-まずは、自己紹介をお願いいたします。
阪井社長
私が生まれたのは、現在の会社の本社所在地です。
当時は個人経営だったため、自宅敷地内に工場や倉庫がありました。
現在は小学生から大学生まで、子どもが4人います。
家庭の用事は妻と調整しながら対応していますが、何も予定がない日は土日も会社に出ていますね。
趣味はショッピングなどに置いてポイントカードを貯めていくポイント活動と為替や投信などの投資です。
為替取引と株取引は経済の動向を肌身で感じるために大学時代に始めました。
音楽ライブの鑑賞も好きで、一番上の子とはときどきライブに行っています。
私も中学3年から大学時代までは、ギターを弾いていました。
稲盛和夫氏やスティーブ・ジョブス氏など、さまざまな経営者、企業に関する本も読んでいます。
特定の経営者、企業にこだわり過ぎないよう意識しながら、幅広い事例を参考にしています。
地元・和歌山県の経営者系団体にも積極的に参加し、地元中小企業の社長の方々とも交流しています。
創業のきっかけは高野山参拝者への飲料提供
-貴社は創業112年の老舗ですが、創業の経緯など、ご存知のエピソードはありますか。
阪井社長
弊社は、日本仏教の一大聖地である高野山の参拝者に瓶詰めのラムネやサイダー、みかん水を提供したのが始まりだったそうです。
家の前を流れる川に橋ができるまでは参拝者を船で渡していたのですが、これらの飲料には船を待つ人々の需要がありました。
昔は物流が発達していなかったので、昭和の最盛期は和歌山県内だけでも80社以上の飲料会社が存在したと聞いています。
昭和の中期からは自動販売機や街の商店、スーパーなどに自社製品を卸していたのですが、大手のビール会社などが飲料に取り組み始めたことで売りにくくなってきました。
そのタイミングでペットボトル飲料の製造を開始し、とある大手企業からの受託が縮小した状況に合わせてプライベートブランド品の受託製造に舵を切りました。
大学時代から生産、品質管理、経営管理の仕事に従事
-会社を継ごうと考えたのは、いつだったのでしょうか。
阪井社長
高校から大阪に出たのですが、大学3年のときに実家から電話があって呼び戻されました。
帰ってみると立派な工場ができていて、その日が竣工式でした。
当社初のペットボトル飲料の製造工場で、個人経営だった会社は法人になっていました。
当時、日本ではペットボトル飲料の製造認可が下りたばかりでした。
ただ、あまりにも人が足りず、工場をつくってくれた人たちが製造現場にも入っていました。
そこで、自分もそのまま実家から大学に通いながら仕事を手伝うことにしました。
小学生の頃から、工場の仕事が終わらないと夕食を食べられなかったので、仕事を手伝うことには抵抗感がありませんでした。
昔は部署の垣根もなかったので、大学時代から生産、品質管理、経営管理と全部の仕事に関わりました。
とある大手企業が企画を持ち込んだ製品の製造を担っていたことから、同社の品質管理のノウハウを得ることができ、自社に品質管理室を立ち上げました。
正式に入社したのは、大学を卒業した22歳のときです。
営業は父が統括しており、私は製造部長を経て常務取締役品質保証本部長に就任しました。
2014年に社長を引き継ぎ、もう10年になります。
-仕事を手伝うようになってから、苦労されたことはありますか。
阪井社長
ペットボトル飲料の工場は当初、朝から夕まで週2、3日の稼働で、それほど大変ではありませんでした。
しかし、大手流通系などプライベートブランド品の受託をきっかけに、非常に忙しくなってきました。
当時、大手飲料メーカーの製品を作っている会社は、業界内のパワーバランスの問題でプライベートブランド品の製造には進出できませんでした。
ただ、当時の既存取引先に大手飲料メーカーはなかったので、プライベートブランド品を開拓・受託していくことにしました。
それに伴って工場を24時間稼働する必要があったのですが、周囲はあまりいい顔をしませんでした。
それでも、大学時代に深夜営業もあるファミリーレストランでほとんど寝ずにアルバイトをしていた経験から、やれば出来ると考え24時間稼働を断行しました。
地元では24時間稼働の工場が珍しかったので、騒音などに対しての近隣の目は厳しいものがありました。
