※本ページ内の情報は2024年3月時点のものです。

今、さまざまな分野で日本文化が海外から注目を浴びている。日本独特の衣類、小物などもその1つである。

SOU・SOU(そう・そう)は「新しい日本文化の創造」をコンセプトに、日本の風情や四季をポップに表現したテキスタイルアイテムを製作、販売する京都のブランドである。

今回は、伝統的な素材や技法を用いつつ現代のライフスタイルに合った製品を創作し、目覚ましい発展を続ける若林株式会社の若林剛之代表に、学生時代の話から、企業の理念、未来を担う若者に向けてのメッセージなどを聞いた。

東京に憧れたファッション大好き少年に起こった数々の奇跡

ーー学生時代のお話と、SOU・SOU設立までの経緯をお聞かせください。

若林剛之:
ファッションが好きでアパレル業界で働きたかった僕は、どうしても東京の専門学校に行きたいと思っていました。実家が裕福ではなかったので、たまたま雑誌で見つけた新宿にある寮付きの地味な専門学校に決めて入学しました。そこは日本で唯一オーダーメイド紳士服製作の技術を教える学校(現廃校)でした。たまたま見つけた学校で図らずも素晴らしい技術を学ぶことになりました。

卒業後、念願叶って原宿の大手アパレルメーカーに就職しましたが、しばらくして何か「本物ではない」と感じるようになりました。そして憧れだったニューヨークに行き、現地のファッションを目の当たりにして「これが本物だ!」と衝撃を受けました。その後すぐに会社を辞め、自身で買い付けするインポートショップを京都でオープンします。お店は早い段階で軌道に乗りましたが、今度は海外の流行を追いかけて買い付けしてるだけの自分がだんだん嫌になってきて、「日本人として日本らしいクリエイティブな仕事がしたい」と強く思うようになりSOU・SOUをスタートさせました。20年前のことです。

「自分を信じる事」の大切さ

ーーその後は順調でしたか?

若林剛之:
最初は風呂敷や扇子、お干菓子や着物用の座敷足袋などを作ったのですがさっぱり売れず、このままだと倒産するなと思っていた時に、たまたま目についた地下足袋を見て「これだ!」と思いました。周りの人に話した時の反応はイマイチでしたが、僕は「絶対イケる!」という確信がありました

そして地下足袋の工場を必死に探し、職人さんと何度もやりとりをしてポップでカラフルなSOU・SOUの地下足袋を作ることが出来ました。

これが大ヒットしたことにより会社が倒産せずにすみました。

余談ですが、その地下足袋がたまたま京都の高級老舗旅館「俵屋」の社長の目に留まり、取り扱って頂けることになって、納品したその日にたまたま泊まりに来ていた映画監督のスティーブンスピルバーグが3足買ってくれるという奇跡も起きました。

「和風の洋物」でなく「洋風の和物」を

ーー貴社の商品の特徴や店舗に対するこだわりについて教えてください。

若林剛之:
僕は「自由で可愛い伝統工芸品」を創りたいと思っています。昔から日本にある伝統的なものを、ルールにとらわれることなくポップに可愛く生まれ変わらせて、現代のライフスタイルに合うものにしていくというイメージです。ポイントは「和風の洋物」ではなく「洋風の和物」であるということ。例えば「着物の生地で作ったドレス」ではなく「ドレスの生地で作った着物」とか、「帯の生地で作ったハンドバッグ」ではなく「ハンドバッグの生地で作った帯」というイメージ。

また、SOU・SOUでは日本の伝統文化を再構築して現代に伝えることが大切だと考えています。その基本を学ぶためにSOU・SOUのスタッフは全員茶道を習っています。

茶道を学ぶと挨拶やモノの扱いが丁寧になります。また日常で失われつつある「四季の風情や歳時記」を感じることが出来ます。そういったことを日ごろから学んでいくことはSOU・SOUのスタッフとして、また日本人クリエィターとして極めて大切だと思います。

ーーネット販売(EC)にも力を注がれているようですが理由をお聞かせ願えますか。

若林剛之:
以前からネット販売には力を入れてましたがコロナ禍の頃からより一層注力し始めました。コロナ以前は実店舗とネット販売の売り上げ比は50%:50%でしたが、緊急事態宣言が出された時は実店舗の売り上げがほぼ無くなりました。これに危機感を覚え、ネット販売を倍増しようと目標をたてました。

ーー具体的に何をしましたか?

若林剛之:
ライブ配信で商品紹介を始めました。

スタッフ全員素人ですが、各店舗が日替わりで毎日配信することにしました。上手くやろうとせず、とにかく「全員がライブ配信に慣れよう」という事で、2020年3月からスタートし、今でも毎日配信を続けています。

ライブ配信や送料無料キャンペーンなど、いろんなことが功を奏してネット販売を倍増することが出来ました。今ではライブ配信中に紹介したアイテムが買えるシステムも導入しています。

若林社長が考える「大事なこと」

ーー京都芸術大学の准教授でもある立場から、人生で大事なことなど、20代に向けてのメッセージをお願いします。

若林剛之:
僕は、ファッションというものは学ぶものではなく、感じるものだと思っています。ノウハウや知識を学んで、その通りに従うのではなく、むしろそれに反発することによって生まれるスタイルこそが新しいファッションだという感覚が大切だと思います。たとえば、パンクやヒップホップなども反発の精神があったからこそ生まれたものですからね。

また、人生で気をつけなければならないことのひとつは「食事」だと思っています。病気も90%は食事が原因だと言われていますし、食事をきちんとしていれば健康になって仕事も遊びも存分に出来、人生が充実します。年を重ねた時の人生をより良いものにする為に、若いうちから口に入れるモノには注意して欲しいですね。

編集後記

起業家でもあり京都芸術大学の准教授でもある若林氏は、一見、幸運に恵まれた華やかな人生を歩いてきたように見える。

しかし、それは常に基本を大事にし、妥協をゆるさない精神を貫く若林氏の、地道で堅実な努力の賜物なのである。そんな若林株式会社の活躍に期待だ。

若林剛之(わかばやし・たけし)/SOU・SOU代表・プロデューサー。1967年京都生まれ。日本メンズアパレルアカデミーでオーダーメイドの紳士服の製作を学んだ後、アパレル会社勤務を経て、1994年、自身で買い付けした商品を扱うセレクトショップをオープン。1996年に若林株式会社を設立。2003年にSOU・SOUを共同設立し、地下足袋や和服、和菓子や家具など、多岐にわたるアイテムを製作・販売。また、様々な分野の企業とのコラボレーションによって、日本のテキスタイルデザインの可能性を広げている。