※本ページ内の情報は2024年1月時点のものです。

日本の呉服業界は縮小傾向にある。矢野経済研究所の調査によると、呉服市場の売り上げは1980年前後のピーク時に1兆8000億円だったのに対し、2022年にはおよそ2200億円に見込まれると、大幅に減少している。

そんな中、京都を中心に呉服や和装小物の販売を行い、創業400年以上という深い歴史を持つ老舗呉服店が、株式会社ゑり善だ。

正しい商いをするという意味の「正商」という信念を大切にしてきた同社は、多くの方々の信頼によって今日まで続けることができたのだという。

若い世代に少しでも着物に触れてもらう機会を増やせるよう、着物文化を発信し続ける亀井社長の思いを聞いた。

創業440年のゑり善の歴史・前職で得た学び

ーーまずはゑり善の社史や事業内容についてご説明いただけますでしょうか。

亀井彬:
弊社は本能寺の変の2年後、天正12年(1584年)に京都で創業いたしました。ゑり善の「ゑり」は、弊社が半襟と言う着物の下に着る長襦袢に取り付けるえりの販売をしていたことに由来しています。

正岡子規に師事していた俳人、河東碧梧桐が弊社の主人宛にあてた書に「半襟は衣裳より費を惜しまず掛けしぶらず」というものがあります。半襟はおしろいや汗によって着物が汚れないようにするためのもので、いわゆる消耗品です。

この書では、こうしたわずかにしか見えない部分にこそ、こだわっておしゃれをすること。そして、それを大切な日に使ってこそ価値がある。という意味が込められています。こうした「見えないところのお洒落を楽しむ」というところが日本人らしい美意識だと思います。

弊社が株式会社として設立したのは、昭和22年(1947年)のことです。戦後の物が十分にない時代でしたが、人々に必要とされるものを提供するという志のもと、株式会社ゑり善を設立いたしました。

ーー先祖代々家業を営んでいらっしゃいますが、いつ頃から経営者になることを意識されていらっしゃったのですか。

亀井彬:
会社を継ぐことはおそらく物心ついた頃から意識していたと思います。

父から「家業を継ぎなさい」と言われたことは一度もありませんでしたが、長男として生まれてきたので、いずれは自分も同じ仕事をするのかなと感じていました。

ーー幼少期から事業を引き継ぐことを意識されていらっしゃったということですが、大学卒業後は一般企業に就職されていますね。

亀井彬:
呉服店と同じように商品を売って終わりではなく、お客様にしっかりと向き合い、長くご関係が続くような仕事を軸に、就職活動をしていました。

また、これからの時代に合った経営を行うためにはIT分野にも触れておくべきだと考え、システム会社に入社を決めました。システムは売って終わりではなく、その後の保守点検などでお客様との関係を保ち続けなければいけませんので、こうした泥臭さがいいなと思いました。

ーー前職での経験が家業に活きた経験はありますか。

亀井彬:
前職では流通業向けのシステムの開発や営業に携わりました。法改正や財務に関することなど、システムの観点だけでなく、お客様が困っていることにあらゆる角度から提案できるプロフェッショナルの方がとても多くおられたことが強く印象に残っております。

これを家業に置き換えて考えたときに、着物に関してお客様のあらゆる相談に対してアドバイスできる存在になるべきだと感じました。

ーー家業を継がれて前職とのギャップを感じられた部分はありましたか。

亀井彬:
前職はB to Bであり、現在はB to Cの商いに携わっているという違いもございますが、弊社のような仕事の方がお客様とのつながりがより濃密かもしれません。「深く」「長い」お客様とのご縁を感じております。

そのため、販売して終わりというのではなく、お納めした後も、お客様のお声を伺いながら
着物を着る楽しさを伝え続けることが私たちの大きな役割であると認識しています。

私自身が毎日着物を着用しているのも、少しでも多くの方に着物に興味を持っていただきたいという思いからです。

ゑり善の経営方針・亀井社長が大切にしていること

ーー貴社の経営方針についてお聞かせいただけますか。

亀井彬:
弊社には50年以上変わらない育成方針がございます。それは「気付きと実行」というものです。

一方的に会社や先輩から与えられるのを待つのではなく、自ら周りの方のちょっとした変化に気づき、気づいたことから、何か少しでもよいので行動に移すこと。とにかく行動しないことには何も始まらないですし、行動しなければ失敗することもできないので学びを得られません。

