大工の数が減っている。2020年時点で国内の大工数は30万人弱となっており、過去20年間で約半数となった(※)。待遇の悪さによって若い世代が育たず、高齢化が進んでいることから、今後の新築や既存建築物の修繕への影響が懸念されている。
(※)国勢調査 令和2年国勢調査 抽出詳細集計 (主な内容:就業者の産業・職業(小・中分類)など)
そのような業界の中で、さまざまな改革を試みているのが、近畿圏を中心に造作や新築、リフォームといった大工仕事全般を手がけている大垣林業株式会社だ。先代から社長を継いだばかりの川端賢三氏がなくてはならない企業になるため、どのような思いで改革を推し進めているのか話を伺った。
大手からのオファーを断り一族経営企業の役員に
ーー社長に就任されて間もないですが、これまでの経緯を教えてください。
川端 賢三:
弊社は2024年で創業60周年、私が入社して40年になります。以前は一族経営の会社で、創業者である初代と、その息子が2代目社長として経営を担っていました。私は3代目にあたります。
40年前に入社したときには、町の材木店のような木に関する業務を手がけていました。私も製材や配達、現場監督、営業とさまざまな部署を歩んできましたが、ちょうど営業をしていた頃に「この会社は今のままでいいのか」と疑問を持つようになったのです。
当時はお客様が少なかったので、新規開拓が必要でした。そこで工事現場に立てられている看板を見て、担当の工務店を調べ、そこに飛び込みで営業をするということを始めました。もちろん、最初から仕事を取れたわけではありません。それでも足繁く通うことで、1年後には仕事をいただけるようになりました。
そういった営業を繰り返しながら、徐々に大手企業にもアプローチをかけて取引先を増やしました。その結果、当初8人だった社員も25人近くになり、業界ではそこそこの規模の会社になったわけです。
同時に私の役職も上がっていき、取締役に就任しました。実は取締役になる前に、大手から「年間3億は仕事を回すから独立しないか」といったお誘いもあったのです。しかし、初代に育てていただいた恩義もあったのでお断りし、創業者一族のみで構成されていた役員の中に私が入ることになりました。
保守的な先代の退任後、即座に社内改革に着手
ーー社長に就任されてからはいかがでしょうか。
川端 賢三:
前社長は非常に保守的な方で、退任するまでの二十数年間、新しいことにチャレンジがまったくできない状態でした。たとえば東京での仕事が増えてきたので「東京に事業所を出せば、これだけの仕事が取れる」と説明をしても、二の足を踏んで先に進まない。仕方なく、東京に通って仕事を増やしていきました。
そんな経緯があったので、私が社長に就任後、すぐに行動に移したことがいくつかあります。
まずはキャリア人材を早急に補充する必要があったため、九州の会社で役員をしていた取引先の方を雇用しました。
次に始めたのが、これまで一切やってこなかった学校周り、要するに新卒学生の就職先として弊社を選んでもらうための活動です。
そして、事業の拡大。弊社の仕事は大きく「木工事」と「建具・家具・床工事」に分けられ、木工事以外は協力会社に施工してもらっていました。今後は自社でこれらの工事もできるようにしたいということで、現在、床工事会社の社長とトップ数人のヘッドハンティングをしているところです。こうやって自社で内製できる工種を一つずつ増やし、事業拡大を図っています。
誰もやらないような仕事に活路を見出す
ーー社内への新しい取り組みについてお聞かせください。
川端 賢三:
健康診断、給与、研修などを見直しました。表面上だけの健康診断は意味がないと判断し、全社員に人間ドックの受診を推奨しています。費用は跳ね上がりましたが、社内の高齢化も進んでいるので、徹底的に体のチェックやケアをすることで長く働いてもらいたいという思いがあります。
給与に関しては、従来の手当を減らし、基本給を上げる方向に変えようとしているところです。以前は60歳の定年以降は給与を15%減らしていたのですが、65歳までは現状維持し、さらに成果を上げた社員にはプラスアルファで支払うようにしています。
研修も、今まではやっていなかった取り組みです。たとえば材料を製造しているグループ会社を見学して、その仕組みや製造工程を知ることで、仕事の幅を広げられるようにしています。
ーー貴社は文化財の修復や古民家再生など幅広く取り組まれていますがなぜでしょうか?
川端 賢三:
ややこしい仕事が得意なんですよね。25年前から他人があまりやらないような仕事、手間のかかる仕事を積極的に取ることで事業展開を変えていこうとしてきました。
たとえば、2021年には飛騨高山にあるアートギャラリーリゾートの仕事を、どこも請け負うところがないということで、弊社に声がかかった。その仕事を無事に納めたことで「大垣林業はこんなことができる」という口コミが広がりました。
また、丹波篠山にある老舗の豆卸店や、神戸にある昭和の名建築といった重要文化財・指定文化財の修復も手がけています。
「あのマンションをつくった」「このビルを建てた」といった、当たり前の仕事ではいずれ忘れられてしまいますが、文化財のような建築物であれば、苦労が多い分、記録として残る。報われる仕事だと思っています。
10年間で徹底的に改革し、次世代につなげていきたい
ーー今後の目標についてお聞かせください。
川端 賢三:
今後10年間で後継者をつくること、人材を育てること、事業を増やすことを目標に掲げています。実は私は会社のオーナーではありません。これまでの手腕が認められ、代表取締役としてすべてを任されています。
オーナーでないことのメリットは、思い切った社内改革と社員への手厚い還元ができることです。たとえば、設備投資をする時の判断も、オーナーかそうでないかで同じ中小企業でも経営判断の軸が異なるのではないでしょうか。
私の場合は年収が決まっているので、頑張っても頑張らなくても給料は同じなんですが、会社が好きで楽しいですし、今後10年で改革を進めていくのも、従業員のことが好きだからです。そして次の社長が私と同じ意思を継いでくれれば、会社はどんどん伸びていくと思っています。
編集後記
20年以上もの間、保守的な先代社長の下で堅忍してきた川端社長。3代目社長に就任したときには、従業員や取引先から大きな歓迎を受けたという。
「5年後にもう一度取材に来てください。年商がどれくらい伸びた、どれだけ事業を広げられたといった変化をお話しできると思います」
10年後の会社の姿を見据え、なくてはならない企業になる、その志の下さまざまな改革を推し進めている川端社長のこれからに注目したい。
川端 賢三(かわばた・けんぞう)/1963年2月16日、奈良県生まれ。トラックの運転手、木材の製材、その後現場管理者の経験後、1984年5月に大垣林業株式会社に入社。営業で功績を残し、1998年7月に常務取締役、2023年に社長に就任。