※本ページ内の情報は2024年6月時点のものです。

大阪府に本社と工場を置く中海鋼業株式会社は、建築金物として使われるねじを製造するものづくり企業だ。32歳で同社に入社し、2018年から代表取締役を務める谷口佳史社長は、なんとミュージシャンとしてメジャーデビューを果たした経験もある異色の経歴を持つ。

入社以来、工場勤務から始まった谷口社長の挑戦は、海外進出などとどまるところを知らない。「正しきを正しく、美しきを美しく、変化することを恐れず、ど真ん中をを貫いていく。全従業員の、物心両面の幸せの為に。」という経営理念を掲げる同氏のこれまでと、経営戦略についてうかがった。

メジャーデビューを果たしたバンドマン生活から一転、ものづくりの世界へ

ーー中海鋼業株式会社で働き始めるまでの経緯をお聞かせください。

谷口佳史:
中学生のころにバンドに夢中になったことがきっかけで、音楽で生きていこうと決めていました。英語が全くわからない状態で21歳のときにオーストラリアに渡り、行き当たりばったりの演奏旅行をしたんです。

それはそれで面白かったのですが、日本人のルーツを反映した日本の音楽で評価されたいという思いがあり、日本でデビューを目指しました。活動を始めたもののなかなかうまく行かず、20代後半でやっとメジャーデビューを果たしました。月給は多くて手取り3万6千円。食べ物すら買えない生活をしていました。

これでは到底やっていけないと思っていた矢先、父が体調を崩してしまい、祖父が立ち上げた中海鋼業株式会社に入るしかないと思いました。もともと高校生のころに「働かないか?」と誘われていたのです。当時バンド活動に明け暮れて入社を断った経緯があったため、意を決して私の方から「入りたい」とお願いしに行ったら断られてしまいました。

弊社の株主の材料屋さんの面接に行っても断られてしまう始末。何とか「工場で働くなら」ということで、中海鋼業で働けるようになったのです。

ーーバンドマン時代の経験も仕事で活かせた部分があったのではないでしょうか?

谷口佳史:
レコード会社や事務所の人を巻き込んだり、バンド時代もいろいろな人と関わったりしたことが、仕事でも活かされました。「営業なら会社に貢献できるのでは」と自ら手を挙げたこともありました。ですが、最初は「外に出せない」と言われてしまい、営業もさせてもらえませんでした。

「どうせ自分なんて」という諦めムードを自分の力で変えたかった

ーー中海鋼業株式会社の事業について詳しく教えてください。

谷口佳史:
弊社は建築向けのねじを製造している会社です。50年以上にわたりねじをつくり続けてきましたので、品質はもちろん、特殊なサイズや加工ねじの製造もできるのが、弊社の強みです。2017年にはベトナムに法人を設立し、今では日本とベトナムでねじづくりに取り組んでいます。

ーー入社当時はどんな会社だったのでしょうか?

谷口佳史:
私が工場で働き始めたときに感じたのは、職場に漂っていた「どうせ自分なんて」という空気です。

芸の世界に身を置いていたからか持論として、例え才能が足りなくても努力することで手の届く世界があると実感していました。ものづくりやものを売る世界でもきっと通じるものがあると思い、それなら、「どうせ…」と思っている一緒に働く仲間に、頑張れば世界が変わるということを見せたいという思いが沸々と湧いてきたんです。

入社を何度も断られていたような私が、頑張って売上10数億円から100億円に成長させることができれば、仲間にとっても勇気や希望になるのではと考えました。その思いが今の原動力になっています。

ーー貴社の強みは何ですか。

谷口佳史:
弊社の強みは「人」です。現在、グループ会社として4社を抱えていますが、工場での現場経験が豊富な人もいれば、銀行出身の人もいて、多彩な人材がそろっています。バックボーンが違う人たちが同じ目標に向かって邁進するためには、ビジョンが必要で、経営者である私の仕事は、「面白そうやな」と思わせられるビジョンをつくることです。

また、「こんなことをやってみたい」という気持ちがある従業員には積極的に挑戦してほしいと思っています。学びの機会やチャンスもできる限り会社として提供したいですね。

海外進出を起点に、売上100億円の企業に成長させたい

ーー海外進出に挑戦したきっかけについてお聞かせください。

谷口佳史:
入社して10年ほどで工場勤務だけでなく営業や経理などさまざまな業務を経験しました。そんな中で、次第に海外に自分の力で挑戦したいという思いを持つようになっていたんです。

もちろん、それも一筋縄ではいきませんでした。当時の上司に「海外で工場をつくったりしないんですか?」と聞くと、「会社の判断としてやらない」という答えです。それなら仕方がないと思ったものの、諦めきれずベトナムで工場をつくりたいと3、4年かけて社内を説得しました。

ーー海外進出には難しさもあったのではないでしょうか。

谷口佳史:
もちろん難しいことはありましたね。日本のねじ業界は長い歴史があります。商流もほとんど決まっていて、お客さまもみんな知り合いです。自社で商社のような機能を持っているわけでもなく、海外進出するのは大変でした。

建築向けの弊社のねじをベトナムでゼネコンに直接アプローチしようと思ってもなかなか突破口がないので、ベトナムにあるゼネコン会社に直接足を運び、どうすれば良いかを何度も聞きました。

私が「ナットをやればいいですか?ワッシャーをつくればいいですか?」と聞くと、「下請けのサブコン(専門工事会社)に行ったら良い」という助言があり、ようやくベトナムでの事業をスタートさせることができました。

ーー今後の展望を教えてください。

谷口佳史:
中期経営計画では、数年後にはホールディングス化も視野に入れています。製造会社・物流会社・販売会社を設けて、経験豊富な人材に社長というキャリアも用意したいですね。

また、売上100億円規模の会社に成長させる目標も掲げています。私は車のナンバーにも「100」という数字を入れているほど、「100億円」を最終目標として常に意識しています。

ベトナムだけでなく、ドイツの展示会にも出店して取引先や物量も拡大するべくチャレンジしています。まずは次の3年で70〜80億円は達成したいと思っています。

編集後記

パワフル、そしてポジティブなオーラを身にまとった谷口社長のもと、中海鋼業は今や国内有数の生産量を誇るねじメーカーになった。アジアのみならず、EUなど挑戦する舞台の数はまだまだとどまることを知らない。谷口社長の機動力と前進する力が、会社全体に伝播し、日本のものづくりの底力をこれまで以上に世界に広げていく未来が見えた気がした。

谷口佳史/1974年大阪府生まれ。2006年、祖父の会社である中海鋼業に入社。工場や倉庫での仕事、営業、経理財務を経験し、2017年に常務就任。ベトナム工場を立ち上げ。2018年に代表取締役に就任。