※本ページ内の情報は2024年6月時点のものです。

中野BC株式会社は和歌山県の「梅」を使った梅酒をつくり、日本全国、ひいては世界へと発信する老舗酒造メーカーだ。1979年から梅酒づくりを始め、現在の代表取締役社長である中野幸治氏の代になってからはさまざまな梅酒を開発し、リブランディングをすることに。日本酒が主軸の会社から、梅酒に着目し、改革をおこした中野社長。その考えへと至る経緯や変革の内容、そして会社が目指す姿について話を聞いた。

酒造会社での修行や中小企業大学校での学びを経て中野BCへ

ーー社長の経歴をお聞かせください。

中野幸治:
私が会社を継ぐことは、幼いころから決まっていました。ただ、その前に知見を広げることも大事ですので、大学院卒業後に4年間宝酒造株式会社で修業を積み、その後に中小企業大学校にも通いました。

弊社に入社したのは2005年のことです。約10年間社員として働き、2015年に父の跡を継いで社長に就任しました。

ーー貴社に入社する前にいろいろな経験を積まれたと思いますが、特に印象に残っていることは何でしょうか。

中野幸治:
宝酒造で特に印象的だったことは、仕事の管理が明確で、担当者が頑張って働ける環境が構築されていた点です。中小企業では仕事の線引きがあいまいになりがちですが、私は可能な限り近い環境を目指すべきだと考えるようになりました。社長に就任した今もこの考えは変わらず、担当者が頑張って働ける環境づくりに取り組み続けています。

中小企業大学校で印象的だったことは、学習を通じて自社が抱える課題と向き合えたことです。すでに宝酒造で現場を見ていたので学習の解像度が高く、自分が会社を継いだ後に何をすべきかを考える良い準備期間になったと思います。

ーー家業を継ぐために戻ってきて注力したことは何ですか?

中野幸治:
社長就任後は梅酒の開発に注力しました。地元和歌山県を活用したブランディングをするため、そして、少子高齢化や若者に好まれる酒の変化など、酒を取り巻く環境の変化に対応するために、梅酒が最適な選択肢だと考えたのです。

それまで弊社のメイン商品は日本酒や焼酎だったので、異を唱える社員もいました。しかし、会社を長く存続させ、存在感のある企業へと成長させるためには変革が不可欠だと考え、これを推し進めました。

変革を支えた「研究所」の存在

ーー会社を梅酒中心のブランディングに変革するうえで大変だったことは何ですか?

中野幸治:
特に大変だったのは、組織に根付いた意識を変えることです。当時は和歌山県の人たちが梅酒を買わないように、社内にも「梅酒は売れない」という意識がありました。

そのため、まずは梅酒が売れた実績をつくる必要があり、多くの商品開発に取り組みました。

商品開発で頼りになったのが商品開発の専門部署である「研究所」です。最初の1年で約10種類の新商品を開発し、その後もしばらくは年に4・5種類ペースを継続。おかげで売れるラインナップを早期に充実させることができました。

ちなみに、短期間で商品開発が可能だったのは、研究所の職員たちがノウハウの基礎を持ち、弊社の技術の神髄を理解していたためです。彼らが弊社というブランドを深く理解していたからこそ、このスピード感を実現できたといえるでしょう。

ーー自社ブランディングのためにどのような施策に取り組みましたか?

中野幸治:
力を入れた施策の一つに「梅酒BAR」というイベントがあります。内容は梅酒の飲み比べや漬け込みセミナーなどで、梅酒を知ってもらうことが目的です。毎年梅酒づくりの最盛期である6月初旬に行っています。

このイベントを約10年続けたところ、回を追うごとに来場者が増え、最終的には地元の駅に人が溢れるほどになりました。

また、顧客の解像度を高めたり、弊社を認知してもらったりといった効果も得られ、弊社の存在や和歌山の梅酒を地元に定着させることに成功しました。

研究開発型企業だからこそ「ものづくり」を核に

ーー商品開発を精力的に進められる理由を教えてください。

中野幸治:
弊社はオリジナリティのある技術で成長してきた会社なので、良い商品をつくることを何より重視しています。そのため、研究所に大きなリソースを割いており、人員は全社員の約1割を充てています。

研究所はいわば弊社の前輪のような存在であり、ものづくりの基礎です。今後も研究開発型企業として歴史を積み重ねられるよう、努力を続けていく所存です。

ちなみに、商品開発の際には社長である私が意見しすぎないよう気を付けています。商品開発は若者の自由なアイデアで進めて欲しいですし、自分たちでつくった実感も持ってほしいと思っています。私が意見せずとも社員たちを信頼していれば、おのずと良い商品は生まれるものです。

海外展開も見据え、和歌山県を元気にする企業に

ーー海外事業はどのように進めていますか?

中野幸治:
海外はアジアをメインに進めており、中国、香港、台湾、ニュージーランド、アメリカなど約35ヵ国で展開しています。アジアは梅酒に対する理解度が高いので、今後も海外事業の中心として進めていく予定です。

最近では、フランス、ベトナム、インドなども強化しています。海外事業は今後さらに力を入れたいと考えており、新たなチャンスを見つけるきっかけになると考えています。

ーー今後の展望や夢などをお聞かせください。

中野幸治:
「梅といったら中野BC」と言われるようなブランディングを目指しています。

和歌山県の企業である私たちが梅の代名詞になれば、和歌山県の魅力を世界に発信できますし、和歌山県をもっと元気にできる可能性があると考えています。

和歌山県は梅以外にも多くのコンテンツがある、魅力あるエリアです。弊社がPRを担当できるのは「梅」という一部分にすぎませんが、それでも和歌山県を知ってもらうきっかけにはなってくれるでしょう。

和歌山県を世界的に有名な魅力あるエリアにするため、今後も本当に美味しい梅酒をつくり、そして世界に名が通る企業を目指してまいります。

編集後記

梅酒には「くつろぎをもたらすお酒」というイメージがある。梅酒がこのようなイメージを確立できた背景には、梅酒を嗜好品へと押し上げるためのたゆまぬ努力があったからなのだろう。私たちが酒を飲んで「本当に美味しい」と思うと、次にブランドや産地に着目する。世界中の人たちが梅酒のグラスを片手に、ボトルに書かれた「和歌山県」の文字を口にする日はそう遠くないのかもしれない。

中野幸治/1975年和歌山県生まれ、法政大学機械工学科、同大学院、機械工学専攻修了。宝酒造株式会社に入社し、4年の修行期間を終えたのち、中小企業大学校経営後継者コースで経営について学ぶ。2005年に家業を継ぐために中野BC株式会社に入社。マーケティング部、杜氏などさまざまな業務を経て、2015年に代表取締役社長に就任。