
2008年に創業した「株式会社ふらここ」は、独自的かつ意匠性の高い雛人形・五月人形をはじめとするオリジナルブランドを手がける人形工房だ。人形師一家に生まれた代表取締役の原英洋氏に、事業を立ち上げた経緯やモノづくりへの思い、今後の展望をうかがった。
作家を目指した青年が「時代遅れの日本の伝統産業」と向き合うまで
ーーまずはご経歴をお話しいただけますか。
原英洋:
代々続く人形師の家系で一人息子として育ったものの、家業を継ぐことは考えていませんでした。私が生まれた1960年代は経済成長の最中で、「国内製品よりも海外製品の方が上等」という風潮があったのです。今思えば若気の至りですが、「日本の伝統産業なんてやりたくない」と拒絶していましたね。
大学3年次に、文章力を褒めてくれた恩師から作家業を勧められたこともあり、卒業後はマスコミ業界に特化した塾に1年間通い、集英社に入社しました。しかし、作家を目指して走り出した2年目に父が急逝し、家業に戻ることを決意したのです。
ーー家業を継ぐ上で、どのように気持ちを切り替えたのでしょうか?
原英洋:
「夢が破れた」という思いから1年ほどは悶々としていましたが、身を置いた環境で自分を活かす方法を考えるようになりました。そんな中、人形を通して親子の絆が深まることを知り、「人に影響を与えるものを作りたい」という思いが作家業と共通していると気付いたのです。
雛人形や五月人形は、親が「健やかに成長してほしい」という思いを込めて子どもたちに贈るものです。毎年飾られる人形を見て成長した子どもたちは、「自分は大切に育てられた」と自信を持つことができるでしょう。そういった仕事のやりがいを理解してからは、家業に打ち込めるようになりましたね。
ニーズの変化に対応し、表情豊かな「かわいい人形づくり」に挑戦

ーー家業から独立した経緯をうかがえますか。
原英洋:
「お客様の好みの変化」を目の当たりにしたことがきっかけです。3世代が同居する家庭が減り、核家族化が進む中で、伝統人形は「祖父母が孫に贈るもの」ではなくなっていきました。お母様やお父様が直接ご来店して、好みの人形を選ばれる様子を見て、「昔ながらの人形を売っているだけでは伸びしろがない」と痛感したのです。
「柔らかな表情のかわいい人形を作りたい」と考え、まずは社内で第2ブランドの立ち上げを提案しました。それは叶わなかったのですが、妹が家業に入って10年が経ったタイミングで、「会社を任せられる」と思い、独立に至りました。

ーー特に印象深いエピソードをお話しください。
原英洋:
「時代に合った人形を作りたい」と提案した時に、職人に大反発されたことです。モノづくりにおいて「伝統的であること」にプライドのある人が多く、「ふらここ」の創業後も職人と思いを共有するまで時間がかかりました。業界内でも5年ほどは「変なことをやっている会社」という目で見られていましたね。
それでも長く続けられたのは、お客様がついてきてくださったからです。生産量は現在の13分の1でしたが、生産した商品は初年度から完売しました。自己資金のみで創業したため、雛人形の売上で無事に五月人形を製作できたことが本当に嬉しかったです。
また、お客様を増やすため、日本の伝統を勉強し直し、ブログでの情報発信に注力しました。時代に合わせて新しく変えていくからこそ「伝統」は続いていく、という学びは今も大切にしています。人形の見た目を変えることは、伝統を崩すのではなく、守ることにつながるのです。
ネット販売を軸に、新しい形で「伝統」を守る節句人形のファンを獲得

ーー貴社の特徴を教えていただけますか。
原英洋:
雛人形・五月人形を扱う業界において、「年商の95%がネット販売」という会社は他に類を見ません。社員はほとんどが女性で構成され、平均年齢が31歳という点も特徴です。メインターゲットである「子供が生まれたばかりのお母さん」と同世代の女性が中心にいることで、お客様の気持ちや好みをしっかりと捉えられる点は大きな強みだと言えます。
また、ネット販売の特性上、「『ふらここ』で買ってよかった」と思っていただけるブランド力の高さや、顧客満足度の高さも重要です。アフターフォローを含めた満足度調査では、5段階評価のうち「とても満足」「満足」の割合が98%を切った年はありません。
ーー人材育成にも独自性があるのでしょうか。
原英洋:
「仕事」と「プライベート」の両方が成り立ってこそ、人生は充実するものです。自分の大切な時間を費やす「仕事」を嫌々やってほしくないからこそ、現場から上がる意見を見逃さず、社員が自発的に動いて持ち味を発揮できる環境づくりを意識しています。
「自分たちが働きやすい環境をつくる」という思いを反映した人事評価制度は、社員たちが毎年更新しています。会社にとっては「利益を生み出せる人」と同じぐらい、「人を大切にできる人」が必要ですので、今後は「人が人を育てる環境」もより整えていく方針です。
ーー今後の展望をお聞かせください。
原英洋:
雛人形や五月人形は、お子さまのために一生に一度だけ購入するものであるため、お客様との関係性はどうしても長く続きません。そこで現在、子どもの成長後も関係性を保てる商材を開発中です。通年販売できる商品を作った上で、後継者にバトンを引き継ぎたいと考えています。
口コミや紹介で、お客様に次のお客様をつないでいただける現状が、とても大きな財産になっています。「ふらここ」のファンと呼べる方々が、弊社の商品によって素敵な思い出をつくり、親子の関係性をより深められるような商材を提供していきたいですね。
編集後記
「今まで見たこともないほど可愛いお人形を作りたい」という思いのもと、顧客のニーズに応えるモノづくりを続けてきた「株式会社ふらここ」。日本の人形作りや季節行事に関する「伝統」と、子どもを持つ「人」に真摯に向き合ってきたからこそ、業界をさらなる成長へと導く新たなポジションを確立できたのだろう。

原英洋/1963年生まれ。祖父に人間国宝の原米洲、母に女流人形師の原孝洲を持つ。慶応義塾大学経済学部を卒業後、大手出版社である株式会社集英社に入社。1987年、父親の急逝により家業である人形専門店に入社。1988年、専務取締役に就任。2008年に独立し、株式会社ふらここを創業。16年目に売上高13倍を達成(2024年度実績)。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省より「ダイバーシティ経営企業100選」の認定を受ける。