
東京一極集中による労働力不足や後継者問題で、地方企業の倒産が相次いでいる。そんな中、九州エリアを中心に企業のM&Aを進めているのが、地域みらいグループだ。同グループは、建築、地域土木、不動産、地域創生、教育福祉、地域みらいソリューションの6つのカンパニーから成り立っている。
家業を継ぐ決心をした東日本大震災後の心境の変化や、社名変更に至った理由、地方創生の取り組みなどについて、代表取締役社長の脇山章太氏に話をうかがった。
人生を大きく変えるきっかけとなった東日本大震災
ーーまずは脇山社長のこれまでの経歴をお聞かせください。
脇山章太:
父の仕事の都合で、2歳から7歳まで米国で過ごしました。互いの違いを認め、相手を尊重する文化で育ち、このときの経験から「人は人、自分は自分」と考えるようになりました。これは他社と足並みを揃えるのではなく、あえて違うことにチャレンジする経営スタンスにも通じていると思います。
大学卒業後は商社に就職し、東京と海外を行き来する生活を送っていました。当時は自分が地元の福岡に戻り、父の後を継ぐとは想像もしていませんでした。
商社時代は人のため、仲間のためというよりも、自分がどうすれば活躍できるかがすべてでした。明確なビジョンを持って進路を決めている方々を見ると、すごいなといつも関心しています。
ーー家業に入ったきっかけは何だったのですか。
脇山章太:
2011年に起きた東日本大震災が大きな転機でした。発災直後は交通網が完全に麻痺し、帰宅するまでに7時間かかりました。スーパーから食料が消えてしまったため、九州に住む家族が送ってくれた支援物資に助けられました。この経験を機に、今の生活を続けていていいのかと思ったのです。
そして、オランダ駐在時に「九州とオランダは国土面積や人口がほぼ一緒、九州にはポテンシャルがある。」と感じていたことを思い出し、地元を盛り上げたいという気持ちが高まり、家業を継ぐ決心をしました。
グループ全体で地域を盛り上げ、多くの企業を次世代に残すことに貢献

ーー2023年に九州みらい建設グループから社名変更した理由をお聞かせください。
脇山章太:
およそ2200人の社員のうち、半分ほどが建築・土木事業以外の仕事に携わっています。そのため、もはや建設会社として一括りにはできないと思いました。また、九州以外の地域で働く社員も増えてきたため、「九州」と「建設」を外すことにしました。
そして「地域の方々に寄り添い、地域を活性化して未来につなげたい」という思いを込め、「地域みらいグループ」に変更しました。
ーー現在グループで42社(※2024年10月時点)を運営されていますが、M&Aに積極的に取り組んでいる理由は何でしょうか。
脇山章太:
ただ会社の規模を大きくするためではなく、後継者不足や人手不足などで経営が厳しくなった地元企業を存続させるためです。年々、組織が大きくなってきましたが、地域を元気にして未来につなげていくという基本的なスタンスは変わっていません。
私たちは、スーパーゼネコンのような日本を代表する建築物ではなく、地域の方々が日常で使う施設の建設に携わりたいと考えています。
日本酒の製造技術を継承するため酒蔵を買収
ーー酒造会社を買収したエピソードをお聞かせください。
脇山章太:
もともと弊社が、福岡県嘉麻市にある梅ヶ谷酒造という酒蔵を所有していたのがきっかけでした。酒造りではなく、建物を活用していたのですが、酒蔵つながりで合併の話が舞い込んできました。
日本酒業界で生き残るには、時代に合った新しい商品をつくらなければいけません。しかし、資金繰りが厳しく、設備投資ができない酒蔵が次々と廃業に追い込まれています。佐賀県最古の酒蔵である窓乃梅酒造(現・佐嘉酒造)も岐路に立たされていました。
その話を聞き、伝統ある地元の酒蔵が無くなってしまうのは寂しいと思ったのです。そこで、技術を伝承する30~40代の若い杜氏(とうじ)や蔵人たちが働く場所を守り、未来につなげていくのが、私たちの役割だと考えました。
現在は海外や全国の旅行客の方々に遊びに来てもらえるように、酒蔵の全面リニューアルを行っています。伝統の蔵を残しつつ、最新設備を備えた新しい蔵を建設中です。これまでは地域活性化を目標に、佐賀県内を中心に展開していましたが、今後はこれまで私たちが培ってきたノウハウを活かし、全国に向けた展開を考えています。この一大プロジェクトを成功させたいですね。

現場に近い経営者でありたい。地域に根付いたグループ会社として伝統や技術を次の世代へ継承
ーー経営において大切にしていることを教えてください。
脇山章太:
結果ではなく、そこに至るまでのプロセスを大切にしています。月に1回報告を受けて指示を出すのではなく、日頃から社員とコミュニケーションを取り、現状を把握するようにしています。
そして、ミスが起きたときは「仕方ない。次は頑張ろう」と声をかけるようにしています。経営者としては甘いと思われるかもしれませんが、私は失敗の原因となった犯人探しをしても意味がないと思っています。それよりも、次に進む方が前向きだと思うのです。
また、お客様ではなく社員ファーストを掲げ、「自分たちも堂々と幸せになろう」と社員に伝えています。まずは社員全員がいきいきと働けるように職場環境を整え、各自が技術を磨けるように心がけています。
ーー社員教育についてはいかがですか。
脇山章太:
私たちが若手の頃は「背中を見て覚えろ」と言われ、とにかく食らいついていくしかありませんでした。しかし、新人の指導をしないのは企業側の怠慢とされる時代なので、先輩社員が率先して指導にあたるように伝えています。
また、合併を機に仲間に加わった社員に対しては、弊社の色に染まることを強制せず、個性を尊重したいと思っています。ただ、同じ組織で働くからには、地域と未来のために貢献するというミッションは理解してもらいたいですね。
社員たちには1日の大部分を占める会社で過ごす時間を、人生の一部と捉えてほしいと話しています。そして、人生を楽しく充実したものにするために、仲間とのコミュニケーションを大切にしてほしいとも話しています。
ーー最後に今後の展望をお聞かせください。
脇山章太:
大手ゼネコンのような国家プロジェクトではなく、地域の方々が必要とするものを形にすることが私たちの役割だと思っています。これからも地域に根ざした中小企業として、ビジネスを展開していこうと考えています。先人たちの伝統や技術を受け継ぎ、未来を切り拓いていくため、これからも社員一丸となって尽力してまいります。
編集後記
東日本大震災をきっかけに東京での生活に疑問を感じ、地元である九州エリアのポテンシャルを再認識したという脇山社長。地方の持つパワーを信じ、企業の存続に注力する姿に、心強さを感じた。地域みらいグループは、地元企業の力を結束し、その魅力を世界へと発信していく。

脇山章太/1974年、熊本県生まれ。7歳まで米国シアトルに滞在。慶応義塾大学卒業後、日商岩井株式会社(現:双日株式会社)に入社。2000年、住友林業株式会社に転職し、オランダへ駐在した後、社長秘書を務める。2012年に株式会社北洋建設へ入社。2018年に北洋建設および九州みらい建設グループ(現・地域みらいグループ)代表取締役社長に就任。