上質の伊勢海老というたったひとつの食材にこだわり続け、弁当・仕出し事業、レストラン事業、通信販売事業を展開する中納言。ハレの日、人生の節目、大切な人のおもてなし、友人との会食などで、さまざまな伊勢海老料理を楽しめる。その日は彩り豊かな料理で会話も弾み、素敵な思い出として心に残る1日になるだろう。
創業者である堤清一の熱い思いを引き継いだ4代目社長の田上剛大氏に、経営難にも負けずに、伊勢海老料理を提供し続けた話をうかがった。
借入金30億円からの再スタート
ーーなぜ会社を引き継ごうと思ったのですか?
田上剛大:
弊社は、創業者である堤清一の「新しい素材である伊勢海老を使って新しい形態のお店を出したい」という思いから始まりました。昭和25年に日本料理店「う越市」を大阪で開業し、昭和49年に活伊勢海老料理専門店の「中納言」になりました。
子どもの頃、社長は叔父であり、当時は会社を継ぐことは考えていませんでした。しかし、昔から「自分で商売がしたい」という強い想いがあったことと、家業が潰えていくのを見過ごすことはできなかったため、会社を継ぐ決意をしました。
バブル期の投資に失敗したこともあり、当時の借入金は100億円に達していました。その後、社長職は叔父から銀行員であった私の父へと引き継がれ、父は会社の立て直しを進めていました。しかし、リーマンショック時にはまだ借入金が30億円ほど残っていました。その頃から、父が入院することが多くなり、会社も限界に達し、跡取りがいなければ会社はたたむしかない段階まできていました。そんな中、私に白羽の矢が立ちました。
私は東京で別の業種の仕事をしていたので悩みました。30歳のときに自身で「再スタート」と考えて引き継ぎました。若かったため、それがどれだけ大変なものか理解しておりませんでした。けれど「自分にならなんとかできるのではないか」という根拠のない自信だけがありました。
当然ながら、いざ戻ってみると、「中納言」はどうにもならない状態に陥っていました。しかし、あきらめるわけにはいきませんでした。
事業の負債とともに受け継いだ財産
ーー企業危機をどのように乗り越えましたか?
田上剛大:
以前はコンサルティング会社で働いていました。事業経営についての知識はありましたが、実際の経営や現場の運営は全く別物であり、大変苦労しました。
私が会社に戻ったとき、「中納言」は事業赤字でキャッシュフローも回っていませんでした。借入金の返済ができず、特定調停やリスケジュール(金融機関からの借入金の返済条件変更)をお願いしていました。飲食事業の「い」の字も分かっていなかったので、飲食事業の基礎から学びながら、改革を同時並行で進めていきました。
本当にお金がありませんでした。やりたいことなど出来るはずもなく、自分たちにできること、やるべきことを徹底しました。ホームランは目指さず、ヒットを重視しました。多少ながら結果を出し続けていくと、その中で支援者が生まれ、結果として多くの方々の支えを頂きながら、大きな「財産を残してもらっている」ことを自覚し始めました。
ーーその財産とは具体的に何ですか?
田上剛大:
「のれん」です。
お客様や取引先様との長年の信頼関係はその一つです。資金がなかった頃は、様々な取引先へ支払いができないことで多くの方々からお叱りを受け、見放されることもありました。
しかし弊社も仕入れを行わなければ売上げをつくることができません。お昼に「支払いはどうなってんねん!」とお叱りの電話を受けても、翌朝にはまた漁場や市場へ行き、「今日はこれでお願いします。」と注文させてもらっていました。
このように支払いができない状態だったにもかかわらず、支援してくださった漁場や市場の方々のおかげで今まで会社を存続させることができました。多くの方々にご迷惑をかけてしまいましたが、当時の恩義は忘れることなく感謝しつつ、これからの成長で恩返しをしていきたいと考えています。
会社を立て直しながら構築する
ーー経営を振り返り、反省点はありますか?
