※本ページ内の情報は2025年2月時点のものです。

2012年に設立されたZebra Japan株式会社。デンマーク発の北欧雑貨ブランド、「Flying Tiger Copenhagen(フライング タイガー コペンハーゲン/以降「フライングタイガー」)」を日本国内で展開する企業だ。思わず足を止めてしまうカラフルな店内には、毎月多数の新商品が登場する。代表取締役CEOの松山恭子氏に、就任の経緯や日本ならではの戦略、今後の展望をうかがった。

幅広いキャリアを強みに「フライングタイガー」の立て直しに挑戦

ーー社長のこれまでの経歴をお話しいただけますか。

松山恭子:
大学を卒業後、事業経営や企業を分析・調査する仕事に興味があり「ゴールドマン・サックス証券会社 東京支社」に入社しました。上場会社の未来の成長性によって株価が変化し、その未来に向けた可能性を投資家に示す仕事に魅力を感じたのです。

次第に「事業会社で働いてみたい」という思いが芽生え、慶應義塾大学大学院 経営管理研究科でMBA(経営学修士)を取得したうえで転職しました。数社でさまざまな経験をした中でも、「ユニクロ」で初めて携わったマーケティングは印象深く、数字面から会社を立て直す視点を得ることができました。

姉妹ブランドである「GU」のリブランディングを手伝う機会もいただきました。当初の「GU」は「ユニクロの廉価版」という立ち位置でしたが、マーケティングやPR戦略を組み立てなおし、ブランドの認知率が約5年で30%超向上したのです。また、社内外に「GUはファッションブランドだ」という認識を浸透させたことで、店舗スタッフもファッションに興味を持つようになりました。外向けに広告を打つことも大事ですが、内側に対するコミュニケーションが大切だと実感しましたね。

ーー貴社に入社した経緯を教えてください。

松山恭子:
ある企業の事業再生の案件でご一緒した方が、「サザビーリーグ」に私を紹介してくださったのです。「フライングタイガー」のビジネスを国内で展開する「Zebra Japan」は、この「サザビーリーグ」とデンマークの「Zebra A/S」の合弁会社だったという訳です。

2013年に「フライングタイガー」が表参道で東京1号店をオープンした当初、私自身が大行列に並んだ一人として、とても興味が湧きました。雑貨事業の立て直しは未知の領域でしたが、「人」の熱量なら今すぐ確認できると思い、複数の店舗を回ってみました。

とても元気なスタッフたちに可能性を感じたからこそ、私は「Zebra Japan」への入社、およびブランドの立て直しのチャレンジを決意したのです。

ファミリー層に狙いを定め、日本ならではのブランドコンセプトを周知

ーー入社後、どのような課題を見つけたのでしょうか?

松山恭子:
私が入社した2017年の「フライングタイガー」は、一時的なブームが去ったにもかかわらず、最初の成功体験から抜け出せていない状態でした。そこで、「本当の意味でこのブランドは日本のお客様に知られているのか?」という視点をはじめとし、「思い込みをリセット」することを意識し、経営課題を洗い出しました。

例えば我々がデンマークから来たブランドであることについても、実際に新店舗のオープニングでデンマーク旗を配布すると「どこの国旗ですか?」と聞かれることが珍しくありませんでした。カラフルな商品が店頭に並ぶお店なので、オープン時は「物珍しさ」でご来店される方も多いのですが、商品を通じて、さらに想いが伝われば、もっとたくさんの方にお越しいただけるはずだと思いました。

「フライングタイガー」がデンマークのブランドで、どんな思いを持って日本に来たかをもっとお客様に伝えられれば、商品に込めた「楽しみ方の答え」をお客様も探してくれるはずだと思いました。「また行きたい」と思っていただけるかどうか、そこに違いが表れます。

店内にはカラフルでユニークな商品が並ぶ。

ーー事業再生について、具体的な取り組みを教えてください。

松山恭子:
ヨーロッパにある「フライングタイガー」は、雑貨やスナックが買えるコンビニのような位置づけの小売業となっており、ターゲットは「ALL」です。しかし、日本では、雑貨小売りであり、ポジションが異なり、同じ戦略は取れません。

