
冠婚葬祭の場で人と人との温かい「つながりの輪」を創出する一企業がある。単なる商品の提供にとどまらず、贈り物の本質に立ち返る「アンチ・カタログギフト」という思想を掲げ、デジタルと体感型のおもてなしを融合させた新サービスを次々と提案しているのが、同社代表取締役社長の蔵野正嗣氏だ。陶器卸売業を営む父の背中を見て育ち、幾多の経営危機を乗り越えながら事業を進化させてきた蔵野氏。その原動力となった原体験から、激動の歴史、そして次世代へバトンを渡すための組織づくりにかける現在の思いに迫る。
卸売業の父の背中が教えた「自社製品」を持つことの重要性
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
蔵野正嗣:
新卒で、大手企業のキャンペーン景品などを企画・製造する株式会社ヒロモリに入社しました。ここを選んだのは、実家の家業である陶器卸売業での苦い経験から、ある種の「危機感」を抱いていたからです。
当時の実家は、他社製品を仕入れて売るだけの「右から左」の商売でした。お客様の要望に振り回され、激しい価格競争に疲弊する父の姿。返品された商品の値札を、夜遅くまでお湯で剥がしては貼り替える両親の手伝いをしながら、私は痛感しました。「自社製品を持たなければ、価格決定権も市場の主導権も握れない。このままでは一生、価格競争に飲み込まれ続ける」。あのお湯でふやけた指の感覚とともに刻まれたこの危機感こそが、私の原動力です。だからこそ、私は「自ら商品を創り出す側」を志し、企画開発のプロであるヒロモリの門を叩きました。この執念が、現在の「独自製品」にこだわる経営姿勢の原点となっています。
ーー前職での経験で、特に印象に残っていることはありますか。
蔵野正嗣:
20代の頃、化粧品のキャンペーン景品で起こした「3000万円の赤字事件」です。私が企画したルームシューズが人気投票で1位を獲得したのですが、単価を見積りで勘違いしてしまったのです。
すでに全国展開されており、後に引けない状況でした。売れば売るほど赤字が膨らむ、まさに血の気が引く思いでしたが、そこから必死で海外を駆け回り、新しい製造ルートを自力で開拓することで損失を最小限に抑えました。この時、「最悪の事態でも、自ら動けば道は拓ける」という手応えを得たのです。失敗は正しく向き合えば必ず未来の糧になる。だからこそ、私は今、社員に「失敗を恐れず挑戦してほしい。責任は私が取る」と断言できるのです。
幾多の危機を乗り越え進化を遂げたマイプレシャスの歩み
ーーどのような経緯で家業に戻られることになったのでしょうか。
蔵野正嗣:
31歳の時、父が倒れたのが転機でした。当時は前職の仕事に誇りを持っていましたが、家業が「カタログギフト」という新事業へ舵を切る重要な局面にあると知り、父を支えるべく戻ることを決意しました。
その後、事業が軌道に乗る中で父が他界し、経営を引き継ぐことになりました。その際、私は大きな決断を下しました。長年続いてきた「陶器卸」の看板を降ろし、自社で価値をつくり出す「ギフトメーカー」へと完全に舵を切ることにしたのです。
ーー事業はそこから順調に拡大していったのでしょうか。
蔵野正嗣:
いえ、まさにジェットコースターのような経営でした。代表を引き継いだ直後にバブルが崩壊し、主要取引先が倒産。売上高の半分以上が回収不能になり、倒産の危機に瀕しました。
さらに追い打ちをかけたのがテクノロジーの激変、iPhoneの出現でした。当時、主力製品は受け取った後もアルバムとして写真を収められる「アルバムギフト」へと進化していましたが、スマホの普及で人々は写真を現像しなくなり、需要が根底から揺らぎました。
私たちは常に、こうした荒波にさらされてきました。しかし、婚姻数の減少を予測して法人景品などの新領域へいち早く販路を広げるなど、時代の変化を先読みして業容を進化させてきました。過去の成功に固執しない即応力こそが、今の私たちの強みなのです。
「アンチ・カタログギフト」という独自の強みと新サービス

ーー激動の中で形を変えながらも貴社が大切にしてきたこととは何でしょうか。
蔵野正嗣:
