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大正12年(1923年)創業、京都を中心に多彩な建築を手がける株式会社あめりか屋。同社は100年を超える歴史の中で培った技術力をもとに、住宅から寺社仏閣まであらゆる建築物を手がけてきた。近年は、価格競争に巻き込まれがちな新築や改修工事だけでなく、昭和初期のモダン建築をはじめとする文化財の保全と収益化を提案する独自の事業に注力している。修繕の枠にとどまらず、シェアオフィス化など建物の維持・活用を見据えた提案は、多くのオーナーから支持を集める。創業100周年という節目を経て、新たな時代を見据える4代目社長の山本英夫氏に、事業の柱となる文化財保全への思いや、顧客との長期的な信頼関係を築く秘訣、次世代を担う人材育成の展望について聞いた。

“和洋折衷”住宅を足がかりに多彩な建築を手がける

ーー現在の主な事業内容について教えてください。

山本英夫:
弊社は大正12年に、住宅を専門に取り扱う建築会社として創業しました。「あめりか屋」という名前は、アメリカの洋風的な住宅様式を日本に取り入れた和洋折衷住宅の普及を目指したことに由来します。現在は住宅にとどまらず、旅館やホテル、店舗、工場、寺社仏閣などあらゆる建物を扱う総合建築会社として活動しています。

ーー家業を継ぎ、社長に就任されるまでの経緯をお聞かせください。

山本英夫:
私は早稲田大学に入り建設材料の研究をしていました。卒業後は建設材料の研究ができる会社を探し、大学院修了後に小野田セメント株式会社(現・太平洋セメント株式会社)に入社しました。当時は建築よりも規模の大きな土木構造物に関心があり、黒部ダムや青函トンネル、本四架橋(本州四国連絡橋)の大事業に対する憧れが大きかったですね。

その後研究生活を過ごしておりましたが、1992年に、バブルによる人手不足を理由に家業である、あめりか屋へ私が入社することになり、兄から社長を引き継いだのが2011年のことです。弊社は2023年に創業100周年を迎えましたが、これまで社史をつくったことがありませんでした。100周年は、大きな節目であるため社内で編集委員会を立ち上げ、約3年かかって、100年誌である『あめりか屋history―100年の道のり』を制作したのです。

ーー社長就任後、特に印象に残っている出来事は何ですか。

山本英夫:
私が社長に就任した年は非常に経営が厳しかった記憶があります。リーマン・ショックが会社の業績にも大きな打撃を与え、営業赤字が続いて、社員にも大きな負担をかけました。それでも一致団結して乗り切ることができ、今となっては懐かしく感じられますね。

オーダーメイドの家づくりと100年続く顧客との信頼関係

ーー建築の仕事に取り組む上で、最も大切にされていることは何ですか。

山本英夫:
建築は人に夢を与えることのできる仕事だと考えています。お客様の中にあるイメージを図面化して、建築物として実現することには大変なやりがいと楽しみがあります。建築はすべてオーダーメイドであり、ひとつとして同じものはありません。一つひとつに誠実に向き合うことでお客様にも喜んでいただけますし、私たちも誇りをもって仕事に取り組めます。創業当時から住宅を手がけてきたきめ細やかな心配りをもとに、お客様のこだわりを完璧に実現することを目標にしています。

あるお客様に「家が完成したときに高台のリビングから見る夜の景色が一番楽しみなんだ」と言われたことがあります。その要望に応えるために建築工事の過程でリビングの高さに足場を設定し、実際にお客様に座っていただき意見を聞きながら、窓の位置、形状など柔軟に変更を加えました。ようやく完成したときには大変喜んでいただけて、とても印象深い仕事になりました。

ーー長きにわたり信頼関係を築かれているお客様とのエピソードを教えてください。

山本英夫:
創業当時から長年お付き合いいただいているお客様がいらっしゃいます。たとえば、京都で洋食店などを展開されている「スター食堂」様は、2025年にちょうど創業100年を迎えられました。同社が洋食を開始された当初より私たちが洋風建築を手がけていたご縁があり、長期間にわたり店舗開発などを一緒に行ってきたのです。最近では、寺町にある本店の改修工事でもお声がけいただき、無事にリニューアルオープンを迎えることができました。

また、昭和11年に建てられた洋館である「革島医院」の革島様とも、90年にわたるお付き合いになります。こうしたご縁を今後も何よりも大切にしていきたいですね。

ーー長期にわたり、お客様と良好な関係性を継続できる最大の秘訣は何だとお考えですか。

山本英夫:
店舗を運営されているお客様の場合、夜中に水が出なくなったり、電気が切れたりといった緊急のトラブルがつきものです。そうした事態に際し、迅速に対応できる体制を維持してきたことが大きいと考えています。

