トラックドライバーは特に労働時間が長い業種である。全産業平均と比べて年間労働時間は約400時間も長い。2024年4月以降、トラックドライバーの労働環境改善を目的として、拘束時間や運転時間、休憩時間などの労働規制が改正された。
そんな中でも、この規則が改定される前から社員の労働環境を徹底的に整え、2024年問題にも特別な対策は不要だったと自信を持って断言する企業がある。それが、滋賀に本社を構え、愛知(名古屋)を中心に運送業を展開する山田運送株式会社だ。3代目社長である山田英樹氏に、企業成長のための改革や将来の展望についてうかがった。
家業を継ぐ決意から始まる変革のストーリー
ーー山田運送に入社するまでの経緯をお聞かせください。
山田英樹:
子どもの頃から、祖父母や両親に「あなたは3代目になる」と言われて育ったため、家業を継ぐことを当たり前のこととして受け入れていました。高校卒業後は、大学へ進学するという選択肢はなく、家業を継ぐために運送会社と倉庫業の会社で計3年間、修業を積みました。
1990年に山田運送に入社した後は、ドライバーとして運送業務を1年間、事務所で配車係を4年間担当しました。入社当時から専務取締役という肩書きをいただいていましたが、当時の部長やベテラン社員から指導を受け、真摯に業務に取り組みました。
ーー入社後に行った改革について教えてください。
山田英樹:
大きく分けて3つの改革を行いました。
1つ目は、親族の雇用を解消したことです。入社当時、社内には多くの親族が在籍してそれぞれ自由な働き方をしていました。この状況では社員の規律を保つのが難しいと考え、全員に退職してもらう決断をしたのです。
当時の社長であった父は、親族の雇用を維持しようとしたのですが、私はこのままでは会社は立ち行かなくなるという思いを貫き、会社の未来を見据えて実行しました。全員の退職までには5年ほどかかりましたが、結果的に会社にとって正しい選択だったと確信しています。
2つ目は、下請け業務を完全に廃止したことです。配送業務が暇になる期間に着目し、売上構成を確認すると、3割が元請け、7割が下請け業務でした。このままでは、依頼主の都合で業務量にばらつきが生じるため、ドライバーが手持ち無沙汰になる状況を避けることができません。それを見て私は危機感を抱き、社長に提言しましたが、社長は下請け元に連絡し、トラック1台分の仕事を確保してもらう対応をとるに留まりました。
自社には60台のトラックがあるにもかかわらず、1台しか稼働していない状況に会社の存続を危ぶんだ私は、大手物流会社を含む下請け元の支店長たちに「明日から下請けをやめる」と宣言しました。支店長たちは慌てて父に連絡し、父は激怒しましたが、私は信念を曲げませんでした。その後、全社員を集めて「この会社は下請けから元請けに転換する」と宣言し、全国を飛び回って新規取引先の開拓を行ったのです。最初は様子を見ていた社員も、元請けの取引先が増えるにつれて協力的になりました。
3つ目は、社員の労働環境の整備です。親族の退職で内部体制を整えた上で、社員が安心して働ける風通しのよい環境をつくりたいと考えていました。そこで、名古屋の営業所開設と同時に、完全週休2日制を導入し、有給休暇制度も整備しました。その結果、朝は早いものの、午後3時頃には帰宅できるようになり、今では保育園や幼稚園のお迎えをお父さんが担当する家庭も増えています。
トラックの台数を3分の1に減らし、効率的な働き方を実現
ーー貴社の主軸事業について教えてください。
山田英樹:
弊社の主軸事業は、昔から変わらず運送業と倉庫業です。特に最近は倉庫業に力を入れています。倉庫業には大きく2つのパターンがあります。自社で土地を購入し倉庫を建設する方法と、既存の設備を賃貸で利用する方法です。弊社は主に荷主の企業様から相談を受けて倉庫を探すことが多いため、賃貸のケースが主流です。
一方、運送業に関しては、入社当時60台あったトラックを現在は20台に減らしました。完全な元請け化によって、待機させるトラックが不要になったことや、社員教育によって効率的な働き方が実現したことが主な理由です。トラックや社員が少なくても、協力会社があり、荷主の皆様にはご満足いただけていると思います。
ーーかつては山田社長が1人で営業を行っていたそうですが、現在はどのような体制ですか。
山田英樹:
倉庫業にも運送業にも新規開拓は欠かせませんが、現在は営業部長をはじめとする営業部がアプローチ先の開拓を行っています。私が関与するのは、何か問題が発生した際にお詫びにうかがうことくらいですが、それすらほとんどありません。
私は36歳で社長に就任しましたが、父が急性大動脈解離で倒れた際、決算書すら見たことがない状態で大変苦労しました。その経験があるため、社員には早めに重要な業務を任せ、経営幹部の育成に力を入れたいと考えています。実際、100年続く会社は事業承継が早い傾向があると感じています。弊社には優秀な社員が多いため、計画的な事業承継を進め、自分が元気なうちにサポートしながら次の世代に引き継ぎたいと思っています。
物流業者の枠を越え、真のパートナーを目指す
ーー山田社長の総合的な展望を教えてください。
山田英樹:
物流業者らしくない物流業者を目指しています。運送業者という枠にこだわると、新たな可能性が見えなくなるためです。私たちは単に依頼された業務を遂行するだけでなく、荷主企業に対等なパートナーとして認めてもらい、提案やコンサルティングを通して、より深い関係性を築きたいと考えています。それが、双方の成長につながると信じています。
また、私は滋賀県トラック協会の副会長も務めていますが、この考え方を業界全体に広げることで、社員を疲弊させることなく、新たな働き方を実現できるのではないかと考えています。
編集後記
長年にわたり運送業と倉庫業に従事してきた山田社長。大きな改革を次々と成功させ、業界全体を見渡す広い視野を持ちながらも、その成功を誇ることなく「私は周りの方に恵まれてきた」と感謝の気持ちも忘れない。そんな人柄だからこそ、多くの人々の共感を得られるのだろう。長時間労働や低賃金という課題に果敢に挑み続ける山田社長は、業界に新たな歴史を刻む存在となるに違いない。
山田英樹/1970年、滋賀県生まれ。京都の高校を卒業後、地元の運送会社に入社し、3年間の修業期間を経て、1990年に山田運送株式会社に入社。2006年に代表取締役に就任。現在は一般社団法人滋賀県トラック協会の副会長も務めている。