超高齢化社会の突入に伴い、医療費が高騰し、日本の医薬品業界を取り巻く環境は厳しさを増している。国民医療費の負担軽減策の1つとして、医師の処方がなくてもドラッグストアなどで購入できる「OTC医薬品」によるセルフメディケーションの普及拡大が求められている。
2005年創業の株式会社メディスンプラスは、OTC医薬品から、医薬部外品・化粧品・健康食品と幅広いジャンルの商品を販売・製造している医薬品業界のパイオニアだ。看板商品となる「ビタトレールⓇ」シリーズは、プライベートブランドとしては異例の80品目を取り扱っており、累計270万個の販売実績を誇る。
当初医薬品卸売業をしていた同社が、これほどまで多様なラインナップをそろえられるようになった要因とは。 2021年に他業界から転職と同時に社長就任した代表取締役社長の神代健氏に、自社商品の誕生秘話や社長就任の経緯、今後の展望をうかがった。
繊維業界から医薬品業界の世界へ。風土の違いに衝撃を受ける
ーー社長就任までの経緯を教えてください。
神代健:
僕はこれまで医薬品業界の仕事には全く関わったことがなく、十数年間、繊維業界に携わってきました。知り合いの紹介で前社長と関わりを持つようになり、「社長をやってみないか」と声をかけていただいたのです。繊維業界と医薬品業界では仕事内容も社員の雰囲気も全く異なりますので、なかなか踏ん切りがつかなかったのですが、周りの方々の後押しもあり、オファーを受けることにしました。
ーー当時の心境はいかがでしたか?
神代健:
全くの素人として入社したので、やはり最初は不安がありました。社員も基本的に僕より年上の方ばかりで、年下の男性社員は2名だけでした。そのためコミュニケーションには特に気を使って過ごしてきました。業務の話だけではなく、家族の話などちょっとした世間話を交えたり、飲み会を開催したりと小さな積み重ねのおかげで、2年間である程度の信頼関係を築くことができたと思います。現在では、新しいアイデアや個人の考えなどを遠慮なく僕に伝えてくれるようになりました。
自社製品に愛を持つことが営業の始まり
ーー社長就任後の社内の雰囲気はどのようなものでしたか?
神代健:
社長就任当初は、社員たちが自社商品に対して自信を持っていないように感じました。お得意先様でのアピールが足りず、他社商品へ流れて行っている状況でした。
弊社の商品はプライベートブランドにしては異例の80品目を取りそろえており、制作にも半年〜1年程の時間をかけ、500〜1000万円の投資をした上でやっと仕上がった自慢の商品です。社員たちにもっとこうした現状を知ってもらい、商品に対する愛情を育んで欲しいと思いました。
自社商品への愛情から来る熱意のこもったアピールがお客様の心に届くからこそ、購入につながるのです。
80品目を超える看板商品の誕生秘話
ーー具体的に、自社製品について教えてください。
神代健:
プライベートブランド商品「ビタトレールⓇ」は2008年8月販売以来、シリーズ累計販売数270万個の実績を誇る、弊社の看板商品です。開発当時は弊社がネット通販を始めた頃で、直接消費者に販売できるようになりました。我々卸売業者は冬になると風邪薬や花粉症の薬の在庫が少なくなり、仕入れに苦労するので、「自社で商品を製造すれば、緊急時にも安定供給できる」という考えから開発を始めたと聞きました。
そこから弊社と直接取引のある製薬会社20〜30社と、こまめなミーティングや企画出しを行ってきました。80品目を超えるプライベートブランドの拡充というのも、数多くの製薬会社と直接のやり取りがあるからこそ実現できたことだと思います。今後はプライベートブランド1本に注力し、大阪の中小企業の中でトップを走り続けていきたいと考えています。
会社の基盤を整え、攻める経営へ
ーー今後の展望をお聞かせください。
神代健:
今後の展望として、「ビタトレールⓇの海外販路拡大」に加え、「通販事業の売上強化」、「会社の成長に伴う社員数の増加」の3本柱を掲げています。
弊社の売上の割合は60%が卸売業で40%が通販です。卸売業に関しては、現在他社ブランド製品を製造する「OEM生産」にも力を入れています。これまで中国・香港・ベトナム・フィリピンなど海外のバイヤーに向けて商談をしてきましたが、今回、中央アジア初のキルギス共和国にOEM商品のアピールを始めました。今後は国内・海外合わせ売上を倍以上の100億円に増やしていこうと考えています。
社長就任から2年、ここまで社員との信頼関係を築き地盤固めをしてきましたが、今後は社員数も大幅に増やし、攻めの経営に切り替えていく予定です。仕組みが出来上がっている大手企業と違い、中小企業である弊社は社長の僕が背中を見せなければ、社員の心は動かせません。何事にも手を抜かず挑戦し続けて、社員と目標を共有していくことで、会社一丸となって進んでいければと思っています。
明確な目標を持ち続けてきたから今がある
ーー若い世代の方に向けてメッセージをいただけますか。
神代健:
まずは「自分がどうなりたいか」という目標を立てることが大事です。僕は20代で結婚し、当時勤めていた繊維業界の職は薄給でした。子どもも生まれ、今後の生活をどうするのか葛藤した末、「今の給料の100倍稼ぎたい」という目標を胸に一か八か起業に至ったのです。成功したこともありますが、圧倒的に挫折の方が多く、それでも目標があったから諦めずにここまでやって来ることができました。
若い世代の方たちは、あり余る体力があり、僕らの世代とは押しの強さが違います。自分がどうしたいのかという目標をしっかりと掲げ、何事にも希望を持ってチャレンジしてほしいと思います。
編集後記
繊維業界で長く働いた後、全く異なる医薬品業界へと活躍の場を移した神代社長。最初の1年は業界の雰囲気に圧倒され、苦労も多かったという。「僕は途中で諦められる人間ではないので、とにかく周りとのコミュニケーションを第一に考え、乗り越えました」と語る。
「今後会社を大きくしていくには、社員一人ひとりが経営者意識を持つ必要があります。前社長のトップダウンに近い経営方針の頃に比べると、この2年で社員の自主性も上がり、僕としてはとても嬉しく思っています」と顔をほころばせた。
神代社長が牽引するメディスンプラスの飽くなき挑戦はまだ始まったばかりだ。
神代健(かみしろ・けん)/1980年生まれ、2003年4月大阪産業大学入学、2007年3月同大学卒業。2007年10月丸松株式会社入社、2010年8月青島亜創利貿易有限公司創業、代表取締役社長に就任。2021年11月、株式会社メディスンプラス代表取締役社長に就任。