
経済産業省によれば、結婚式場の売上高は2020年にコロナショックの影響で前年比50%以下の1115億円に激減したが、その後は2年連続で急回復。2022年には2266億円と、早くも2018年の水準まで回復している。
しかし生活スタイルの変化などを受けて婚姻数は減少傾向で、今後は競争の激化が予想されている。「錦屋」ブランドを展開する翠宝商事株式会社(1974年創業、岡山県)は、貸衣装店から事業をスタートしたブライダルの総合会社。
創業50年の歴史の中、当時は和装が主流でドレスはわずか10点、10坪の店舗から始まった錦屋は時代のニーズに合わせ、当時日本で数少なかった本格的ハウスウェディングを展開。海外の本物のチャペルを導入し、式場からレストラン、エステに至るまで、「結婚式のすべてが揃うワンストップのブライダル」を掲げ、順調に成長してきた。
創業者であり代表取締役社長である大本英典氏に、ご経歴や試練を乗り越えたエピソードなどを聞いた。
中学生で起業を決意し、開業は裸一貫でスタート
ーーいつ頃から起業したいと思っていましたか?
大本英典:
父が卸売業を営んでいた影響もあり、中学の時には将来は起業して社長になると決めていました。「鶏口となるも牛後となるなかれ」。大きく全国に展開するよりも、独立開業し、地元に密着して一番店となり、地域に貢献していきたいという考えが頭にありました。
ーー大学時代に上京していますね。
大本英典:
大学2年の時、父の会社の経営が厳しくなり仕送りがストップしてしまいました。それからは学費と生活費を自力で捻出しなければなりませんでした。学業を続けるため、家庭教師などのアルバイトに明け暮れ、仲の良い友人の家を転々として助けてもらいながら、なんとか卒業までたどり着きました。
ーー社会人時代のエピソードをお聞かせください。
大本英典:
経営のノウハウを学ぶため、まずは三井生命保険(現:大樹生命保険)に就職しました。そこで営業職に携わる中、非常に営業能力の高い同僚に出会ったのです。彼はスタミナとバイタリティをもった天性の営業マンで最初は「どうしたら彼のようになれるのか」と考え、真似しようとしましたが、結局これは無理だという結論に達します。
ある時「自分と彼とは同じ人間ではないのだから自分独自のやり方を開拓しよう」と思い直し、紹介から横に伸ばしていく紹介契約に力を入れました。顧客に親身になり、ありとあらゆる役に立つ情報提供をすることで顧客は次々に別の顧客を紹介してくれるようになりました。
当時、現地の支部長が新しく派遣された支社長をバカにして、支社長の部下だった私は「そんな言い方はないでしょう」と啖呵を切ったことがありました。当時の三井生命は全国に支社が40数社。私が赴任した支社は700人規模で支部は35箇所ほど。在籍していた支社は35支部を統括し、そのうち25支部が対立していた現地の支部長派閥、残りの10支部が私をバックアップしてくれていました。
そんなとき、私は当時本社で発売したばかりの「企業年金」に着眼しました。顧客は個人が当たり前の時代だったため、企業契約は桁違いの金額です。「これをモノにして戦略を立てよう!」と、本社とやりとりしながら仕事が終わった後に独学で勉強し、1ヶ月ほどでマスターした後は、支えてくれる支部の人を集めて講習会を開きました。すると、ノウハウを伝えたことで、皆の営業成績がうなぎ登りに上がっていったのです。
それまでは「生意気な若造」と、何かと批判されていましたが、3ヶ月目、4ヶ月目と、私が特訓したグループがぐんぐん数字を上げ、全国でも1位~3位に入るようになると、それまで私を批判していた支部長から和解の申し出があり「契約方法を教えて欲しい」と頼まれました。
ーー起業した経緯をお聞かせください。
大本英典:
東京でもう少し頑張ろうとしていた矢先、母と父が相次いで大病を患ったため、地元岡山に呼び戻されました。倉敷は友人や知人が皆無の未開の地でしたが「人の2倍、3倍動けばなんとかなるだろう」と、岡山市を中心に多店舗展開の可能性を考えた結果、この地を拠点に貸衣装会社を設立することにしたのです。
あわや廃業の大ピンチを経験した会社設立期