また、当時の工場は衛生面などで大手メーカーから指摘を受けていたこともあり、それらの課題をすべて解決するため、高野山麓かつらぎ工場を建設し移転をすることにしました。
2004年の移転後は大手メーカーからも見学が相次ぎ、新たな取引も生まれました。
会社ごとに要望事項が異なっていたので、新たな製品製造の取引に必要な、工場の建築や生産設備の設計の打ち合わせに時間を費やし生産活動との両立に苦しみました。
それでも、すべての要望を満たす努力を重ね、評価を得ることができました。
プライベートブランド品や小ロット多品種の製造に軸足
-国内有数の飲料の受託製造会社として、ビジネスの特色、強みを教えてください。
阪井社長
飲料業界は大手メーカーと受託生産工場に分かれ、大きな受託生産工場は大手品の製造を受託しています。
弊社はどちらかと言うと、プライベートブランド品や小ロット多品種の製造に軸足を置いています。
現在は8割くらいがプライベートブランド品の受託ですが、言われたものを黙って作るだけでなく、開発段階から積極的に意見を出しているのが特色であり、強みです。
そうして新しい商品をたくさん生み出し、地方のご当地飲料製造も開発から引き受けています。
-飲料業界の商流と将来性をどのように認識し、どんなことに取り組まれていますか。
阪井社長
業界では合理化が進行し、工場は大規模化しています。
弊社の動きはある意味で逆行していますが、小ロット品の生産に加えて企画・開発なども担っていることで、お客様に喜ばれています。
もちろん、大きいロットの製造を受けないということではありませんが、小ロットでも生産できることが切り札になっています。
そのため、大量生産を積極的に追うつもりはありません。
東京の拠点は私の弟が担当している営業所だけで、私自身は経営と生産部門を見ています。
高い品質を維持するためには、会社を大きくし過ぎてもいけないと考えています。
だから、生産性向上などの目標は設定しているものの、売上や規模などの目標は立てていません。
自分たちの強みを活かしながら地域の皆様に愛され、長く取引していただける会社であり続けたいですね。
-今後の経営ビジョンについて、お聞かせいただけますか。
阪井社長
少ない営業でも長くお客様を担当し、お客様の懐に深く入っていくことをイメージしています。
大手のお客様の場合、担当者の方が頻繁に変わることもあるので、弊社から先方に取引状況などを説明することもあります。
これからも業界とお客様のことを深く理解し、有益な提言をしていきたいと考えています。
一人ひとりが希望するキャリアデザインを叶えたい
-貴社に入社した場合、どのようなキャリアデザインを描けますか。
阪井社長
飲料業界のプレイヤーは少なく、非常にニッチと言えます。
飲料でしか活かせないスキルが多く、この業界の中でステップアップしていくのが一般的です。
キャリア形成に関しては、その人の経歴とスキル、人となりを把握し、本人の希望も可能な限り叶えるようにしています。
OJTの後、ヒアリングを実施した上で正式配属しますが、初期配属でスペシャリストになるケースや異動を経てゼネラリストになるケースもあります。
一方、フォークリフトの運転技能など汎用的なスキルに加え、資材の受発注をはじめとする事務作業や製品の発送など全体を俯瞰して運用する能力が身につきます。
開発部隊では製品の味だけではなく、マーケティングの観点でも企画ができるようになります。
-働きがいも、非常に大きいものがあるかと思います。
阪井社長
そうですね。
家族などが何気なく買ってきた飲料が、実は弊社が製造していたということも多々あります。
もちろん機械の力も借りますが、自分たちで大量のペットボトル飲料を製造し、多くの方々の日常生活を支えられることが魅力です。
-貴社が求める社員の人物像があれば、ご教示ください。
阪井社長
まずは適材適所で、一人ひとりに合う場所に配属したいという思いがあります。
その上で、飲料は装置産業的な面があるため、機械などが好きな人や、希望的観測を入れず事実に基づいた判断ができる人を求めています。
常に事実確認や物事に疑問を持ち、さまざまな計画を同時並行で進められる人が望ましいですね。
中にはリスケジュールや延期になるものも出てきますが、そういったことに一喜一憂することなく前向きに動ける人をお待ちしています。