※本ページ内の情報は2024年9月時点のものです。

1976年に不動産仲介業として創業した株式会社日住サービスは、1989年に大阪証券取引所二部に上場し、2022年、東京証券取引所スタンダード市場に移行した。兵庫県・大阪府・京都府に特化して、不動産の買取・仲介業務や賃貸管理業務、リフォーム・建設業務など、不動産に関するさまざまな業務を展開している。

決算期末前月で社長就任となり、就任期を含め2期連続で営業赤字を計上したところからの営業黒字回復を成功させ、2024年にはMBO(経営陣による買収)を実施し、株式の非公開化を成功させた中村友彦氏に話をうかがった。

創業家として会社と地元に貢献するべく転職を決意

ーー業界最大手会社から日住サービスに転職した経緯をお聞かせください。

中村友彦:
日住サービスは、亡くなった祖父(以下、新名会長)が48年前に創業した会社です。「前職で培った14年間での経験を武器に、日住サービスを通して、故郷である神戸市や関西に恩返しがしたい」40歳を目前に、そう強く思ったことから、転職を決めました。東京で暮らした自宅の売却と東京から神戸への転居を伴う、大きな覚悟を要する転職でしたが、家族も理解しついてきてくれました。

ーー同業他社からの中途入社であるという「アウェイ」な環境のなか、会社に対してどのような印象を持ちましたか?

中村友彦:
新名会長が存命中の日住サービスは、日本の不動産流通業界をリードする存在でした。加えて同業界では老舗に類する日住サービスの一員として勤務できることが楽しみで、高鳴る鼓動を抑えながら出勤したのを、今でも鮮明に覚えています。

しかし待っていたのは、新名会長の遺産を食いつなぐのに甘んじ、進化しようと研鑽することのない常勤役員らの姿と彼らがつくった職場環境でした。「真に地域に必要とされる企業にしなければならないのに。進化しなければならないのに」と、私はいつもその現状に、憤りと焦りを覚えていました。

いくら改革しようとしても常勤役員らが保身を図って既得権益を守ろうとするばかりか、全社にそれが蔓延しており、ほぼ賛同を得られませんでした。そこで私は一度会社を離れて鳥瞰することにしたのですが、それから約2年後、当時の常勤役員らによる不正が表面化したことで当社に戻ることとなりました。

当時の常勤役員らに対して抱いた違和感は、やはりまったく間違っていなかったと確信しました。戻ってからは少しずつ真の理解者や協力者を社内外につくり、それまでの体質を変えていく努力を怠りませんでした。その最中、前社長から決算期末の前月に突然バトンタッチされる形で、社長就任することとなりました。

このような一連の過程により、組織を解体的に作り直さざるを得ず、それによって辞めていく常勤役員や従業員も少なくありませんでしたが、新陳代謝を図るためにはどれも必要なことだったと思っています。痛みを伴う改革こそ誰かがいつかは実行しなければならない。それはまさに創業家の使命の一つだと思っています。

社長自身のポジティブ思考を組織全体へ広げる

ーー働くうえで大切にしている考えは何でしょうか。

中村友彦:
何事もプラスに捉えながら、常に進化を目指すことが肝要だと考えています。つらい思いをしたときに、いつまでも引きずるのではなく、自己成長のためには必要なことだったと言い聞かせて前進することが大切です。また、人生においても企業経営においても、柔軟さを保ちつつ、芯は強く、軸がぶれることのないように努めることを大切にしています。

ーー社長のポジティブ思考を従業員に浸透させるために、どのような取り組みをしていますか?

