2020年に始まった新型コロナウイルスの感染拡大により、飲食業は大きな転換期を迎えた。会食が減り人々の食事へのニーズが変わるなか、大きな変革を行いこの難局に立ち向かったのがすき焼の老舗、株式会社人形町今半だ。
100年の時を越えて愛されてきた人形町今半が、長きにわたり人々から愛され続ける理由とは一体何なのか。代表取締役社長の髙岡哲郎氏に、コロナ禍によって見えた同社の弱さと強さ、そして今後の目指す先などを聞いた。
企業の成長に必要な「モードチェンジ」の考え方
――貴社はお父様からお兄様へ、そして現在は高岡社長へと社長を引き継がれていますが、事業継承について詳しいお話をお聞かせください。
髙岡哲郎:
弊社は120年以上前に牛鍋屋として創業したのが始まりで、人形町今半という名前で父が会社を設立したのは1956年のことです。それから父が会社を40年以上経営し、その後兄が社長を継承しました。
現在は兄が会長になり私が社長をしていますが、私はあと10年ほど続けたら次の世代に引き継ぎたいと考えています。同じ人が長く社長を続けるのも企業の在り方の1つですが、私は新しい感覚を持っている人に社長を任せていったほうが良いと思っています。
2020年からのコロナ禍を通して、この業界の弱さが本当によく見えました。今までの人形町今半を、新しい世界にどのように適合させるのかが今後は課題となります。
この課題について考えたとき、コロナ禍前後で同じ人が経営者を続けるよりも、新しい形にモードチェンジしたほうが良いのではないかと考えて社長を兄から私へと交代しました。
コロナ禍において見えてきた課題
――コロナ禍において見えてきた課題とは、どういったものだったのでしょうか。
髙岡哲郎:
コロナ禍のなかで見えたのが、人形町今半が人流というものに頼りすぎている業態だということです。イートインや人の集まりなどの直接的なコミュニケーションを基盤にしたビジネスに特化していたので、人流に支えられる食事の場が激減したときに弱さを実感しました。
今までの人形町今半は、法人のお客様の集いが最も多く、その次が会合、そしてご家族といった順列でした。それが、コロナ禍において最も割合が大きくなったのがご家族の食事で、最も減ったのが法人の集いだったのです。
食事のニーズが180度変わったので、ターゲットを変更せざるを得ませんでしたし、これは非常に面白いところであり、苦労したところでもありました。
コロナ前と比べて単価が倍以上になった理由
――法人向けから家族向けに変更したことで、売上は変わりましたか。
髙岡哲郎:
個人向けの売上が3倍、4倍と膨れ上がりました。たとえば弊社では、惣菜のコロッケや仕出し弁当を販売しています。美味しそうなコロッケがあれば、仕事の相手だけでなくお子さんや父親、母親など家族みんなでも食べたいですよね。ご家族の集いを生み出す商品はプライスレンジは異なりますが磨きをかけていきました。
また、今まで仕出し弁当は法人用のお弁当として重宝されていましたが、コロナ禍によって法人の集いは激減しました。そこで、家族向けの御用命を促す方向にモードチェンジをしました。
――この時期はテレワークの加速など、人々の生活に変化が起こったタイミングでもあると思います。人々の生活の変化を受けて、何か気づいたことはありますか。
髙岡哲郎:
今はコロナ禍も落ち着いてきましたが、実は法人のお客様の3割がまだ戻っていません。弊社飲食店ではお客様をお店に招いて素晴らしいテーブルサービスを提供するという考え方で営業していましたが、3割のお客様がこのサービスは不必要とご判断されているのでしょう。
ただ、客単価はとても上がりました。これは企業が「ビジネスにおける会食はより価値のあるものにしなければいけない」とご判断され、会食の際には本当に価値あるところにお金をかけるようになったからだと思っています。
客単価だけでなく、短い時間でより良い時間を過ごそうという考え方のお客様も増えたので、ランチタイムを軸に回転率も上がりました。コロナ禍を経て人々の食に対する意識が変わったのは、むしろチャンスだと感じています。
目指すのは食を通して五感で幸せを感じてもらうこと
――今後どのような人形町今半をつくっていきたいですか。
髙岡哲郎:
弊社が目指しているのは、お客様に幸せになってもらうことです。では、幸せとは何なのかというと、ゴールではなくプロセスとアクションなのではないかと思っています。
たとえば弊社ではテイクアウト用にあんみつをつくっていますが、寒天や牛皮、お麩などの材料は全て小袋に分けてお渡ししています。理由は、すべてまとめて入れると具材が液化して、食材の力が弱くなってしまうからです。それぞれをトッピングする手間をかけることで、食材の食感や香りが明確になり、咀嚼するときに幸せが湧き出ることを願っています。
『海の幸』『山の幸』という言葉がありますように、食べるまでの手間やプロセスをお客様が楽しみ、幸せを感じられるような商品こそが『幸』であり、そういった商品を生み出し続けることが大切だと考えています。
編集後記
“五感を科学してときめきを見出そう”をテーマに掲げている髙岡社長。そのときめきを生み出す源泉の1つは、今半の従業員がお互いを“信頼する力”であると話す。
相手の仕事を信頼し、相手が信頼する仕事を続けることが、結果的にお客様の幸せにも繋がっていく。創業から128年の人形町今半が今でも人々に愛され続けているのは、顧客の幸せを願い、時代とともに変化を続けるチャレンジ精神が原点にあるからかもしれない。
髙岡哲郎(たかおか・てつろう)/1961年3月生まれ。1985年4月に株式会社人形町今半へ入社。仕入れ、和食調理、精肉調理、販売を経て株式会社東観荘へ出向し、専務取締役支配人となる。その後、米国コーネル大学PDPスクールに留学し、英国のホテルダイニングのオペレーションアドバイザー及びブライダルケータリングに従事。1991年10月に帰国後、人形町今半新宿ルミネ店にて取締役店長就任。2018年6月に代表取締役副社長 兼営業本部長 兼 経営企画室長就任後、2023年7月現職である代表取締役社長に就任。