また、営業を続けながらの工事も少なくありません。その際は、来店されるお客様の動線と作業員の動線をしっかりと分け、店舗運営に支障が出ないように配慮することが不可欠です。繁華街での工事は夜間作業になることも多く、工期を短くして効率よく進めることで、お客様の負担を最小限に抑えるように努めています。最終的に、完成した建物を気に入っていただき、喜んでいただくことが次の仕事や新たなご紹介につながっていくのだと確信しています。

新たな事業の柱へ 文化財保全と「収益化」による課題解決

ーー近年、注力している事業についてお聞かせください。

山本英夫:
昭和初期のモダン建築をはじめとする文化財保全の事業です。数年前に100周年の社史を編纂した際、過去に私たちが施工した建物の現状を調査しました。その過程で、古い建物のオーナー様から「この建物は好きだが、次の世代が維持していくことに不安を感じている」との切実な声をたくさんお聞きしたのです。私たちが過去に手がけた建物を大切に使っていただいていることに感銘を受け、何とか後世に残すお手伝いができないものかと考えました。

しかし、建物の維持や改修には多額の費用がかかります。そこで、修繕の枠にとどまらず、建物を活用して収益を上げる方法を提案することができないものかと考えました。建物自体が利益を生み出さなければ、維持していくことは不可能だからです。

ーー文化財を後世に残すための「収益化」について、具体的なご実績を教えてください。

山本英夫:
たとえば、歴史ある建物を一般に公開して入場料をいただき、それを改修費用に充てる方法があります。また、広すぎる邸宅の一部をシェアオフィスとして貸し出し、収益を上げる仕組みも提案しています。

実際に、先ほど申し上げた革島医院では、かつて病室として使われていた洋館2階の全12部屋をシェアオフィスとして活用するための改修工事を進めています。さらに、下鴨地区の住宅では、古い建物を愛する方々にシェアメイトになっていただき、会員制で利用料をいただくことで改修費用に充てるケースも現在進めております。オーナー様の負担を減らしながら建物を残すための選択肢を、幅広く提示することを心がけています。

ーー新築や修繕などさまざまな事業がある中で、提案型の事業はどのくらいの割合を占めているのでしょうか。

山本英夫:
現在は、文化財的な建物を残していく事業の割合が全体の1~2割程度です。しかし、今後増やしていき、実績を積み重ねて、事業の確固たる柱に育てていきたいと考えています。というのも、新築工事の入札などは、どうしても価格競争に陥りがちだからです。一方で私たちが注力している文化財保全の事業は、単に建物を直すだけではありません。お客様が抱える建物の「維持費」という根本的な課題に対し、建物の活用や収益化の仕組みから提案することで、価格競争から脱却し独自の価値を提供することができます。

今後はこのように、私たちが提案する価値に納得していただいた上で仕事を進める方向へシフトしていく事が、企業としての生き残る手段となるでしょう。社会的意義も大きい文化財保全の事業を拡大し、しっかりと利益を出していくことが、会社のためであり、社会のためにもなると信じています。

自ら考え提案できる人材の育成と現場を活性化させる採用戦略

ーー提案型の事業を推進するうえで、人材育成についてはどのようにお考えですか。

山本英夫:
図面を与えられてその通りに建築を施工する受け身の姿勢ではなく、「こうすればどうですか」と自ら提案し、それが形になる喜びを知ってもらいたいと考えています。若手社員には建築士などの資格取得を推奨し、学校に通う費用の半額を会社が補助する制度を設けています。

また、文化財マネージャー(歴史的建造物の保存や活用に関する知見を有する専門家)を養成する外部講座にも参加させ、全国の事例を学ぶ機会を提供しています。目に見える資格だけでなく、自ら課題を見つけて努力する姿勢もしっかりと評価し、モチベーションを高める方針です。

ーー社員が一人前に提案できるようになるまでに、どの程度の期間を要すると想定していますか。

山本英夫:
人にもよりますが、おおよそ5年はかかりますね。提案できるようになっても失敗することはありますから、その経験を糧にして次のステップへ進み、本物になるには10年ほど必要でしょう。

だからこそ、その期間に挫折してしまわないよう、自分が成長していると実感できる教育システムづくりを進めています。かつてのように現場に放り込んで上司の背中を見て覚えさせるのではなく、CADの勉強など、目に見えて能力が高まる機会を用意し、仕事の面白さを味わってもらう工夫を凝らしています。

