※本ページ内の情報は2024年5月時点のものです。

魚類が光に集まる性質を利用する「漁火(いさりび)」。特に、イカ釣り漁で有名だ。

人類は古代から松明(たいまつ)などを使って漁火を焚いてきたが、現代では「集魚灯」と呼ばれる電気ランプを用いる。この集魚灯を水中で光らせる「水中灯」を日本で初めて開発したパイオニアが、株式会社拓洋理研である。競合他社が海外生産に移行するなか、現在も「メイド・イン・ジャパン」にこだわって国内で生産していることが特徴だ。

代表取締役の花井慎一郎氏は、先代の父が切り拓いた技術を継承し、改良し、事業を拡大している。同氏の素顔に迫るとともに、漁業用ランプ事業の展望を明らかにする。

社長を育てた技術者の家庭環境

ーー事業を引き継ぐという考えはいつ頃からお持ちでしたか?

花井慎一郎:
先代である父は根っからの技術者でした。いつも開発や設計のことを考えていたので、親子間でも「何かいいアイディアはないかな?」などという会話をしていました。幼い頃からそのような環境で育ったので、文系の進路はまったく考えず工業大学に進学しました。学生時代には、いずれ父と同じ仕事をするだろうと考えるようになりました。

ーー入社後はどのような仕事をしましたか?

花井慎一郎:
メンテナンスと開発を行う技術職です。整備や修理を行う中で改善点が見つかるので、それを開発に活かしています。ゼロからつくる開発もありますが、基本的には販売先からの要望を拾い上げて改良を重ねています。

ワンマン経営から全員の力で回す会社へ!突如、社長に就任した当時の心境

ーー社長就任の経緯をお聞かせください。

花井慎一郎:
私が32歳のとき父が病気になりました。当時は突然のことで、社長を継ぐための準備も、心構えもできておらず、また年上の先輩がたくさんいる状況で、私が社長になるとは言いだせませんでした。先代は典型的なオーナー社長で、創業以来先頭に立って会社を引っ張ってきました。当時の私には、同じ役割が果たせるとは思えなかったのです。

病気が発覚してから10か月後に亡くなったのですが、その期間に覚悟を決めて社長を引き継ぎました。

ーー社長になる覚悟を決めたきっかけは何だったのでしょうか?

花井慎一郎:
義理の兄でもある専務から「サポートするよ」という心強い言葉をもらい、それまで大きな不安を抱えていましたが、一人じゃないんだと気づき、社長になることへの覚悟が固まりました。

こうして専務をはじめとして周囲に強く支えられながら、社長に就任しました。振り返ってみれば、当時の時点で弊社は既に、ワンマン経営の会社ではなく全員の力で仕事する会社として力強い基盤が築かれていたのだと思います。

ーー社長就任後に訪れた困難として、印象に残っていることを教えて下さい?

花井慎一郎:
2018年に、弊社の水中灯・集魚灯の製造元であった大手企業がその事業を終了することを決定しました。関連商品も合わせると当社の売上の90%以上を占める主力商品を販売できなくなるため、廃業の危機ともいえる厳しい状況でした。

しかし、そこで諦めるわけにはいかず、製造元企業と粘り強く交渉したことで、他社への製造設備の移管、技術継承に協力してもらえることになりました。1年間かけて兵庫の外注先に設備を移管して、無事に事業を継続することができました。

ーー危機を乗り越えた要因は何だと思いますか?

花井慎一郎:
常に人と人との縁を大切にしたことです。それが結果として、取引先と良好な関係を築くことにつながり、困難に直面した際にも助けていただけたのだと思っています。

弊社の利益のためだけでなく、移管後の外注先にとっても利益になるように条件を調整しました。撤退した製造元企業にも納得していただき、機械を無駄にしなくてすんだので、全員がWin-Winの関係で解決できました。

社長就任後の離職率は0%、「超ホワイト起業」へ

ーー経営理念を教えてください。

花井慎一郎:
稲盛和夫氏の言葉を借りていますが、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると共に、取引先、業界、社会へと追求を広げていく」ことを経営方針として定めています。

従業員は給料を得るだけでなく、働きやすい環境でやりがいを持って仕事をすることで成長できます。その成長が会社の成長になり、会社の成長が取引先、業界、そして社会全体への貢献につながると考えています。

ーー「従業員の幸福」を実現した具体例を教えてください。

花井慎一郎:
弊社は「超ホワイト企業」だと思います。昇給は毎年実施し、賞与は年3回支給しています。出産休暇、育児休暇制度もあり、福利厚生も充実しています。

2022年に新社屋に移転したとき、社長室は設けませんでした。少人数の会社なので、社員全員がお互いの活動を把握して、何のために働いて何をすべきかを理解しています。

物心両面の幸福を追及した結果、私の代になってから離職した社員は一人もいません。

ーー新社屋移転についてはどのような意図でしたか。

花井慎一郎:
次の世代に経営を渡した後も、金銭的なしがらみがなく新しい事業を展開できるように、将来に家賃負担を残さない形で移転の計画を進めました。

社屋の件のみならず、事業を引き継いで行くためにも、現在のメンバーの下で経験を積んで、次世代を担える人材を迎え入れたいと考えています。

私が入社した頃は30代から40代の従業員が中心で、業界内では比較的若い会社でした。年次が近く「これから共に成長する仲間」がいたことを心強く感じていました。

それから20年が経ち、離職する人がいないからこそ、50代、60代が中心になる中で、私たちの思いや技術を引き継いで、長く勤めてくれる方を今後採用していきたいと思っています。

ーー最後に、将来のための人材戦略をお聞かせください。

花井慎一郎:
現在、中心となって働いている社員が引退する頃に、新たな幹部となる世代の人たちが必要だと考えています。弊社の社風を守りつつ、業界の将来も考えられる幹部候補を育成する方針です。

採用にも力を入れ始めました。特に強化しているのは、20代から30代です。業界経験は問いませんが、ある程度社会経験のある人を迎えたいと思っています。

30年後、40年後も同じ空気のまま“誰も辞めない会社”を存続するために、まずは私の責任を果たしていきたいと考えています。

編集後記

水中灯の開発によって0から1を生み出した偉大な先代社長。その礎の上で、1を2に、2を3にすることが2代目の使命だ。実際、花井慎一郎社長は株式会社拓洋理研の年商を先代の頃と比較して3倍以上に増やした。実現の源は、人を大切にしたことだ。従業員や取引先の人々に対する誠実な態度で、業界の信頼を確立した花井社長。同社のさらなる発展を期待したい。

花井慎一郎/1970年、福岡県生まれ。福岡工業大学卒業。1995年に株式会社拓洋理研に入社、2003年に代表取締役就任。