※本ページ内の情報は2023年12月時点のものです。

大阪府大阪市を中心に、地域社会に根ざす、みとうメディカルグループ。小さな薬局から始まり、薬局事業、介護事業、スクール事業、保育事業、そして今後は外国人材の活躍の場を広げるために外国人材の活用にも着手する。

介護分野への進出は、高齢者の方々から直接聞いた「日常生活への不安」を解消したいという思いから生まれた。また、保育園が足りないという声をすくい上げ、3階建ての保育園も作った。まさに地域社会で多世代にわたる人々のサポートを行っている。

「お客さまが抱える日常生活への不安を少しでも解消したい」という思いを、実践に移してきた倉岡多社長。その経営理念とは。

物欲や欲がないので大変だと思ったことがない

ーー社長になった経緯を教えてください。

倉岡多:
実家の豆腐屋は兄弟が経営しており、私は東京の大学に通い、卒業後に薬剤師になったのですが、兄が「この近くで店をやれ」と、26歳の頃に店を買ってくれました。

当時は、今みたいに大きいドラッグストアがなかったので、毎日朝から夜まで整理をして、雑貨を売って、また片づけているような仕事でした。化粧品も置いてたので、美容部員さんがいた時もありました。

薬局製剤を作って売ったり、漢方を売ったりしていたこともあります。その後、薬剤師は患者さんの身体に直接触れられないので、まず29歳から35歳まで鍼灸の学校に行きました。そして鍼灸師になったあとは、45歳から接骨院の専門学校へ行って、もう学校ばかり。社長業兼学生という形で薬局の店舗を3店舗経営しながら学校へ行ってましたね。

しかし、全くプライベートがなかったわけではありません。私は釣りが好きなので夜中の2時ごろ釣りに行って帰ってきて、次の朝9時に店を開けて仕事をし、昼から専門学校に行って帰ってきて、また夕方5時から9時まで店で働く。というような生活を送っていました。

店の仕事をしながら鍼の本を読むこともありました。そうしているうちに、近くの大きい病院が院外処方になったので調剤にだんだんシフトして、店舗展開に至りました。

ーー事業を展開するまでの経緯は大変でしたか?

倉岡多:
大変だと思ったことがない。挫折したことがないのです。悔しいと思ったこともないですね。物欲もないし、金銭欲もないし、何の欲もない。趣味はいっぱいあるけど、そのための時間がないから悔しくて、腹立つということもない。趣味は山や自然に触れたり、料理とか、本の拾い読みだから、私はほんとにお金を使いません。

「薬局」「保育」「介護」「教育部門」の4つがうちの柱になります。それをしっかりまとめていくという形にしてるんですけど、これも周りからやってと言われてやってるだけなんです。保育園に関しても、保母さんがうちで働いていたので、受付の方に子どもができたときに子守用にひと部屋借りて、そこが社員の企業保育になったのです。

社員に幸せになってほしい

ーー仕事の動機は?

倉岡多:
うちは夜勤の社員もいるので「今頃仕事してくれてるよなあ」って思って毎晩眠りについています。頭の中には感謝の気持ちと、社員の皆に幸せになってほしいという気持ちが根底にあるんです。

介護に携わる方は大人しくて、あまり会話が得意じゃないことが多いため、喋れるようにするためにどうしたらいいか、など考えていますね。

ーー働きやすい職場にする工夫は?

倉岡多:
毎週木曜日の朝の7時半から8時半までは、早朝に勉強会を開いています。1か月に4回、担当する幹事が仕切って、社員それぞれに何かしら喋ってもらいます。

なにを話してもよく、仕事のことでも、子どもができた話や犬を飼ったことなど、喋るのが得意ではない方でもコミュニケーションができる環境を作ろうとしています。この勉強会はコロナ禍までもう何年も続いていました。

他にも、フットサルやゴルフ、山歩きに、飲み会、鉄板を置いた焼き肉会などいろいろ開催しています。外国人の正社員を対象に旅行へ連れていったこともあるんですよ。

やっぱり、祖国では経験できないことをさせてあげたいんです。例えば、ブータンでは湖や川で泳げないと聞いたので、水着を持ってプールに連れていったら大喜びしてくれました。

皆にいい会社だと思ってもらうために、何か日常から離れたこと、次はフットサル、その次は山登り、そのまた次は焼き肉会というように、次々と計画を立てるんです。

山は苦手だから嫌だけど焼肉だったら行きたいとか、それぞれ自分が気に入ったものに参加してもらえるといいですよね。参加を押し付けないように気をつけながらイベントを組んでいます。

私は人たらしというか、人が好きなんです。例えば、趣味で麻雀をやりますが、そこから2人をお誘いして今うちで働いてもらっています。

地域密着、地産地消

ーー地域の皆様から愛されている理由

倉岡多:
兄たちの豆腐屋が5、6件あったので、私は豆腐屋の息子と言われて親しまれていました。私が大学へ行くと「この子はこんなに偉くなった」と、近所の人にはよく言ってもらっていました。そう言ってくれていたおじいちゃん、おばあちゃんが今、我々の施設に入っています。

うちでは小さいグループホームそれぞれに入居者の方が18人いらっしゃるのですが、すべて地域密着型なんです。地域の人を採用してあげたほうがいいと考えているので、別の地域への展開をお断りしたこともあります。

車で40分〜1時間以内で移動できるところで運営するのが私の理念というのもありますが、うちが経営する保育所で育った子どもたちが仕事をできるくらい成長するまで近くで見守るのが私のつとめだと思っています。

ーー介護施設を経営する上でこだわりはありますか?

倉岡多:
すべて自前調理にこだわっています。地産地消と少し似ていますが、地域のおじいちゃん、おばあちゃんに手伝いに来てもらっています。自前調理は毎日の食材の買い出しが大変なんですけどね。

保育園は基準が厳しいので外に委託しないと難しいですが、老人ホームでは利用者さんと一緒に野菜切ったり、果物の皮を剥いたりしたいんです。自分たちと一緒に地域の人たちや利用者さんに喜んでもらいたい。

自分たちで作っていると、家庭の匂いや雰囲気も体験してもらえるし、私自身も料理が好きなので、レンジでチンしたものを他の人に食べさせたくないですよね。

編集後記

地元の豆腐屋出身で、地域の薬剤師となり、その後、鍼灸、接骨業などの事業展開を経て、薬局から介護事業へと広げた倉岡多社長。その過程で挫折や悔しさを感じることがなかったと語る。

社員への感謝と幸福な職場づくりに奔走し、社員とのコミュニケーションイベントを通じ、職場での関係づくりを奨励し、地域の人々から愛される組織作りを心がけている。

地域密着と地産地消という倉岡多社長の経営哲学は、地域社会における真のリーダーシップと、人々を結びつける力の重要性を示すものであり、我々に多くの示唆をもたらしてくれる。

倉岡多(くらおか・まさる)/1947年大阪府にある豆腐屋の息子として生まれる。北里大学薬学部卒業後、1972年「みとう薬局」を開店。1988年組織名を「みとうメディカル株式会社」に変更し、次々と店舗を展開。以後、介護施設、保育園、教育機関を作り、地域にさまざまなサービスを提供している。