日本においては、主なターゲットに「ファミリー」を設定しました。キッチン・ホームに加え、トイ・玩具やパーティ雑貨を中心とし、ファミリー向けのイベントも増やしました。また、路面店や駅ビルへの出店を減らし、ファミリーの集まるショッピングモールへの出店を増やしたことで、現在はショッピングモールが8割以上を占めています。お客様にお店の前を通ってもらった際に、毎月登場する新商品を楽しむ体験をご提供するために、間口を大きくとっていることも特徴です。「モノ」の先にある「コト」を売るブランドだと感じていただきたいという思いがあります。

ヨーロッパでの「フライングタイガー」の位置づけは「Affordable Price(お手頃価格)」で、「豊かな生活に大金は必要ない」というテーマがブランドの根幹にあります。日本では、商品のユニークさでブランドの価値を示していく重要性を感じています。方向性としては「安価な雑貨屋さん」ではなく、「豊かな生活のきっかけを提供するブランド」になりたいと思っています。

Rebuy(再購入)という形で、過去のヒット商品を仕入れ直すスタイルも日本発です。コロナで生産が止まり、新商品がつくられない時期があり、困って始めたものでした。また、その際に店舗にある商品をベースに、テーマを編集し直して訴求したことがきっかけで、「再編集」という取り組みも生まれました。

通常では毎月300品ほど入る新商品にはテーマが設けられているのですが、日本ではなじみのないテーマもあります。例えばイースターを強く謳ってもあまりピンと来ませんよね。デンマークと日本では、商習慣やシーズナリティ(季節性)が異なるため、場合によっては伝え方を変えたり、日本のシーズナリティに合わせたPR活動を仕掛けたりしました。大きなメディアで取り上げていただけるケースも増え、テレビ露出(リーチ数)は2019年から今までで3倍に拡大しています。

グローバルブランドであるが、ローカルとのバランスに目を向けつつ「渦の中心で笑って仕事をする」

   全店長と全サポートセンターメンバーが集まる「One Team Meeting」にて。グローバル30周年を記念して撮影(2025年1月)

ーー社長が大事にしている考えをお話しいただけますか。

松山恭子:
「渦の中心で笑って仕事をする」という座右の銘があります。仕事は一人でするものではなく、自分の思いをきちんと周りに伝えることで「協力者」が増えていくものです。さまざまな人が集まり、渦が生まれ、渦が大きくなるほど会社も成長するという考えです。

私の大事にしている部分は「人」であり、「ワンチーム」が基本です。社内でも、「みんなが一つになって周囲を巻き込めば、仕事は面白いものとなり、個人も事業も成長していく」と話しています。

ーー今後のビジョンをお聞かせください。

松山恭子:
「フライングタイガー」が初めてヨーロッパ以外に進出したのは日本でした。今ではアジアや中東にも展開し、2028年にはヨーロッパの店舗数に並ぶ1,000店舗を達成する見込みです。グローバル市場でポジションを維持するためには、「日本に私たちがいる意味」をより発信していくと共に、アジアの習慣・課題に合わせた商品展開がマストだと思っています。

グローバルとローカルのバランスが求められるステージとして、ブランドを日本に定着させながら、「渦の中心」として世界を巻き込んでいきたいところです。

編集後記

2012年、大阪・心斎橋に「フライングタイガー(当時は「タイガー」)」のアジア1号店を出店した「Zebra Japan」。その後も、新店舗がオープンするたびに行列が絶えない雑貨店として話題を集めた。松山社長がとった日本独自の戦略は、「フライングタイガー」を持続的なブランドへと押し上げた。アジア市場をリードする存在として、これからもデンマーク本社からの信頼を勝ち取っていくことだろう。

松山恭子/東京生まれ。幼少期をニュージーランド、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後、1989年にゴールドマン・サックス証券に入社。日本ロレアル株式会社、株式会社リヴァンプ、株式会社ファーストリテイリングなどを経て、2017年に株式会社サザビーリーグに入社。同時にZebra Japan株式会社へ出向。2019年よりZebra Japanの代表取締役CEO、サザビーリーグの執行役員に就任。