※本ページ内の情報は2024年9月時点のものです。

360余年続く老舗日本酒メーカーの菊正宗酒造株式会社では、45年ぶりに嘉納家当主の名跡である「治郎右衞門(じろえもん)」を復活させ、伝統を守り抜くとともに時代の変化に対応した新しい商品づくりをしていくと表明した。代表取締役社長である嘉納氏に、襲名までの経緯や守るべき伝統、新たな商品づくりについて話をうかがった。

友人との会食で実感した「生涯かけて日本酒の素晴らしさを広めたい」という思い

ーー家業を継ぐと決めたタイミングはいつだったのでしょうか?

嘉納治郎右衞門:
幼少期から事業を継ぐように言われたこともなく、父は家ではほとんど飲酒しなかったためお酒とは縁遠い生活を送っていました。大学生になりお酒が飲める年齢になると、飲み会をする機会も増えましたが、当時の日本酒といえばゲームの一環としてお酒を飲むなど、悪い印象を受けたものです。

就職を考える時期になり、友人と飲みに行く機会があったのですが、そこで初めて落ち着いた空間で日本酒をいただきました。食事とともにゆっくりと味わう燗酒は、これまでの日本酒のイメージを大きく変えました。「日本酒のネガティブなイメージを払しょくし、生涯をかけてこの素晴らしさを広めていこう」と家業を引き継ぐ決意を持つきっかけとなりました。

ーー貴社に入社し、社長に就任するまでの経緯を教えてください。

嘉納治郎右衞門:
当時はアルコール業界全体で規制緩和が進み大型店舗にも売り場が広がっていた背景もあり、小売業で消費の現場を学ぼうと考えイトーヨーカ堂に就職しました。

その後菊正宗に入社し、開発兼営業支援の部署に配属されましたが、前職は生鮮食品を扱っていたため、家業とはいえ日本酒の知識が無く苦労しました。主力商品の名前すらわからない状態だったので、「まずは販売の現場に立たせてほしい」と志願し、東京支店の量販店や飲食店を担当しました。

そこから16年間さまざまな部署で経験を積み、いざ会社を継ぐとなったとき、襲名について頭をよぎりました。祖父も父も、高度成長期やバブル崩壊など変化が激しく、古い慣習よりも新しい文化を開拓する時代に当主になったため、襲名には重きを置いていませんでした。しかし現代では、改めて歴史や伝統を守るために、襲名することで世間の皆様に私たちの覚悟を表明するべきだと考え、45年ぶりに襲名いたしました。

冷酒、健康食品、化粧品…「伝統工芸品」を越えて新たな商品展開を

ーー商品づくりについて、長年の歴史の中でどのようなこだわりを持ち続けてきたのでしょうか?

嘉納治郎右衞門:
弊社の酒づくりの歴史は非常に古く、創業から360年以上経ちますが、実際には600年も前から酒づくりをしていたと記録に残されています。

昔ながらの製造技術を大切に受け継ぎ、蒸米・麹・宮水を丹念にすり合わせる工程を経て、酒蔵に棲みつく天然の乳酸菌の力を借りてじっくりと時間をかけ、力強く優良な酵母を育む「生酛づくり(きもとづくり)」を採用しています。

生酛づくりは、道具にもこだわり、木製道具を使用しています。特にこの木製道具に乳酸菌が棲みついており、道具の一部を調べてみると、江戸時代から生きているであろう微生物が確認できました。そうした良質の菌体を維持できるような木製道具を脈々と引き継ぐことで、伝統を守り抜いていきたいと考えています。

ーー伝統を守りつつも、時代に合わせた新たな商品づくりにも挑戦していますね。

嘉納治郎右衞門:
昔ながらの道具や製法を継承していくだけでは、いわゆる「伝統工芸品」になってしまいます。本来お酒は日常の中にあるもので、「美味しくて気軽に飲めるかどうか」ということが重要です。そこで「伝統と革新」とテーマを掲げ、2013年ごろからものづくり改革を始めました。

これまで温めることで味わいが向上する「燗酒」に力を入れていましたが、冷酒にターゲットを絞り、10年かけて「しぼりたて ギンパック」を開発しました。世界最大規模のワインコンテスト「IWC」の「SAKE部門」にて「グレートバリュー・チャンピオン・サケ」を史上初・2度にわたって受賞するなど、日本酒業界では近年1番のヒット商品を生み出すことに成功したと自負しております。

ーーものづくり改革で、その他にはどんな商品を開発しているかお聞かせください。

嘉納治郎右衞門:
「酒は百薬の長」といわれているように、日本酒の原材料には美容と健康に寄与できるものが多く含まれています。その代表例として「甘酒」があり、江戸時代のエナジードリンクともいわれるほど非常に身体に良い成分でできているのです。そこに着目し、大学や県の研究機関と共同で健康食品開発に臨みました。

化粧品については、日本酒業界では多くの企業が取り組んでいる分野ではありますが、弊社がトップシェアを誇っていると自負しております。ドラッグストアやバラエティショップなど、マーケットの主戦場となる売り場にいち早く参入し、日常的に楽しく使っていただけるよう、パッケージにもこだわり、大容量で全身に使えるような仕様にしています。

低アルコール化やEC販売、世の中の動きに合わせ最適なものをお届けしていく

ーー今後、商品開発の基準や売り出し方について、どのように展開する予定ですか?

嘉納治郎右衞門:
販売経路としては、ECサイトの強化を図っていきます。現状はリアルの小売店様経由の販売がメインですが、コロナ禍でECサイトの利用も増えました。今後さらに新たな層のお客様にお届けしていく手段として、ECチャネルの強化を検討しています。皆様にお酒をもっと身近に楽しんでいただくためには熟成酒やプレミアム感も重要ですが、蔵元直送の鮮度感は美味しさを実感していただきやすいポイントです。

また、お酒は基本的にアルコール度数が高い方が旨みも溶け出しやすいのですが、世の中の需要に合わせ、今後は「低アルコール化」の商品づくりに反映させていきます。日本酒の愛飲者のうち多数を占める高齢の方や、お酒に馴染みがない方にも、アルコール度数を低くすることで身体への負担を少なくし、豊かな飲酒ライフを楽しんでいただけるよう、商品の開発に努めてまいります。

編集後記

今後は自社の酒蔵を利用し、各地の文化や歴史に根差した地域創生事業をすすめていきたいという嘉納社長。「外国のワイナリーのような、人が集まりお酒と食を楽しめる、ワクワクするような場所をつくっていきたい」と笑顔で語った。伝統と革新を胸に、今後どのような商品が生み出されるのか、期待が膨らむばかりだ。

嘉納治郎右衞門/1975年兵庫県生まれ、甲南大学法学部卒業。1997年に株式会社イトーヨーカ堂に入社し、4年の修業期間を経て2001年に菊正宗酒造株式会社へ入社。2017年に代表取締役社長に就任。第十二代嘉納治郎右衞門を襲名した。