ーー会社経営ではどんな苦労がありましたか?
大本英典:
会社を登記した直後に資金難に陥りました。仲介業者(美容師)からの紹介制度を採用していたため、貸衣裳代のうち仲介業者へ紹介手数料(30%)を支払っていたのですが、これらの計上方法をめぐって税務署と見解の相違があったのです。
税務署からは過少申告と判断され、億単位の加算税を要求されました。当然、創業当初の会社に到底払える金額ではありません。経営陣と相談した結果、やむを得ず「会社を潰すしかない」という結論に至りました。
ーー一度廃業したのですか?
大本英典:
いいえ。覚悟を決めて会社をたたむことを税務署に伝えると、「半額でもいい」と譲歩されましたが、それでも払える水準ではありません。事業を続けるために、何度も関係各所を訪問し、頭を下げて支払いの期間を延ばしてもらえるようお願いして回りました。ぎりぎりのところで踏ん張りながら3年かけて困難を乗り越えたのです。
観光需要を切り口に新たな事業を開拓

ーー独自の運営方針を教えてください。
大本英典:
弊社は地元密着型であるため、同じようなコンセプトの結婚式場ばかりだと客層も限られてしまいます。そのためそれぞれを差別化し、異なるタイプの結婚式場を6会場展開しています。
例えば「森の中のナチュラルウェディング」「クラシックなフォーマルウェディング」「リゾート」「スタイリッシュ」「レトロモダン」など、会場ごとに雰囲気を変えています。これにより、幅広い結婚式ニーズに対応でき、客層を広げることにつながりました。
結婚式・披露宴場の他に料理、カフェ、レストラン、エステなど、ブライダルに関連するさまざまなサービスを提供し、結婚に必要なすべてが揃う「ワンストップブライダル」をスローガンに、どんなサービスが喜ばれるのかを考え、新しいチャレンジを続けています。
ーー現在注力しているテーマを教えてください。
大本英典:
結婚式場が稼働していない平日の活用方法として、レストラン部門を開拓し、会場の回転率を上げています。
特に、同会場でレストランウェディングを挙行した方には、アニバーサリーとしてもご利用いただき、結婚式場ならではのラグジュアリーな空間を楽しんでいただいています。倉敷では観光需要としてアフタヌーンティーが人気のため、店舗のPRも含め将来のリピートを期待しています。
ーー今後の展望をお聞かせください。
大本英典:
今後も各部門の一層のレベルアップを目標に、ブライダルだけではなく生活の中で必要とされるアニバーサリーの食事会や記念日フォトなど、お客様のニーズや人生サイクルに合わせ、幅広く総合的なサービスを探求し、前進し続けていきたいと考えています。

編集後記
大本社長の記憶に残るエピソードとして「余命が短いため、一度だけ花嫁衣装を着せてやりたいから貸してほしい」という相談を受けたことがあったという。病気の娘を思う家族からの要望に応え、貸すのではなく、当時の錦屋はドレス一式を無償で提供した。
その後、神々しい花嫁衣装をまとった姿で女性は納棺の儀を終えたそうだ。花嫁衣装に対する永遠の憧れ。そしてそれをまとう人に対する社長の深い配慮と、心意気が感じられる印象深いお話であった。この先50年も100年も、人生のイベントを彩る企業として、翠宝商事株式会社は、多くの人たちの思いとともに歩み続けていくことだろう。

大本英典/1941年、岡山県生まれ。慶應義塾大学卒業後、三井生命保険株式会社(現:大樹生命保険株式会社)に入社。4年後ヘッドハンティングで株式会社いなき屋に入社し、教育・企画などさまざまな事業を手がけ、3年後に独立。1974年に「錦屋貸衣裳店(婚礼衣裳錦屋)」として創業し、1982年に翠宝商事株式会社を設立。ハウスウェディング会場とアイルランドのチャペルを空輸し、岡山県初の独立型大聖堂「セント・パトリック教会」を設立。衣装店の強みを活かした質の高い着物やドレスをはじめ、結婚式、披露宴会場、装花、写真、ケーキ、エステなどを扱う「ワンストップブライダル」を展開している。