
ブランドのロゴである横を向いた女性のイラストが有名で、百貨店などで見かける「メリーチョコレート」の製造・販売を行っている株式会社メリーチョコレートカムパニー。1950年の創業以来、チョコレートの魅力を追究し続けてきた。同社の想いなどについて、代表取締役社長の小屋松儀晃氏にうかがった。
多くの方に愛される看板商品が出来上がるまでの開発秘話
ーー小屋松社長のこれまでのご経歴についてお聞かせください。
小屋松儀晃:
大学時代にマーケティングを学んでいたことから、新商品の開発に携わりたいと思い、お菓子や飲料、化粧品業界を軸に就職活動をしていました。その中で縁あってロッテグループに入社し現場の営業からスタートしました。
その後、商品開発部のチョコレート責任者や、営業企画部長、大手広域企業を統括する販売責任者などを経て、2015年にメリーチョコレートの代表取締役社長に就任しました。
ーーこれまでで特に印象に残っている仕事を教えていただけますか。
小屋松儀晃:
モノづくりの現役だった頃に苦しくも感慨深い思い出として残っているのは、ロッテの商品開発部でチョコレートの責任者時代に関わったアーモンドチョコレートの開発です。それまでのロッテの歴史の中で何度チャレンジしても上手くいかなかったアーモンドチョコレートですが、創業者からは売れて売れ続ける商品を開発するよう至上命令が出ていました。
しかし、当時のナッツチョコレートカテゴリーの市場はダウントレンドで、なおかつ表立っての調査をすると、ダイエットブームもありカロリーの高いナッツチョコレートに対する若い女性の購入意向は低かったのです。
ところが別件で行っていた調査では、若い女性のナッツチョコレートの喫食実態が頻繁に見て取れ、市場を分析するとナッツチョコレートのカテゴリーがほぼ数品の商品のみで形成されていることに気付きました。
そのことから、「もしかすると市場が低迷しているのは、消費者の問題ではなく、チョコレートメーカー各社がこのカテゴリーに注目させるほどの新製品を投入できていないからではないのか?」という仮説に行き着いたのです。
それからは研究室と一緒に既存品にはない差別的優位性を持った品質を検討し、デザイナーには「登場感があって定番感のある」パッケージデザインを依頼して、商品化に漕ぎつけました。宣伝販促やチャネル戦略など、市場への投入を成功させるためのありとあらゆる策を関係者と喧々諤々やり合って作り上げた、あのときの熱量は今も懐かしく思い出されます。
今年で発売から25年になりますが、今でも定番商品として売れ続けていることを嬉しく思いますし、市場環境・ターゲット・競合を冷静に分析しながら、売れて売れ続ける商品を作るというモノづくりの姿勢は、今のメリーの商品開発を見る意味でも活かされているのではないかと思います。
チョコレートを通じて女性から想いを伝える文化を醸成。強みは世界からも認められる技術力

ーー改めて貴社の事業内容をお聞かせください。
小屋松儀晃:
弊社では主力商品のチョコレートのほか、クッキーなどの焼菓子や夏場にはゼリーの販売も行っています。最も売上が伸びるのはバレンタインの時期ですが、実は日本で初めて百貨店でバレンタインフェアを開催したのは弊社なのです。
1958年に「女性から男性に、チョコレートとともに愛の告白を」というキャッチフレーズを掲げ、バレンタインギフトを日本で提唱しました。そこから日本にバレンタインデー文化が根付き、記念日文化功労賞も受賞しています。
弊社の商品はギフトがメインなので、購入される方と実際に召し上がる方が異なるのが特徴です。そのため、購入者と受け取る側の双方にアプローチする必要があることが、難しいところですね。また、最近は普段使いの手土産として買われる方や、自分用にお買い求めいただく方も増えているため、それぞれのニーズに合わせた商品開発を行っています。
ーー老舗チョコレートメーカーである貴社の強みを教えていただけますか。
小屋松儀晃:
70年以上にわたり高い品質を追究し続け培った技術力が、最大の強みです。この技術力を世界に評価してもらうため、2000年から2019年までフランスで開催されるサロン・デュ・ショコラに出展しました。
2016年には、外国枠で2枠しかないトップショコラティエに与えられる「C.C.C.アワード」を受賞しました。こうした世界で認められるチョコレートを生み出せているのは、スタッフの連携プレーによるものです。どうすればクオリティの高いチョコレートができるか研究を重ね、試行錯誤を繰り返すことで、世界で戦える商品を作り出しています。
また、当時は馴染みの薄かったゆずなどの柑橘系や抹茶など、新しいフレーバーのチョコレート開発に取り組んできました。サロン・デュ・ショコラ出展当初はフランスのお客様に「こんなのチョコレートじゃない」と吐き出されたこともあると聞いていますが、今ではヨーロッパでも人気の味になっていますね。実は、当時のメンバーは「抹茶のチョコレートは自分たちが最初なんだ」と今でも言っていますよ。
現在も醤油や山椒を混ぜたチョコレートなど、失敗を繰り返しながら新しいフレーバーの開発を進めています。こうして未知の領域に挑戦し、これまで世の中に存在しなかったものにチャレンジしてきたからこそ、長年に渡りお客様から求められているのだと自負していますね。
「水の如く」に込めた思い。老舗ならではの課題を解消する新たな戦略

ーーさまざまな役職を経験する中で、小屋松社長が大切にしてきた考えを教えていただけますか。
小屋松儀晃:
私の好きな言葉に「水の如く」があります。水は、本質はそのままに、滝や川、海、そして氷や霧など、姿を変幻自在に変えられますよね。私も自分の軸を持ちながらしなやかに形を変え、柔軟に対応できる人でありたいと思っています。
ーー社長に就任してから注力してきた点をお聞かせください。
小屋松儀晃:
弊社は70年以上の歴史を持つ企業として、長年ご愛顧いただいているお客様を大切にしながら、これまで弊社の商品に触れる機会のなかった新たなお客様にもその魅力をお届けしたいと考えております。そのため、新規のお客様との接点を広げる活動にも積極的に取り組んでいます。
たとえば空港や駅などの公共交通機関のほか、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどのテーマパークでも商品を展開しています。また、取り込みたいターゲット層を顧客にもつ他社とのコラボレーションも積極的に行っています。多くの方に弊社の商品を手に取ってもらえるよう、間口を広げていきたいですね。
ーー最後に今後の展望についてお聞かせください。
小屋松儀晃:
弊社はバレンタインデーに女性から男性にチョコレートを渡すという、新たなチョコレート文化の形成に関わってきました。今後も単に商品を販売するだけでなく、いつの時代も新たなチョコレート文化を創造する企業であり続けるために、常にチャレンジする姿勢を貫きたいですね。
編集後記
長いキャリアの中でさまざまな商品の開発に携わってきた小屋松社長。商品が出来上がるまでのエピソードを楽し気に語る姿から、「多くの人に自分たちの商品を楽しんでもらいたい」という想いが伝わってきた。株式会社メリーチョコレートカムパニーはこれからも新商品開発に果敢に挑み、人々に新たなチョコレートの楽しみ方を広めていくことだろう。

小屋松儀晃/1961年福岡県生まれ。1984年に山口大学経済学部を卒業後、ロッテ商事株式会社に入社。1997年株式会社ロッテ商品開発部ディレクター、2010年ロッテ商事株式会社営業企画部長、2011年同社九州統括支店統括支店長、2013年同社広域流通統括支店執行役員統括支店長を歴任。2015年株式会社メリーチョコレートカムパニーの代表取締役社長に就任し、現在に至る。