
江戸の華やいだ町人文化を象徴する1つが、広く庶民にまで普及した化粧。現在、「ヒロインメイク」「ヘビーローテーション」など化粧品をオールラウンドに製造販売する株式会社伊勢半は、江戸時代後期の1825年に日本伝統の化粧品「紅(べに)」の製造を開始。その製法を今日に至るまで変わらずに守り続ける、唯一の伝統継承企業だ。
これまでも数々のブームを起こしてきた開発・企画力は、いつの時代も他をリード。昭和初期に画期的な「キスミー」ブランドを立ち上げ、1966年には国内で初めて化粧品のセルフ販売を実現したPSP方式(化粧品をフック付ラックに掛ける)を導入するなど、常に業界の先駆者ぶりを発揮してきた。
今回は2003年に入社し、社内の教育面を中心に改革を進めてきた代表取締役社長である澤田晴子氏に、今後の展望を聞いた。
伝統の紅(べに)をアピールするため区役所に飛び込みプレゼン
ーー貴社に入社するまでの経緯を教えてください。
澤田晴子:
弊社に入社前は経営コンサルティング会社で企業教育担当のコンサルタントをしていました。主に百貨店や小売り専門店を対象に、顧客の立場で気になる点を指導する研修や管理者の研修、またリーダーの養成にも携わっていました。
その後に出会って結婚したのが現在弊社の会長を務める夫です。しばらくは家事に専念していましたが、再び仕事をしようと考え始めた頃、先輩から「独立したので手伝わないか」とお誘いを受けたのです。
ところが夫の母から「外で働くのなら、うちの会社を手伝ってほしい」と諭されました。会社が私を歓迎してくれるか一抹の不安はありましたが、先代社長の義父も夫も後押ししてくれたことがとても心強く、入社することにしました。
ーー入社後はどのようなご経験をしましたか?
澤田晴子:
入社時にあずかった職務は新規事業部長です。重要な業務を任されたからには、会社に役立つ新規事業を創出しなければと、大いに奮い立ったものです。ある時、伊勢半の本社がある千代田区で江戸幕府開府400年の記念行事が開催されることを知りました。弊社が江戸時代から続く伝統企業であることを踏まえ、「なにかお手伝いできないでしょうか」と、千代田区役所に飛び込み掛け合ったのです。
意外にも「キスミー」をご存じだった担当の方に、「江戸時代から続く会社だったのですね」と快く受け入れていただくと、スムーズに話が進み神田神保町で紅の伝統的な道具などをお披露目することになりました。
展示場となった神保町の本屋街の皆様はとても人情味があってすばらしく、連日、旅行客など多くのお客様もご紹介くださり、大盛況でした。これがきっかけとなり、2005年に青山で「紅ミュージアム」をオープンするに至っています。
ーー伊勢半での社長就任前に、社長を務めたグループ企業でのことをお聞かせください。
澤田晴子:
伊勢半の入社後に社長を務めたのが、あざ・傷あと・白斑など肌色に悩みを抱える方向けにカバーメイク化粧品を販売する、グループ会社のひとつマーシュ・フィールド株式会社です。
英国赤十字社でカバーメイクについて学んだ方の講演を聞き、日本ではまだ普及途上だったカバーメイクについて、化粧品メーカーとしてもっと社会にも貢献できればと考えたのです。
同社の経営に携わり、カバーメイク用のファンデーションを開発し肌色に深いお悩みを抱える方々にお届けすることで、喜んでいただくことができたのは、まさに経営者冥利につきる思いです。
唯一無二の強みである江戸時代から続く紅の歴史を社内教育

