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アニメーション、映画、海外ドラマの吹き替えやナレーションなど、声のみで演技を行うプロフェッショナル、声優。その活躍の舞台は音楽や芝居など幅広い分野へ広がり、エンターテインメント業界において欠かせない存在だ。
こうした声優たちを支え、新しい時代を切り拓いた仕掛け人が、株式会社81プロデュースの創業者で代表取締役社長の南沢道義氏だ。人と人、世界を言葉でつなぎ、時代を彩る作品づくりに貢献してきた南沢氏に、声優業界の発展秘話と自身の足跡、そして果てしなく広がる未来への展望をうかがった。
夢の実現に向け、声優プロダクションを設立
ーー声優業界に携わるようになった経緯をお聞かせください。
南沢道義:
もともとデザインに興味があり、自動車メーカーに就職した後、退職して専門学校に入学してデザインを学び直しました。その後、出版社に入社して広告宣伝のデザイナーを担当しましたが、次第に自身の才能に限界を感じるようになったのです。
将来の仕事に悩んでいた23歳の頃に出会ったのが、声優事務所である青二プロダクションでした。まずはマネージャーから始めました。当時は、初代「鉄腕アトム」の声優・清水マリさんや、小原乃梨子さん、富山敬さんなど、名声優たちが所属しており、その方々を担当させていただいたのは貴重な経験でした。
ーー独立したきっかけを教えてください。
南沢道義:
マネージメントに携わっていましたが、私には「デザインやものづくりに関わりたい」という思いが根強く残っていました。しかし、当時のエンターテインメント業界は閉塞感が強く、企業ごとの役割も厳格に分かれていました。また、当時は声優が活動する場も限られており、若手声優の活躍の場が少なく、自分たちの不遇さに苦悩したのも事実です。
そんな葛藤の中、「夢を実現するには独立するしかない」という思いに至り、28歳の時にプロダクションを設立しました。当時の所属キャストは8人、スタッフは3人という小規模でのスタートでしたが、幸い、大手テレビ局の有力者からのご支援をいただき、設立当初から順調に仕事をいただくことができました。
少人数の会社でしたので、スタッフはキャストのマネジメントだけでなく、アシスタントディレクター、営業、演出、編集など、1人で何役もこなさなければなりませんでした。連日、放送局や劇場、全国各地のローカル局を飛び回り、寝る間も惜しんで働きましたが、本当に楽しく、充実した日々でした。
人と人との絆が支えた新たな創造の世界
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ーー社長ご自身や会社にとって、転機はありましたか?
南沢道義:
私生活では結婚して、子どもに恵まれたことが、仕事観に大きな変化をもたらしました。たとえば、幼児番組を製作する際、それまではルーティンのような感覚で取り組んでいましたが「この番組を見て育つ子どもたちがいる」と意識するようになり、改めて仕事に意義を見い出したのです。
会社としての転機は、自社ビルの建設です。銀行の営業担当者に「社長の夢はなんですか」と尋ねられたのがきっかけでした。その時は軽い気持ちで「自社ビルの中にスタジオを作って、CGや絵作りもできるような会社にしたい」と語ったのですが、後日支店長が来られ、「社長の夢を叶えましょう」と背中を押してくれたのです。
ただ、自社ビルを持つということは大きな借金を伴うため、決断できないまま数年が過ぎた頃、銀行が私たちの理想の土地を見つけてきてくれたのです。「これは進むしかない」と思い、決断しました。
ーー自社ビル建設によって事業にどのような変化がありましたか?
南沢道義:
1995年に自社ビルが完成し、スタジオ運営を開始しました。最初の音響作品は、藤子・F・不二雄先生の「モジャ公」でした。続く第2弾の「ポケットモンスター」が大ヒットし、「ポケモンを作っているスタジオ」として高い評価を受け、会社の業績も急成長を遂げました。
振り返ると、会社が転機を迎えたときには、いつも多くの人々との縁が支えとなっていました。キャスト、スポンサー、社員、銀行の担当者など、多くの人々の支えがあったからこそ、どんな苦境でも乗り越えることができたのです。
新たな分野への挑戦と声優文化を守り抜く覚悟
ーー今後のビジネス展開における方針を教えてください。
南沢道義:
まずは、新規取引先の開拓です。放送という枠にとらわれず、IP事業※へと視野を広げ、さまざまなビジネスチャンスにつなげたいと考えています。たとえば、玩具業界やネット配信事業、ユーチューバーなど、声を必要とする新たな分野はたくさんあります。こうした新しい分野からの需要は、今後さらに増えていくでしょう。
次に、自社配信チャンネルの運営です。これまでは、お預かりした番組制作が中心でしたが、会社独自の発信ができる機会がようやく訪れました。私が40数年前にこの業界に入った頃の初心に戻り、納得のいく作品づくりに挑戦したいですね。
※IPビジネスとは、知的財産(IP)を利用してライセンス使用料などの収益を得るビジネスモデルを指す
ーー声優文化の継承に関して、どのようにお考えですか?
南沢道義:
最も重要なのは、声優文化を支える高い技術を持つ後継者の育成です。デジタル技術の進化により、生成AIやデジタルボイスという新たな脅威が声優業界に迫っているからです。
将来的には、これまで声優が担ってきたアフレコの仕事もデジタルボイスに奪われる可能性があり、そうなれば声優文化は失われかねません。だからこそ、コンピューターでは代用できない確かな技術を持った声優を育てることが私たちの使命です。
かつて、「鉄腕アトム」が映像化され、清水マリさんが声を吹き込んだ際、手塚治虫先生が「ようやくアトムに命が入った。ありがとう」とおっしゃってくださいました。その言葉は業界内で今も受け継がれ、私たちは声優という仕事に誇りを抱いてきたのです。人と人、世界を結びつける「言葉を大切にする文化」を守るため、後継者を育成し、次の時代に受け継いでいきたいと思っています。
編集後記
閉塞的だったエンターテインメント業界に新たな風を吹き込み、声優という職業の可能性を広げることに力を尽くした南沢社長。その果敢な挑戦が、声優という文化を築き、活躍の場を押し広げる原動力となったのだろう。デジタルボイス技術がどれほど進化しようとも、キャラクターに生命を吹き込む声優の声に勝るものはないはずだ。その価値を示すために、株式会社81プロデュースはこれからも歩み続ける。
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南沢道義/1952年生まれ、栃木県出身。千代田デザイナー学院卒業。1981年、株式会社81プロデュースを創業し、代表取締役社長に就任。株式会社ハーフエイチピースタジオ・株式会社1981GHD・81アクターズスタジオの代表取締役を兼任。一社)国際声優育成協会 理事長。1981年、声優マネジメント・番組イベント制作会社 株式会社81プロデュースを設立。多くの作品に携わる一方、声優養成所81アクターズスタジオにて若者の育成にも力を注ぐ。