住宅用建材メーカーとして、340万品目という圧倒的な製品群を有する株式会社ハウテック。同社は大手ハウスメーカーとの直接取引を主軸に、年間70万本のドアを供給する一方で、「かゆいところに手が届く」きめ細かな対応でも評価を得ている。創業70周年を目前に控え、社員第一の経営方針と確かな品質で顧客の信頼を築く代表取締役社長の中川正之氏に話をうかがった。
父から受け継いだ、人を大切にする経営
ーー入社した当時の思いをお聞かせください。
中川正之:
入社当時は、社長になることよりも、まず一社員として仕事をしっかり務めようと考えていました。創業者である父の仕事を手伝うのは当たり前という気持ちでしたので、一緒に働くことに全く違和感はありませんでした。むしろ、父が一生懸命、会社を経営している姿を見て、この会社を継続させていかなければならないという思いが自然と芽生えたように思います。
42歳で社長に就任したときの弊社は非常に勢いがあり、地域でも存在感のある企業として認められていました。だからこそ、大きな方針転換や改革を急ぐのではなく、着実に経営を進めていこうという思いで取り組んできました。
ーーお父さまはどのような経営者でしたか?
中川正之:
父は厳しい経営者でしたが、愛情が非常に強い人でした。私自身、さまざまな人と接する中で、一番尊敬できる人だったと思います。経営者としてずっと近くにその存在があり、見習うことがたくさんありました。
特に印象的だったのは、仕事に対する厳しさの理由です。お客さまに対して良い製品を納めていくには、甘い考え方ではいけないという信念があったのです。ただし、無駄に叱ることは決してせず、相手が成長する可能性があるからこそ、愛情を込めて叱るという姿勢でした。
父は私に対しても、「息子」ではなく「部下」として接してくれました。今振り返ると、父に対しては入社以来、敬語しか使ったことがありません。尊敬の思いから、そうした接し方が当たり前だと思っていました。
標準品と同じ納期で特注品にも対応し、顧客との絆を強めていく
ーー貴社の事業内容と強みについてお聞かせください。
中川正之:
弊社の事業の中心は、住宅用建材、特にドアの製造です。「かゆいところに手が届く」仕事をモットーに、特注品であっても標準品と同じ納期で対応します。一般的には難しいといわれる注文でも、できる限り応えていく姿勢で事業を展開してきました。
その結果、現在コンピューターに登録されている商品は340万品目にも上ります。年間の生産量はドアに換算して70万枚ほどなので、その5倍以上の品揃えを維持していることになります。たとえば、同じ製品でも色違いで白、黒、茶、赤となると4倍の品番が必要になるのです。色が違えば生産指示も異なってきますから、品質管理には特に気を配っています。
大手ハウスメーカーをはじめとするお客さまとは、全て直接取引をしています。商社や建材代理店を介さずにご要望を直接うかがい、それを形にしていきます。とても難しいご要望をいただくこともありますが、それらに応えていくからこそ、「やっぱりハウテックだ」と言っていただけるのでしょう。
ーー改善活動にはどのように取り組んでいますか?
中川正之:
改善活動は40年以上前から続けていますが、3年前からさらに活発化させました。毎年6月と12月に「改善発表大会」を開催しています。現在、改善活動のサークルが60ほどあり、インドネシアの工場からもWebで参加するようになりました。
私からは、無駄を見つけることの大切さを常に伝えています。たとえばフォークリフトの運搬作業は、お客さまから工賃をいただける作業ではありません。そこに無駄な運搬が発生していないか、手順を変えて作業効率を上げられないかなどを考えるのです。
しかし、私が言うのではなく社員自身が無駄に気づき、より良い方法を考え出すことが大切です。そのために月初には全事業所をWebでつないで朝礼を行い、改善のヒントを共有しています。
先代の愛情深い経営を受け継ぎ、次の世代へ
ーー福利厚生に対する取り組みについてお聞かせください。
中川正之:
福利厚生には早くから力を入れており、週休2日制は今から30年以上前に導入しました。当時、地方の中小企業では珍しい取り組みでしたが、父の判断で実現しました。また、2005年ごろからは育児就学手当を導入し、子どもが大学院を卒業するまで毎月支給しています。それに加えて、出産祝い金も1万円から10万円に引き上げるなど、社員を大切にする取り組みを進めています。
50周年の際には、「喜びの扉」という記念の日本酒をつくり、社員一人ひとりに贈りました。これは社員が一生懸命働けるのは家族の支えがあってこそという思いから、家族で祝ってもらいたいという気持ちを込めたものです。一緒に祝ってもらえていたら嬉しいですね。
ーー創業70周年を迎えるにあたり、どのような思いをお持ちですか?
中川正之:
来年は70周年になりますが、私は100周年に向けて、今後を引き継いでいく人たちに、自分たちが何をしなければいけないかを考えてもらいたいと思っています。70周年を迎えられても、その先があるという保証はないので、次の世代にしっかりと事業を引き継いでいかなければなりません。
今の建材を中心とした事業は、盤石の体制で続けていきたいと考えています。その上で、体力と環境が許せば、新たな事業展開も一つの柱として育てていきたいと思っています。
編集後記
中川社長の言葉の端々に、「人を育てる」という強い思いが感じられた。父親から受け継いだその経営哲学は、社員とその家族を大切にする企業文化となって、今も脈々と受け継がれている。340万品目という膨大な商品と、それを支える改善活動。その中心にあるのは、常に「人」なのだ。
中川正之/1953年、岐阜県生まれ。金沢工業大学卒業。1978年、株式会社ハウテック(旧:コンテナー工業株式会社)に入社。1995年、代表取締役社長に就任し、現在に至る。