ーーグループの中核企業、伊勢半の社長就任後はどんなことに取り組みましたか?
澤田晴子:
社長に就任するにあたり、それまで経営者としての経験がなく、伊勢半でのキャリアも短いため、社員みんなの力を借りる気持ちで臨みました。そこで、自分が得意な教育に関連することから始めようと、取り組んだのが本部長制度の設置です。
営業本部長や開発本部長と部門ごとに専門性に優れたトップを立て、経営に関する意思決定をしていく会議を開きました。するとその中で、もともと私が社長になる数年前まで販売を担うキスミーと製造を担う伊勢半が別会社だったこともあり、部署間で使う用語やフォーマットが違うという意外なことが判明しました。
そのためこれらを統一し、互いの仕事を知り相互の理解を深めることに努めたことが、グループの結束を高めることにつながったと感じています。
ーーほかにも得意な教育を発揮した事例を教えてください。
澤田晴子:
私たちの一番の強みはなにかを考えた際、もちろんブランド力や品質もありますが、堂々と社員が胸を張れるものは、やはり紅屋としての歴史だと感じました。
だからこそ、会社の歴史教育に力を入れてきました。紅とはどういうものか、伊勢半がどのように始まり、なにを大切にしているのか。そういうことを全社員に伝える研修を行ってきました。
創業時から受け継ぎ、今日も続く伝統の紅づくりを後世に残していくため、マスカラ・アイライナーといった現在、弊社の中核を担う分野に注力しつつも、紅を通して社員が伊勢半という会社に誇りを持てるようにすることも重要だと考えました。
化粧品の力でより大きな喜びと感動を世界に広げる

ーー新商品の開発について教えてください。
澤田晴子:
2025年に創業200周年を迎えるにあたり、これまでも「キスミー シャインリップ」「キスミー フェルム 紅筆リキッドルージュ」「キス リップアーマー」など、数々の口紅のヒット商品を世に送り出し、業界をリードしてきた企業としてふさわしい企画商品がほしいと考えていました。
そこで着目したのが紅の原料です。原料の紅花から抽出する赤色色素は1%とされ、ほかは黄色色素です。従来は赤色色素を抽出した残りを廃棄していましたが、最近の自社研究で有効性のある保湿成分の抽出に成功しました。
その紅花をアップサイクルした保湿成分を加えて開発したのが「キスミー フェルム ルージュアクト」という口紅です。この伊勢半の矜持ともいえる紅づくりからインスピレーションを得た新商品が200周年の記念すべき年に発売されます。そのうっとりするような塗りごこちや、長時間続く保湿力を、是非多くの方にお試しいただきたいと思います。自信作です。
ーーグローバル事業での展望をお聞かせください。
澤田晴子:
一昨年前からアジア諸国や北米など、すでに輸出している15の国と地域の現地視察を行いました。そこで目の当たりにしたのは、さまざまな国が日本よりも街が活気づいていたり、人々が元気だったことです。
これには大いに刺激を受けました。私たちの化粧品の力でもっと日本を元気にしたいと同時に、海外でもさらにファンを増やし、いろいろな仕掛けでお客様を喜ばせ、驚かせたいという思いを新たにしたところです。
編集後記
人や仕事への向き合い方を尋ねたとき、澤田社長は「自分の平凡さがよく分かっているので足りない分を補うために人を集め、その力を借りてきました」と謙虚に語っている。
周りを巻き込む力に長け、人が得意なことを見つける能力があるからこそ会社という組織をまとめ上げられるのだろう。「先代社長から『あなたに商売をさせてみたい』と言われて気を良くした」とはご本人談。先代社長は早くからその特殊な才能を見抜き、確信をもって招き入れたのではないかと感じた。

澤田晴子/大学卒業後、商社勤務やカルチャースクール講師などを経て、約20年間企業教育コンサルタントとして活躍。2003年伊勢半グループ入社。最後の紅屋・伊勢半の紅づくりや日本の化粧文化を伝える「紅ミュージアム」設立や、あざ・傷あと・白斑など肌色に悩みを抱えた方むけのカバーメイク化粧品を販売するグループ会社「マーシュ・フィールド株式会社」の社長などを歴任。2009年、株式会社伊勢半の社長に就任し現在に至る。