「アンチ・カタログギフト」という思想です。カタログギフトは便利な反面、贈り手が「悩んで選ぶ」プロセスを省略してしまう側面があります。それでは、本来の贈り物が持つ熱量が伝わりにくいという寂しさがあります。
私たちが目指すのは、受け取った人が「自分のために悩んで選んでくれたんだ」と感じられる原点への回帰です。選べる仕組みであっても、そこに人の温かみや、つながりを感じられる付加価値を添える。この思想こそが、私たちが守り抜いてきた核の部分です。
ーーその思想を、具体的にどのように形にされているのでしょうか。
蔵野正嗣:
その一つの答えが、現在最も注力している新サービス「つながりの輪」です。結婚式のWeb招待状を受け取ったゲストが、事前にオンラインでギフトを選べる仕組みで、画期的なのは当日の演出です。ゲストが席に着くと、そこには本人が選んだギフトがメッセージと共に用意されています。
「効率」優先の後日配送ではなく、「その場でおもてなしを完結させる」ことを重視しています。主催者は在庫リスクを避けつつ、ゲストに深い想いを直接届けることができる。便利さの裏に隠れがちだった「温かなつながりの輪」を、現代に紡ぎ直したいと考えています。
大家族主義と成果主義の融合で目指す、次代を担う組織
ーーどのような組織文化を目指していらっしゃいますか。
蔵野正嗣:
「大家族主義」の安心感と、「成果主義」の健全な規律を両立させたハイブリッドな組織です。私自身、一人ではできない仕事をチームで成し遂げる喜びを知っています。だからこそ、社員が生き生きと働ける「大家族」のような環境を大切にしてきました。
しかし、温かい文化が「甘さ」や「慣れ合い」になってはいけない。現在は、透明性の高い評価制度や目標管理を導入し、頑張った人が正当に報われる成果主義への移行を模索中です。かつての「調整」ばかりの文化から脱却し、数字を公開してでも一人ひとりが自立した組織へと成長していきたいのです。
ーー社員の成長を後押しするために、どのような取り組みをされていますか。
蔵野正嗣:
社員の「知のイノベーション」を促す投資は惜しみません。外の世界を知るために読書を推奨し、外部研修への参加も活発です。物流センターのメンバーが他社の現場で働く「タイミー」のような経験を通じ、自社の「当たり前」を疑う機会も作っています。井の中の蛙にならず、外の空気に触れることが個人と会社の成長に不可欠です。
挑戦する次世代へ 社長が託す未来へのバトン
ーー今後のビジョンと、ご自身の役割についてどのようにお考えですか。
蔵野正嗣:
私は今年で66歳になります。これは引退ではなく、役割を「変更」するタイミングです。これからは私が前に立つのではなく、次世代が自走できるチームを作ることが私の最大の仕事。私は一歩下がり、これまでの失敗や教訓を伝えていく役割へ移行していきます。
ーー最後に、これから仲間になる読者の方へメッセージをお願いします。
蔵野正嗣:
ギフト市場は変化の連続であり、正解のない世界です。だからこそ、現状に満足せず、自ら「新しい事業の芽」を育てようとする情熱が必要になります。受け身で指示を待つのではなく、自ら変化を楽しみ、挑戦のプロセスを共に歩める方。そんな気概を持った方と一緒に、次の時代の「つながりの輪」をつくっていけることを心から楽しみにしています。
編集後記
陶器卸売業を営む父の背中、3000万円の赤字という手痛い失敗、そして主要取引先の倒産。蔵野氏が語るエピソードの一つひとつは、逆境こそが事業の本質を磨き上げることを教えてくれる。その根底にあるのは「独自の価値を持たねば生き残れない」という切実な原体験だ。単なる物売りではない、「つながりの輪」という目に見えない価値を提供するという思想は、幾多の苦難を乗り越えてきた経営者だからこその、深く、そして温かい信念だ。次世代へのバトンを意識し、自らの役割を再定義しようとする今、同社はさらなる進化の入り口に立っている。

蔵野正嗣/1959年神奈川県生まれ。神奈川大学卒業。1983年に株式会社ヒロモリへ入社し、8年間企画業務に従事。1991年に有限会社横浜陶苑(現・株式会社マイプレシャス)に入社、同年代表取締役社長に就任。