また、弊社が代々大切にしてきた言葉に「正商(せいしょう)」があります。これはお客様に真っ当なお品やサービスを提供し、正しい価格でお届けするということです。

時代が移り変わっても正直な商いでお客様に寄り添い続けてきたからこそ、今があるのではないかと思っております。

ーー亀井社長が会社を運営するうえで大切にされていることについてお聞かせください。

亀井彬:
一緒に働いている方には「お客様のお役に立ちたい」という気持ちが大切だと日頃から伝えています。

着物の専門知識を有していることも重要ですが、お客様お一人おひとりに合ったご提案ができるかどうかが、呉服を販売する者に必要な素質だと思っています。

そのためには、お客様の着物に対する想いを聞き出すヒアリング能力と、こんなシーンでこの着物をお召になったらどうかといったイメージする力が重要なのです。

着物は人生の大切な節目を彩るものなので「ゑり善に任せてよかった」と思っていただけるよう、お客様のご要望に沿ったアドバイスができるよう日々努めております。

一時的な利益を求めて販売するのではなく、長い目で見て、お客様に着物を愉しんでいただくために、お役に立てているかどうかを考え続けてきたからこそ、結果的にお客様から信頼をいただき、ご縁が続いているのかもしれません。

お客様の中には親子5代にわたってお付き合いのあるお客様もおられます。

本当に感謝の気持ちでいっぱいになるとともに、これからもお役に立てるようにと身が引き締まる思いです。

ーー新型コロナウイルス感染症が流行していた頃は営業自粛を余儀なくされたと思いますが、このときはどういったお気持ちでしたか。

亀井彬:
弊社はコロナ禍でもほとんど営業をとめることはありませんでした。

会社を心配してご来店くださる方、普段と変わらないちょっとしたお話をしに来てくださる方などが訪れてくださいました。

それまで何気なく目にしてきた、お客様がご来店してくださること、そして着物を楽しむためにお品物をご購入いただけることが当たり前のことではないということに気づくことができました。

これは経営者として、とてもよい経験をさせていただいたと実感しております。

老舗呉服店ゑり善の今後について

ーー人材採用についてはどのようにお考えなのでしょうか。

亀井彬:
日本の文化である着物というものに興味関心を持ってくださる方とのご縁で成り立っております。新卒採用がメインではございますが、中途採用も含めてこれまでにも様々なご縁がございました

日々続けていることとして、地元の大学やイベントには積極的に顔を出し、学生の皆さんとコミニケーションを取るようにしております。

着物という価値観が今の若い世代の方にも受け入れられるのか。お話を通して、私たちにとっても多くの気づきがありますし、その中で着物や弊社に興味をもっていただいた方が採用につながっています。

呉服業界は70歳を越えても現役で働かれている方が多いのですが、そうした方々の貴重な体験談や知識を引き継いでいけるように、弊社では毎年若い方にもご入社いただいております。ベテラン・中堅に加えて、年齢層の若い方も多くおられますので、20代の方でもなじみやすい環境なのではないかと思います。

ーー今後のビジョンについてお聞かせいただけますか。

亀井彬:
残念ながら呉服業界の縮小は深刻な状況といえます。その中で、着物という文化を次の世代の方にどのようにして引き継いでいくのか。私たち着物の専門店にできることは何かを模索する日々です。

そんな中で、改めて着物の魅力をあらゆる角度から見つめ直し、再定義をして発信し、一人でも多くの方に着物を身近に感じてもらえるための取り組みに挑戦をしております。

その取り組みのひとつが、学生さんたちと取り組んだ「タンスに眠る物語」という企画です。タンスに眠る物語とは、学生さんたちが自分たちのおばあちゃんやおかあさん、ご家族にタンスに眠っている着物にまつわる思い出を聞くというものです。

たとえば、おばあちゃんが若い頃に夏祭りにこの着物を着ていった…などその着物にまつわる思い出話を聞くことで、若い世代の方々だけでなく、そのご家族の方にも着物の価値観を見つめなおしていただくひと時になればと願っております。

私たちはこれまで本当に多くのお客様に支えられ、お着物を装うという楽しみをたくさん教えていただきました。着物が生活から遠い存在と感じるお方が少し多くなっている現代においては、お客様から教えていただいたその楽しみをこれからは私たちが、周りの方に発信していく役割を担っていきたいと感じております。

これから先も美しい着物姿の方を街で見かけることが当たり前であるように、ベテランから若い世代まで、着物のプロフェッショナルを目指して、日本の美意識を伝え続けます。

編集後記

着物を見ることが少なくなる中、少しでも触れる機会を増やせればと、自ら毎日着物を着用しているという亀井社長。

幼少期から家業を継ぐことを意識していたというエピソードも含め、着物文化の継承に対する思いの強さをひしひしと感じた。

良い商品を適正な価格で提供する、「正商」という信念を大切にする株式会社ゑり善は、これからも着物に込められた日本人の美意識を後世に伝えて続けてくれることだろう。

亀井彬(かめい・あきら)/1987年生まれ。同志社大学商学科卒。ゼミではフィールドワークを中心に、創業100年を超える京都のファミリービジネスの事業承継について研究。大学卒業後は日本ユニシス(現:BIPROGY株式会社)に入社し、東京本社で勤務。システムエンジニアや営業として経験を積む。2013年に株式会社ゑり善に入社、2017年に専務取締役、2021年に代表取締役に就任。