3時間待ちの3分診療という言葉があるくらい、医院の待ち時間は多くの人が経験する苦痛だが、最近の人手不足がこの問題に拍車をかけている。待ち時間と人手不足の2つの課題の同時解決に取り組んでいるのが、「ドクターキューブ」システムの開発・運営を手がけるドクターキューブ株式会社だ。同社のシステムはすでに5,000件以上の導入実績があり、同分野で国内トップシェアを誇る。
同社の強みは「社会貢献性」と語る代表取締役の小山恭之氏に、ドクターキューブ誕生の経緯や経営者としての考え方を聞いた。
放浪の旅から帰国して事業を始めるまでの経緯
ーー学生時代や就職直後の頃はどのように過ごされたのでしょうか。
小山恭之:
生まれは福岡ですが、物心つく前から父の転勤で全国を転々としていました。引越の度に新しい土地に行けるのが嬉しくていつもわくわくしていましたが、行く先々で相当の悪童だったようで、屋根から屋根へ跳び回っているうちに瓦がずれて雨漏りを引き起こすなど、近所の方々や学校の先生を随分困らせていました。そうした幼少期を経て、大学は大阪大学の工学部に進学しました。
就職時は周りが大手有名企業ばかりに行くので、他人と違うことがしたくて、当時は無名だったけど活気があったセイコーエプソンに入りました。新卒でも言いたいことが言え、やりたいことをやらせてもらえて、本当に楽しかったのですが、もっと新しい世界を観たくなって2年9カ月で辞め、世界放浪の旅に出ました。
ーーどんな旅だったのでしょうか。
小山恭之:
シベリア鉄道で2週間かけてモスクワへ行き、そこから東ヨーロッパ諸国を巡り、当時まだあったベルリンの壁を越えて西ドイツに入り、アメリカ大陸に渡ったところでお金が尽きて半年ほどアルバイト。
それから車で米国西海岸まで行って東海岸へ戻り、またヨーロッパに飛んで、アムステルダムからバスでインドに向かいました。インドやパキスタンからの出稼ぎ労働者が使うおんぼろバスです。アムステルダムからパキスタンのカラチまで6000円位でした。
何度も途中下車しながらカラチまでたどり着いたのですが、途中でウィルス性肝炎にかかり、インドを経てシンガポールまでバスで行く予定だったのを断念して飛行機で日本に戻りました。
日本の病院に駆け込むと「あと3日遅れていたら死んでいた。治っても一生酒は飲めんよ・・・」と言われましたが、今はいくら飲んでも平気です。
そんな生死の境をさまよう経験を乗り越えたことが、私のチャレンジ精神の原点になっているのかもしれません。
ーーその後、どのように起業に至ったのか経緯を教えてください。
小山恭之:
しばらくして肝炎が治ると、今度はロボットの会社に入りました。当時最先端の技術に取組むベンチャー企業だったのですが、入社して1年半後に資金難であえなく倒産。ただ、その会社でUNIXという米国国防総省が開発した先端システムに触れて興味が湧き、これをもっと勉強すべく再度米国へ渡りました。
3年間大学院にいて日本に戻ると、米国で学んだことが活かせるアルバイトが一杯あって、おもしろいようにお金が稼げたので、自営でシステムコンサルティング業を始めました。
「できないと言われると挑戦したくなる」反骨精神からドクターキューブが誕生
ーーその頃にドクターキューブを開発したのでしょうか。
小山恭之:
システムコンサルティングはお金にはなりましたが、何かが残るわけではなく、あまり面白くはありませんでした。社会を変えるようなIT製品を自分のブランドを冠して世に出したいとの思いから、社会的課題を見つけてはこれを解決する製品を作って発表したものの、売れずに引っ込めるということを繰り返していました。ドクターキューブは6番目に開発した製品です。
きっかけは、ある医師との雑談です。病院って待たされる所ですね……とポロリと喋ると、その医師がわれわれもそれは問題だと思っててね、何千万円もかけてシステムを作ったこともあるんだけどやっぱりうまくいかないんだよ……と言ってその理由を詳しく説明した後、最後に「開発しようとか考えちゃだめだよ、絶対失敗するからね。」と言いました。
しばらくしてこの話を基に作ったシステムをその医師に見せると「それだよそれ!」と喜んでくれ、知人の医師も紹介していただいてたちまち何件か売れてしまい、これは社会を変えるIT製品になり得るとの感触を持ちました。
医療現場を効率化する「社会貢献性」が強み
ーー貴社の強みを教えてください。
小山恭之:
社会貢献性です。当社のシステムを使うことで、患者さんの待ち時間が短くなるだけでなく、医院の生産性も上がります。医院はどんな患者がどのような目的で来るのか事前に把握できるので準備することができ、アイドルタイムが少なくなるためです。
滅多に医院に行かない健康な人でも社会保険料の上昇は悩みの種で、医療品質を下げずに医療コストを下げるITシステムの普及は、社会保険料の値上げを抑制します。
今後は海外でも戦えることを証明していきたい
ーー今後の展望を教えてください。
小山恭之:
まず、当社の業界シェアは約30%でトップですが、これを5年程度で51%以上に上げます。次に、社員が200人を超えて企業理念が浸透しにくくなってきたため、求心力の再構築に取り組んでいます。
さらに、「きらきら耀く会社」プロジェクトという、仕事でも生活でもやりがいと生きがいを実感でき、活き活きと楽しめ、一人ひとりがきらきら耀けるようになるよう、給与UPや就業時間短縮を含む様々な改革に取り組んでいます。
最後に、今はすっかり自信を失っている日本のIT業界に、やり方次第で海外でも戦えることを示すべく、ITの本場アメリカ西海岸に進出したいです。ソフトウェアは製作者の価値観や文化を如実に反映するもので、日本らしさ、日本ならではの強みを活かした戦い方があるはずです。
編集後記
小山社長は、社会で活躍するビジネスパーソンに向け「日本人は真面目すぎる。もっと人生を楽しんでほしい」と語った。海外放浪や起業など、人生を思う存分楽しんできた小山社長だからこその説得力のある言葉だ。
会社の成長、社員の幸せ、社会貢献を実現する同社は、医療現場だけでなく日本社会に必要な企業だと感じた。そんな同社を、これからも引き続き応援していきたい。
小山恭之/1955年福岡県生まれ、1979年大阪大学工学部電子工学科卒、1981年大阪大学大学院修士修了。1981年セイコーエプソン株式会社入社、1988〜1990年米国フロリダ州立大学コンピューターサイエンス専攻博士課程留学。1991〜2000年システムコンサルティング業の傍らいくつかのシステム製品を開発し発表。2001年ドクターキューブ株式会社の前身となる情報通信コンサルティング株式会社を設立、代表取締役に就任(現任)。