株式会社クラブハリエは、明治5年から滋賀県で愛され続けてきた和菓子の老舗「たねや」の洋菓子部門として1951年にスタートした会社だ。
バームクーヘンやリーフパイなどの代表商品をはじめ、フランス菓子専門店「オクシタニアル」やパン工房「ジュブリルタン」などの専門店も運営している。
今回は代表取締役社長の山本隆夫氏に、入社の経緯や印象に残っているエピソード、苦労したこと、挑戦したいこと、今後の展望などについて話をうかがった。
総務部長からのひと言がきっかけで心に火がつく
ーー貴社に入社するまでの経緯を教えてください。
山本隆夫:
菓子屋の次男として生まれたものの、跡継ぎは兄がいるからと、自由な学生生活を過ごしました。
もともと絵を描くことが好きだったのでデザイン専門学校に入ったのですが、就職をするときにはバブルが弾けて就職氷河期を迎えたため、なかなか就職もうまくいかず実家の洋菓子部門に入れてもらったというのが正直な経緯です。この時点では、会社の経営のことや社長になることなど、考えてもいませんでした。
ーー入社後に印象に残っているエピソードを教えてください。
山本隆夫:
当時の洋菓子部門は赤字経営で、仕事の時間が短くて、自分で進路を定めないまま何となく入社し、モチベーションも低かった自分にとっては楽な環境でした。
特に目標もなく過ごしていたのですが、周りの職人がお菓子のコンテストに出場しているのを知り、私もそれに向けて練習を始めることにしました。
しかし、終業後にコンテストの練習をしていると、総務部長から「光熱費や材料費がかかるからコンテストなんか止めてくれ。するなら赤字をなんとかしろ」と説教されてしまいました。
この言葉を聞いた私は「絶対に黒字化させる」という強い意志を抱き、今までの怠惰な自分から気持ちを入れ替えて努力するようになりました。
「売れるわけがない」と言われたバームクーヘンが大ヒット
ーーどのような努力をしましたか?
山本隆夫:
赤字経営の原因を見つけるために、商品の種類や人件費、原材料など、徹底的に調べ、改善点が見つかれば変えていくという動きを繰り返し行いました。また、自社のことをいろいろと調べる中で、赤字の原因となっている生菓子が売上の8割を占め、経費を抑えられる焼き菓子が2割程の売上しかないことに気が付き、焼き菓子の販売に力をいれるようにしました。
その結果、徐々に黒字化に向けて業績が回復していきました。
ーーその後、百貨店に出店した際にバームクーヘンを販売したということですが、それはなぜですか?
山本隆夫:
クラブハリエでは1973年からバームクーヘンを販売していて、自分も入社後は製造に関わっていました。“結婚式の引き出物”“パサパサした食感”というイメージが強いお菓子でしたが、クラブハリエのものは日本人の口に合うふわふわしっとりした食感が特徴で、一番自信がある商品でした。
阪神百貨店に出店することになった際、当時滋賀県内の店舗で売れていたモンブランを出してほしいといわれたのですが、「どうしてもバームクーヘンを売りたい」と提案しました。
最初は、当時のバームクーヘンの価値観から「バームクーヘンなんか売れるわけがない」と断られたのですが、交渉の末1週間で結果が出なかったらバームクーヘンの販売は見直すという条件付きでやらせてもらえることになりました。
ーー実際に売ってみていかがでしたか?
山本隆夫:
百貨店の担当の方から「売れるわけがない」と言われていたので、私は「絶対に売ろう」と熱く燃えていました。
そして、“ショップ・イン・ファクトリー”というコンセプトで店舗に丸太状のバームクーヘンをずらりと吊るし並べるディスプレイや、店頭でバームクーヘンをカットしてお客さんにとにかく試食を勧め、1日で50万円という売上目標に対し、初日は64万円の売上をあげることができました。
その後も順調に売上をつくっていき、焼き菓子の売上比率も5割を超えて、黒字経営へと転換させ現在に至るまで安定経営を行っています。
当時の64万円という売上は、今では台風などの悪条件の日を除けば最低ラインの売上です。現在はさらに高い売上をつくることができています。
コロナ禍でも社員の積極的な動きに感動した
ーー他に苦労したエピソードがあれば教えてください。
山本隆夫:
コロナ禍の時はどのように商売をしていけば良いかわからず、とても苦労しました。
フラッグシップ店である「ラ コリーナ近江八幡」は来客数も多く、密な環境をつくり出してしまうため、社外から営業に関する反対の声も多かったですね。
「どうすれば良いか」と悩んでいたのですが、社員が「通販を強化してはどうか?」「ドライブスルーで販売するのはどうか?」とアイデアを出したり、材料を見直したりと積極的に動いてくれました。
周りの社員が前向きに「何とかしよう」と動いている姿を見て、とても感動し、救われたことを覚えています。
社員には失敗を恐れず、いろいろなことに挑戦してほしい
ーー今後、挑戦したいことはありますか?
山本隆夫:
今までの経験で大切に思ったことを社員に継承していきたいと思っています。
父親は昔から失敗を許容する人だったので、そのおかげでいろいろなことに挑戦することができました。
しかし、阪神百貨店に出店する時に「1週間で結果が出せなければいけない」という緊迫感を味わい、今までで一番努力し、結果を出すことができた経験は、私の中で一生の宝物となっています。
この経験や感覚を社員にも味わってほしいので、社員には「失敗をしても良いから積極的に挑戦するように」と伝えています。
世界中から「滋賀県といえばクラブハリエ」と言われるお店にしたい
ーー今後の展望について教えてください。
山本隆夫:
滋賀県近江八幡市の「ラ コリーナ近江八幡」は、たねや クラブハリエのフラッグシップ店です。このラ コリーナを世界中から「このお店に買いに行きたい」と思ってもらえるお店にしたいです。
日本国内では「滋賀県といえばラ コリーナ」と認知してもらえるようになり、今では年間約409万人の方が来場されるようになりました。私は滋賀県が本当に好きで、「世界中から来たいと思ってもらえる県になってほしい」と思っているので、そこに貢献するためにも実現に向けて頑張りたいですね。
編集後記
苦い経験を噛み締め、実家に戻り、お菓子づくりの仕事を始めた山本社長。
総務部長からの説教や阪神百貨店での出来事をきっかけに反骨精神に火がつき、努力を重ね、当時売れないと言われていたバームクーヘンを大ヒットさせ、赤字経営を黒字化させることに成功させた。
「滋賀県にあるクラブハリエにお菓子を買いに行きたい」と世界中から思ってもらえるお店づくりを目指し、さらなる努力と挑戦を続ける株式会社クラブハリエの今後に期待する。
山本隆夫/1972年7月10日、滋賀県生まれ。パティシエ、経営者。1991年に株式会社クラブハリエへ入社。全国で23店舗を構える「CLUB HARIE」(クラブハリエ)のグランシェフであり、代表取締役社長。洋菓子の世界大会である「ワールド・ペストリー・チーム・チャンピオンシップ2010」では日本代表のキャプテンとして出場し優勝、「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー2017」では準優勝の実績を持つ。