田上剛大:
組織運営には苦労しました。会社全体に勝ち癖が失われていて、何をしても変わらない雰囲気がありました。その雰囲気を変えようとしましたが、それは決して容易ではありませんでした。
若かりし頃は「みんな同じくらい情熱や熱意を持って仕事をするものだ」と思い込んでいました。そして、状況を変えるために“あるべき論”や相手の気持ちに寄り添わずに‟正論の剣“を振りかざしてしまっていました。会社、強いては私の落ち度であったにもかかわらず、指示待ちではなく自分で考えて行動して欲しいという責任を押し付けてしまっていました。「今まで粛々とルールを守り、仕事をしてこられた方々にとって酷いことを言ってしまった」と、今では反省しています。
ーー傾いていた会社の立て直しには、どのように着手したのですか?
田上剛大:
綺麗ごとだけでは何もうまくいきませんでした。本社を売却せざるを得ず、私の生まれ育った実家や銀座にあった大型店なども売却して縮小し、撤退戦を繰り返しました。会社には資金使途の制限がありましたので、個人資産を投げうって別業態のレストランを一から立ち上げたり、別会社を立ち上げたりも同時並行で行いました。
毎月バンクミーティングをする必要があるほど銀行から厳しい目はありましたが、自分たちがその時々にできることに集中し、①努力の方向性は正しいか、②必ずヒットは打てるかを大切に進めていました。
一方で、社内ではベタなコミュニケーションを怠らず、人の心を大切にし、本物志向の文化づくりや価値観の共有を大切にしました。小さな成功体験を積み重ねながらスタッフ同士や、取引先様、お客様との信頼関係を再構築していきました。
中納言の外食産業における強み
ーー貴社の飲食店の強みは何ですか?
田上剛大:
先程の「のれん」もそうですが、やはり「商品力」でしょうか。
自社はグループ会社に海老問屋を持っており、他社の追随を許さない取扱量を誇っています。人を育てることに力を入れ、弊社スタッフ達の平均勤続年数は業界随一です。スタッフの中には20年選手は短い方で、中には40年、50年選手もいます。安定した職人達による安定の味、サービスを実現出来ており、お客様に安心の商品を提供できることが強みです。
また、早くから顧客管理に注力していたので、弊社には10万名様の顧客名簿があります。この顧客名簿は、とても大きな価値を生み出しています。昔ながらの商品や新商品をご案内することができるので、「毎月どれだけのリターンがあって、どれだけの売り上げが見込めるか」ということが明確なところも他の飲食店様にはない強みです。
ーー最後に若手人材に向けてメッセージをお願いします。
田上剛大:
八方塞がりはありません。
環境を変えようとしたり、チャンスを掴みにいこうとしたりすると、様々な困難にぶつかります。しかし、困難の経験は長い人生の成長の糧です。あきらめずに試行錯誤すれば必ず何らかの方法で乗り越えられます。失敗は糧となりますが、何もしないという最大の失敗は後々後悔にしかなりません。他方、努力の方向性を間違うことなく、何をするかだけでなく誰とするか、ということも大切にしてください。
若い世代の方は、大きな裁量を持てるチャンスを掴み、大きく成長できる環境を大切にしてください。「自分で考えて一歩踏み出す力」「努力する力」などを養える仕事、人と出会い、一生懸命仕事をしてください。
若いうちに仕事を頑張る習慣や挑戦するハートを身に付ければ、転職しても、違う仕事をしても、それは人生を通して活かすことができます。自分が成長できる環境を選び、自分のやりたいことにチャレンジして欲しいと思います。
編集後記
アメリカに単身渡米し学生時代を過ごした田上社長は、バイタリティに溢れている。果敢な精神と明るい性格に、周りの人達も手を貸したくなるのだろう。会社再建にはとても苦労したようだが、惜しみなく話していただいたエピソードには、人望の高さと人柄の温かみが感じられる。長きに渡り、今や日本の最高級食材ともいえる伊勢海老料理を提供し続ける「中納言」の今後の事業展開にも注目していきたい。
田上剛大/1980年生まれ。兵庫県出身。高校、大学時代を海外で過ごす。アメリカのボストン大学を卒業後、大手コンサルティング会社に入社。2010年に株式会社中納言へ入社。2015年、代表取締役社長に就任。現在は関連5社の代表も兼任。