中村友彦:
私から直接、メッセージを伝えることが大切であると考え、営業社員をいくつかのグループに分けて私が対面参加するミーティングや研修を行っています。そこでは、地域社会に必要とされ、社会から信頼され続ける企業になるために、社長である私が重要であると信じている考えや営業方針などを直接、伝えています。

非上場企業として新たなスタート地点に立つ

ーーMBOを決断し、上場廃止に導いた背景を教えてください。

中村友彦:
上場は創業者にとって究極のロマンであり、事業承継であり、一握りの創業者しか叶えられない大変な偉業です。新名会長が1989年に上場を果たしたことで当社は信用力と知名度を獲得しました。今後は企業成長を長期的視点から追求したいと考えたことや、第三者による買収リスクから会社や従業員を守りたいと考え、MBOつまり非上場化を決断しました。

MBOと一口に言っても実現させるにはクリアし難いハードルがいくつもあります。MBO不成立の場合に被る全リスクを踏まえての決断、全株式分を対象とする買取資金の調達、全株主様のうち2/3以上の株主様からの賛成票獲得、開示後のアクティビスト対策などの問題が同時に立ちはだかり、その他にも多くのハードルがあり、どれか一つでもクリアできなければ不成立となります。一旦上場した会社を非上場化するには、想像を遥かに超える難しさがあるのです。

決断は私一人で出来たのでさておき、まず何よりMBO資金の調達についてメインバンクに相談したところ、「中村社長を全面的にバックアップします」と、ファンドなど第三者を絡ませることなく全額応じていただきました。これは非常に幸運でした。次に、国内主要都市に点在する主要株主様に私が直接出向き、開示内容に基づく説明をして回りました。同時に従業員にも回を分けて同じ説明をしました。

いわば投票最終日の結果発表まで、熟睡できる日は一日もありませんでしたが、必ず成すと最後まで信じて最善を尽くしました。その結果、大変多くの株主様からの賛同を得て、MBOを成立させることができました。非常に限られた時間のなか、決断と実行の連続でしたが、関係各位に恵まれて大変円滑に進められたと思います。

上場企業の社長として望んだ景色、非上場へ向かう道程から望んだ景色、そして非上場企業の社長として望む景色、一つの会社でこの3つの景色を味わえるのは大変幸運なことであり、ありがたいことです。関係各位には感謝しかありません。これまでの当社の社風等を引き継ぐつもりは一切なく、むしろ全くの別会社に変える気概で、でも肩の力はしっかりと抜いて、ひとつひとつ楽しみながら臨んでまいります。

ーー不動産に関する事業を多岐にわたって展開する貴社ですが、今後特に注力したい事業について教えてください。

中村友彦:
賃貸管理事業を伸長したいと考えています。大切な財産である不動産の管理を家主様からお任せいただくことは大変光栄なことであり、信頼される企業の証と捉え、誇りを持っています。現在の管理戸数から、さらなる拡大を図るつもりです。そのための施策をこれから中期で次々打ち、一つ一つの施策をより良いものに磨いてまいります。

また、関連事業や新規事業の立ち上げも視野に入れています。この場合は、一から組織を立ち上げるのではなく、M&Aによってノウハウがある企業と協業することが最適だと考えています。

ーー貴社ではどのような人物を求めていますか?

中村友彦:
先述の「新陳代謝」中は採用をほぼ止めていましたが、今は再開しており、おかげさまで毎日多くのご応募に恵まれている状況です。ただそのような環境においても数ありきの大量採用は一切しないと決めています。また、社長である私が必ず最終面接を行います。積極性に富み、前向きで周囲をプラスの方向に引っ張る力のある人と働きたいと考えているからです。また、周囲から受けた恩義を忘れない人であることも大切だと考えています。

編集後記

「常に前向きに、自分が正しいと信じた改革を躊躇なく進めてきた」と語る中村社長からは、地域とともに成長したいというまっすぐな思いが伝わってきた。ワンストップのサービスとお客様に対する真摯な姿勢で、地域に信頼される株式会社日住サービスは今、新たな歴史を刻もうとしている。

中村友彦/1977年生まれ。2001年、大手不動産会社に新卒で入社。管理職を経たのち、株式会社日住サービスに入社。2019年11月、代表取締役社長に就任。コロナ禍において社内改革を大胆に推進し、2期連続営業損失を計上したところからのV字回復を成功させる。