ーー採用活動で求める人材を教えてください。

山本英夫:
弊社は会社の方針を理解しながら仕事を覚えてもらい、社風に薫陶してもらいたい思いから、新卒採用に重きを置いております。

もちろん大学で4年間学ぶことも大切ですが、ただ漫然と学生生活を送るよりは、早くから現場で経験を積む方が成長スピードは格段に速くなるケースが多いです。実際、2年前に工業高校を卒業して入社した社員は、母校で後輩に向けて就職体験のスピーチを任されるほど立派に成長しています。年が近い先輩が格好良く働く姿を見せることで、後に続く若い人材が入社してくれる良い循環を生み出してくれると期待しています。

社員の働きやすさの追求と現場・事務のさらなるDX推進

ーー交流を活性化し、働きやすい環境をつくるための取り組みについて聞かせてください。

山本英夫:
弊社では、本社5階にある屋上を活用し、ビールサーバーを借りてビアガーデンのような懇親会を年に数回開催しています。直近行った際には、社員の8割ほどが参加してくれました。

普段の業務では話しにくい本音を語り合い、相互理解を深める良い機会になっています。他にも、2年に1回の社員旅行や、古くからお付き合いのあるスター食堂様での新年会や忘年会など、社内イベントを通じて風通しの良い組織づくりを進めています。

ーー現場の残業削減や効率化に向けて、現在どのような取り組みをしていますか。

山本英夫:
建設業界では残業時間の上限規制や週休2日制などの制約が厳しくなる中、いかに効率よく仕事を進めるかが課題でした。そこで、以前は図面をFAXで送って修正を指示していましたが、今はタブレットで写真を撮り、画面上に直接書き込んで瞬時に関係者と共有できるシステムを構築しました。また、現場にカメラを設置することで、現場につきっきりにならずとも遠隔で進捗や安全を確認できるようになり、業務時間の大幅な短縮につながりました。今後は、今話題のAIを活用して、更に業務効率化を進めていこうと考えております。

ーー業務効率化や広報活動におけるIT活用の現状を教えてください。

山本英夫:
事務方においても、クラウドシステムなどを導入し、ペーパーレス化と残業時間の削減を進めています。広報活動については、若手社員が主導してInstagramを活用した情報発信に力を入れています。先ほどお話しした屋上での懇親会の様子など、会社のありのままの雰囲気をSNSで発信し、これからの世代に弊社を知ってもらうきっかけになればと考えています。

京都の美しい町並みを後世に 地域と連携した未来への展望

ーー今後5年、10年を見据えた事業の目標をお聞かせください。

山本英夫:
まずは、現在注力している文化財保全の事業を完全に軌道に乗せることです。年間を通じて絶えずこのプロジェクトが稼働している状態をつくり、事業の大きな柱に育てていきたいと考えています。

京都には歴史的な建物が多く残されていますが、維持が困難になり、取り壊されてマンションに変わってしまうケースも少なくありません。私たちは、こうした古い建物を単なる遺産としてではなく、地域に活力を生み出す資源として後世に残していくべきだという強い使命感を持っています。

ーー京都の美しい町並みを後世に残すために、地域とどのように連携していく構想ですか。

山本英夫:
自社単独の取り組みには限界がありますので、自治体にもご協力をいただきながら、地域全体で文化財を守るネットワークを構築していきたいと考えています。現在も、毎年秋に開催される近代建築を一斉公開するイベント「京都モダン建築祭」に合わせて、私たちが改修を手がけた建物を公開しその魅力を発信しています。このイベントには京都市も協賛しており、行政としても力を入れている取り組みだと感じています。今後はこうした関わりをさらに広げ、地域全体で文化財を守るネットワークを大きくしていきたいと考えています。ヨーロッパに見られるような、古い街並みが美しく保存される社会を目指し、歴史的価値のある建物を後世に残すための取り組みをさらに押し進めていく決意です。

編集後記

お客様の思いを形にし続けるあめりか屋の情熱が、インタビューを通して力強く伝わってきた。目の前の仕事に誠実に向き合う姿勢が、100年を超え長きにわたる信頼関係の揺るぎない土台となっている。古い建物を「遺産」で終わらせず、地域の資源として蘇らせる提案型事業は、オーナーの課題に寄り添いながら美しい京都の街並みを守る。同社の確かな技術力があってこそ実現できる挑戦だ。次世代を担う人材の育成や環境整備にも注力し、さらなる進化を続ける同社の歩みに今後も注目していきたい。

山本英夫/1958年、京都府京都市生まれ。1987年3月、早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程を修了。同年4月、小野田セメント株式会社(現・太平洋セメント株式会社)に入社し、中央研究所に勤務。1988年4月に建設省つくば研究所(現・国立研究開発法人 建築研究所または土木研究所)へ出向。1992年3月に同社を退社し、同年4月に株式会社あめりか屋へ入社、取締役に就任。2011年7月、代表取締役社長に就任。現在は、昭和初期建築物の維持、保存、活用に注力している。