※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

日本では欧米の新薬が国内に入ってこない「ドラッグ・ロス」と、承認されるまで時間がかかる「ドラッグ・ラグ」が深刻だ。医薬産業政策研究所の発表によると、2020年までの5年間に欧米で承認された新薬のうち、72%にあたる176品目が日本で未承認となっている。

そんな中、アジアや欧州、米国に事業展開し、創薬から臨床開発、製造販売後の育薬まで一気通貫でサービスを提供しているのが、株式会社リニカルだ。

同社は製薬会社などから依頼を受け、医薬品の開発段階で行われる臨床試験にかかわる業務を代行している医薬品開発業務受託機関(CRO)である。

医薬品開発のプロフェッショナルとして高品質なサービスを提供し、「世界中すべての患者さんへ画期的な新薬を届ける」という理念のもと、新薬開発サービスを提供する、創業者の秦野和浩氏の思いを聞いた。

持病で苦しむ祖母の姿を見て医薬品開発の道へ

ーー医薬の道に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。

秦野和浩:
祖母がリウマチで長年苦しんでいましたが、当時は特効薬が存在していませんでした。そこで、新薬の開発をする仕事をしようと思ったのがきっかけです。

星薬科大学に入学し、卒業後はマルホ株式会社で皮膚疾患向けの医薬品の開発を行い、その後、藤沢薬品工業株式会社(現アステラス製薬株式会社)が免疫に関する画期的な新薬を開発していると聞き、ぜひその開発に携わりたいと思い、転職しました。

会社の合併を機に独立し、仲間と共にグローバルCROを起業

ーー製薬メーカーから独立するパターンはとても珍しいと思うのですが、起業するきっかけは何だったのですか。

秦野和浩:
藤沢薬品で、免疫拒絶反応を死語にした新薬、FK506の開発に携わりました。この薬は米国をはじめ海外で販売され、多くの方から感謝の手紙が届きました。

日本で開発された薬が世界の患者さんたちの人生を変えたのだと感じ、グローバルでの開発の重要性を実感しました。非常に充実した毎日を送っていました。

そんなときに山之内製薬との合併が決まり、これから自分はどうしようかと考えたときに独立を決めました。それならば20年近く携わってきた医薬品開発のノウハウを活かし、グローバルで新薬を開発できるCRO(医薬品開発受託機関)を創ろうと。それから同じタイミングで退職した仲間を集めて、株式会社リニカルを立ち上げました。

ーー起業された際は事業が成功する自信はおありだったのでしょうか。

秦野和浩:
従業員9人で、「グローバルCROを創って3年で上場する」と宣言していたのですが、周りからは何を言っているんだとあきれられました。

しかし、「藤沢薬品の意志を継いで、命に関わる薬品の開発をやりたい」という大義名分ができたことで、手を貸してくれるOBの方々がきっといるだろうと思いました。こうした強い後ろ盾があれば何とかなる、という自信がありましたね。

ーー実際に目標を達成されましたが、勝因は何だと思われますか。

秦野和浩:
たった1人で起業したのではなく、9人いたからこそ知恵を合わせ、会社を軌道に乗せることができたと思っています。

藤沢薬品の元常務取締役で、リニカルでも監査役を引き受けてくださった方の紹介で、3代目社長である藤沢友吉郎さんにお会いして独立の報告をした際に、応援の言葉をいただき、藤沢薬品のロゴマークの使用を認めていただけたのも大きかったですね。

上場したタイミングでリーマンショックが起きたので赤字も覚悟しましたが、一度も赤字は経験していません。

リニカルの強みと今後の事業展開、そして読者へのメッセージ

ーー同業他社と比較して差別化できる強みは何でしょうか。

秦野和浩:
弊社はグローバル化しているため、海外の製薬会社やバイオテック企業からも依頼を受けて臨床試験を実施できるのが大きな強みです。

日本では臨床試験の数が減っており、ドラッグ・ロスと言われるほど新薬の開発が進んでいません。同じく国内のCROの大手2社がMBOをしたので、上場しているフルサービスのCROは弊社だけになりました。

海外に子会社を持っていますので、日本の製薬企業だけでなく、海外の企業から、日本にも新しい臨床試験プロジェクトを持ってこられるのが弊社ならではのメリットです。

ーー海外展開を含めたこれからの事業展開についてお教えいただけますか。

秦野和浩:
アメリカの企業をM&Aしたいと思っています。弊社のアメリカ子会社の従業員数はまだ100人なので、1つの会社として安定させるためにまずは200人まで早期に増員したいと考えています。

ーー人材育成や幹部育成についてはいかがですか。

秦野和浩:
今は出世を望む方は減っていますが、海外で活躍したいという方は多いので、できるだけ希望を叶えてあげたいと思っています。

ーー学生さんたちに伝えたいことはございますか。

秦野和浩:
英語の勉強は早いうちからしておいた方がいいよと伝えたいですね。

英語が話せれば自分の人生においても大きなアドバンテージになると思っています。たとえば能力は同じでも、海外の企業と取り引きすることになったときなどは、英語ができる人の方が評価されますよね。

ヨーロッパなどは他国と地続きなのでトリリンガルやマルチリンガルは当たり前ですが、島国である日本では英語を話せなくても生きていけます。ただ、自身の価値を高めるためには、英語を学んでおいた方がいいと思いますね。

編集後記

身近な人が苦しんでいる姿を目の当たりにし、自分の進路について考え直した結果、医薬品開発の道に進んだという秦野社長。

それから勤務していた会社の合併を機に、たった9名でCROを立ち上げ、経営は独学だったのにもかかわらず、わずか3年で上場を成し遂げた。

これからも株式会社リニカルは、ひとりでも多くの患者を救いたいという思いのもと、世界各国のパートナーと協力しながら新薬開発に貢献していくことだろう。

秦野和浩(はたの・かずひろ)/1965年生まれ、京都府出身。星薬科大学薬学部卒業。1990年にマルホ株式会社に入社、開発本部臨床開発部に所属。1999年より藤沢薬品工業株式会社(現アステラス製薬株式会社)に転職し、開発本部医学調査部にて免疫抑制剤の臨床試験に携わる。2005年に創業者として株式会社リニカルを設立し、代表取締役社長に就任。