※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

東京都豊島区池袋に本社を置くソフトウェア開発会社、株式会社パワーエッジ。

2000年に、代表の塩原正也氏がたった1人で設立した同社は、金融や飲食、アパレルなど多岐にわたる業界向けのパッケージ商品を展開し、今や連結社員数410名、売上42億円の企業グループへと成長した。

別の業界からIT業界に転進し、起業して今日まで会社を成長させてきた塩原氏に会社創設のきっかけと23年の歩みについて聞いた。

「気が付いたらこの場所にいた」時代を読んだ結果がIT業界だった

ーーIT業界を志したきっかけを教えてください。

塩原正也:
実は、IT業界で仕事をすることは自分の意志ではありませんでした。

就活中に就職情報誌を開いたところ、求人の3分の1ほどがIT業界でした。「これだけ求人があるならどこかには入れるだろう」と思い、その中で家から近くの会社を選びました。IT業界に入ったのは本当にたまたまです。入社当初はITに関する知見はゼロでした。

その後、転職を経てIT業界を3社経験しました。3社目では、大きなパッケージをイチから構築する仕事に携わり、私にとっては良いステップとなりましたが、当時の月の労働時間が300時間を超えており、そんな生活を続けることに危機感をもちました。それが、30歳を過ぎた頃でした。

起業のきっかけは当時の取引先の営業部長

ーーその後、ご自身の環境を変えるために起業を考えたのでしょうか?

塩原正也:
実はそのつもりは全くありませんでした。3社目の会社を2年で辞め、「また転職しよう」と考えて、転職活動をし、内定をいくつかもらいました。

その後、当時の取引先の営業部長に会社を辞める報告をしたところ、「辞めるなら自分で会社をやりなよ」と言われました。その時は「営業もいないし、そんな気はありません」と答えましたが、なんと彼から「それなら代わりに営業をするよ」と申し出をいただきました。加えて、彼の会社はオフィスを増床したばかりで、余っている机・いすや電話・コピー機を自由に使わせてくれたのです。

このような巡りあわせで最初の会社を立ち上げました。

会社の危機、転機となったのはリーマン・ショック

ーー今やグループ会社12社を率いる大きな会社を経営されていますが、会社が成長するための転機はありましたか?

塩原正也:
直接のきっかけはリーマン・ショックです。もともと「技術者のための会社をつくろう」と思って今の会社を設立したため、当時は専任の営業がいませんでした。そうなると、他の会社がやりたくない仕事しか受注することができません。それでも技術力があり、結果的にはどんな仕事でもできてしまうので、なんとか会社は回っていました。

とはいえ、会社規模が少しずつでも大きくなると、徐々に仕事が取りきれなくなってきます。

ちょうどその時、現在の弊社のナンバー2である西川(現:CTO)が入社しました。その西川が、当時の社内体制に問題提起をし、会社を変革してくれたのです。

ーー「社内体制の問題」とはどのようなものだったのでしょうか?

塩原正也:
僕はあまり細かいルールが好きではなくて、「やるべきことをやっていればそれで良い」というスタンスだったので、就業規則はあってないようなものでした。西川に「それはおかしい」と指摘され、勤務時間や有休管理をきっちり行うようになりました。急な変化のせいで社員の半分くらいは辞めてしまいましたが、残ったポジティブな人達のおかげで会社は一気に成長できたと思っています。

さらに、「営業がいない会社で受託だけの仕事では無理がある」と言われ、SES、つまりシステムエンジニアが取引先に常駐する委託契約の仕事を受けることにしました。その常駐型ビジネスへの転換が成功した時に、あのリーマン・ショックが起こります。その時、弊社は社員が半数ほど辞めた後だったので、余剰人員を抱えておらずダメージもほとんどありませんでした。「逆にこれはチャンスだ」と思いました。そして2009年に社員数100人を目指す「センチュリープロジェクト」というプロジェクトを立ち上げたのです。

「100人の壁」とその乗り越え方

ーー「センチュリープロジェクト」を達成するにあたって壁はありましたか?

塩原正也:
リーマン・ショックの最中でしたので、求人には困りませんでした。順調に社員数を増やしていきましたが、そのうちにいわゆる「100人の壁」にぶつかりました。採用しても採用しても誰かが代わりに辞めていき、なかなか社員数が増えない状態でした。

今考えれば分かるのですが、結局は会社の営業力が重要だったのですね。社員が辞めてしまう理由は、給料に対する不満や仕事の内容に対する不満がほとんどです。もし営業力があれば、強気な価格交渉ができ、仕事も選べるようになりますから、社員の希望にきっちりと応えることができます。たとえば20人だったら40人分、100人だったら200人分、社員数の倍くらいの営業力があれば、社員にさまざまな選択肢を与えることができ、これによって、社員の満足度を上げることができます。

弊社では、1つの顧客に片寄ることなく、様々な顧客と平均的なお付き合いを続けたことが結果的に営業力の強化につながったと思っています。1つの顧客に依存するのは営業的には楽ができますが、自分たちでコントロールすることができなくなるので、ある程度の規模を超えると厳しくなってきますね。

社員に求めることは「自己研鑽」

ーー求める人物像について教えてください。

塩原正也:
「経営志向を持った人に入社してほしい」とは思っていません。それよりは、「自分の人生は自分が頑張らなければ何の意味もない」ということに気付いてほしいと思います。面接の際の志望動機で「教育体制がしっかりしているから選びました」と言う人が多いのですが、僕は決まって「最初の言語は教えてあげるけど、その先は自分で勉強してね」と言います。

自分で勉強せずに受け身な姿勢のまま「この言語を教えてください」「この仕事をやらせてください」と言われても、経験したことがない人に仕事を任せることはありません。自分でたくさん勉強して、「これができるようになったので、やらせてください」という段階になって、初めて仕事を任せるかというラインに立てます。あくまでもプロの技術者なので、自分で能力を上げていけばどんどん上に行けますし、何もしなければそのままです。

自分を磨いていく意識は、IT業界で仕事をしていくうえで必要な姿勢だと思います。また当たり前ですが、IT業界に携わる人は世の中としても多く技術の優劣がはっきりしている競争社会だと思います。

そのなかで同じ技術力で並んでいて比べられるなら、社会人としての素養がきちんと備わっている人と仕事をしたいと思うお客様がとても多いです。

入社直後の研修でビジネスマナーを学ばせることはもちろんのこと、その後についても社会人として当たり前のことを意識して守るように先輩社員や上司が指導したりもしています。その姿勢や取り組みが評価された技術者が取引先からの信頼を勝ち取って、仕事を広げていくことで会社としても成長することができました。

編集後記

会社に降りかかるさまざまな荒波をチャンスだと捉えながら前進を続けてきた塩原氏。成功の秘訣は、衰えることのない向上心とトラブルを楽しむ好奇心にあると感じた。

その塩原氏率いる株式会社パワーエッジは、これからさらにどんな進化を遂げていくのか、今後の成長に期待だ。

塩原正也(しおはら・まさなり)/1965年東京都生まれ、早稲田大学法学部中退。ソフトウェア開発会社を3社経験し、1997年に起業。2000年に株式会社パワーエッジを設立した。現在はグループ12社に拡大。地方創生も見据えながら、さらに全国展開を目指している。