山本社長を窮地に追い込むことになる。
加盟店は増えつつあったが、フランチャイズでは加盟店の数だけオーナーが存在する。
中には本部の規定とは異なる運営を頑なに続ける加盟店もあり、フランチャイズには統一性が必要だと考える山本社長にとって悩みの種だった。
「このままではグループが駄目になる。話せばきっとわかってくれるはずだ。」
思いつめた山本社長は、単身で相手先に乗り込んだ。
しかし30歳にも満たない若者の説得に、初期から加盟していた相手先のオーナーは激怒。
山本社長はまったく歯が立たずに追い返されてしまった。
「また転職活動をしないといけなくなるな…。」
あまりの怒りに触れ、もう会社にはいられないだろうと観念した山本社長。
そして翌日、出社した山本社長を待っていたのは、加盟店オーナーの怒りを解くための明らかな左遷の辞令だった。
「仕方がない。初日くらいは顔を出してから辞めよう。」
聞いたこともない業界への出向。まったく未来が見えなかった。
しかし、この出来事が、山本社長のキャリアを劇的に好転させることになろうとは、本人はまだ知る由もなかった。
事業に光明を見出した“Turning Day”
1995年に起きた阪神・淡路大震災をきっかけに、いくら堅固な住宅を建てても地盤に問題があれば家を支えることができないことが明らかになり、地盤を重視する機運が高まる中、山本社長が在籍する住宅会社は地盤調査の子会社を新設していた。
産声を上げたばかりの社員3名のその会社が、山本社長の出向先だった。
地盤業界と聞き、これまでとはまったく勝手の違う土木関連の仕事を想像していた山本社長は、力仕事に耐えられるだろうかと不安を抱えながら初出社する。
しかし、当時の上司から初めて業務内容の説明を受けて判明したのは、その会社の事業は住宅建築予定地の地盤調査自体ではなく、調査データの解析をすることが仕事だった。
説明が進むにつれ、山本社長の目の前は明るくなっていった。
「調査データの解析自体も興味深かったですし、もし物件に地盤に関する事故があったら補償するというビジネスモデルにも従来の形から差別化できると感じられました。さらに、地盤調査は真っ先に現場に入る立場なので、新築住宅の購入者の情報を入手できる時期も早い。こんな素晴らしい業界があったのか、絶対にこの世界でトップを取ろうという期待と興奮でいっぱいになりましたね。」
1997年7月7日、山本社長の運命の歯車が大きく回り始めた。
「辞めない理由」にとらわれない
業界の先駆者的な存在だったその会社で、当初は社員が少ないがゆえに山本社長は営業から調査の手配、データ分析まで担当し、住宅地盤のあらゆる知識を身につけた。
その中で、地盤の世界は想像以上に深く、地域によって強度が全く違うことを痛感していったという。
懸命に働き、10年がたった2007年、ゼロからスタートした会社は年商120億円を売り上げるほど大きく成長。
会社が10周年と売上達成の記念パーティーを開き、皆が歓喜に沸いたその翌日、山本社長は突然、会社に退職届を提出し、独立の道を歩むことを決断した。
順風満帆とも言える中で、なぜこの決断に至ったのか。山本社長は当時の心境をこう語る。
「起業に対する漠然とした憧れはありましたが、自分ができるとは思っていませんでした。しかしこの地盤会社を一から育てたという自負はあった。そのため、きっとパーティーでは役員に選出されるのではと思っていたんです。でも、発表された役員は親会社から選ばれました。子会社の社員はどれだけ頑張っても厳しいという現実を突きつけられたのです。」
子どもが生まれたばかりというタイミングも、山本社長には独立の後押しになったという。
「子どもに格好悪いところは見せられませんからね。物心がつくまでの2~3年間で仕事を軌道に乗せることを自分に課したんです。
私は初めから起業を考えていたわけではありませんし、顧客と意見の食い違いがあったり、自分の意思とは異なった親会社中心の人事があったりすることは、サラリーマンなら珍しい話ではないと思うんです。でも、そこでただ粘り強く辛抱していても芽がない場合も多々あるはず。
40代は脂がのり、荒波に最も耐えうる年代です。10年もいた、子どもができたと辞めない理由をあげるばかりでなく、そういうタイミングで切り替えてみるのも一つの選択肢ではないでしょうか。」
その後、山本社長はシステム会社の起業を経て、1年後には長年携わった地盤の世界で会社を起こす。
その事業は、地盤調査とともに地盤改良工事も請け負う一般的な住宅地盤調査会社とは異なり、地盤調査のデータ解析と補償に特化。
利益の出やすい地盤改良工事ありきではなく、その必要性を第三者の目線からチェックするため、過剰な工事費用がかからないというクリーンなスタンスで展開していった。
そして2011年、東日本大震災の発生時に、地盤ネットホールディングスが安全と診断した約800の物件には被害がなかったことをきっかけに同社の信用は急上昇。
良い地盤の上に家を建てることの重要性が広まり、2012年には東証マザーズ上場を果たすことになる。
「移住促進」が人の命を守る
今後注力する事業展開は、地盤の良いところへの「移住促進」に尽きると山本社長はいう。
「関西、東北、九州と地震が続き、次は関東だと誰もが考えているはずです。しかし、現在東京に住む約7割の方は、私たちが危険と判断する地盤に住んでいるため被災します。経済的にも壊滅するでしょう。しかし、もしその7割の方が安全な場所に移れば、それだけ被害は減るのです。大地震が来ることを前提とした移住促進を目指したい。」
地盤ネットホールディングスは良い地盤の情報や、そういった地盤にある物件情報を提供する。
もちろん移住を強制することはできないため、大切なのは個人の意識を変えることだ。災害に強い場所に住む重要性に気付けば、きっと人は行動を起こすと山本社長はみる。
「地盤の安全なエリアは、今多くの人が住んでいるところに比べ安価な場所が多いのです。これからは、今なら安全を安く買えるということや、住みたくなるようなメッセージを皆さんに届けていきたいですね。」
各地で災害が続く中、自社の企画した土地を販売したい既存の不動産会社とは異なる立ち位置にある地盤ネットホールディングスへの期待は、安全な居住地を求める生活者からも高まっている。
「土地を選ぶことが、長く住み続けることにも、命を守ることにもつながることに気付く人は増えてくるでしょう。私たちはそんな方たちに正しい情報を届けたい。目に見えない地盤についての情報格差をなくし、安全を求める方たちのお手伝いをしたいと思っています。」
人は必ず地盤の上に住んでいる。安全な暮らしをあらゆる人に提供するため山本社長は今後、日本はもとより世界中の地盤を視野に入れて進み続けるだろう。
山本 強(やまもと・つよし)/1966年生まれ、大阪府出身。関西学院大学法学部卒業。1990年、証券会社に新卒入社。1994年にアイフルホームテクノロジー(現LIXIL住宅研究所)に転職し、1997年に子会社に出向する。2007年独立、2008年に地盤ネットを起業。2012年東証マザーズ上場。2014年、地盤ネットホールディングスに社名変更する。