
人材派遣・人材紹介、企業主導型保育園運営、家事代行サービスなど、複数の事業を展開している株式会社アンサーノックス。創業時から、外国人を対象にした人材派遣サービスに力を入れ、外国人が日本で就労する際に直面する、さまざまな問題と向き合い続けている。
少子化や女性の活躍推進など、幅広い社会課題に向き合う同社の代表取締役である渡辺郁氏に、同社の今までの道のりと経営者としての思いを聞いた。
外国人差別の現実を目の当たりにし、人材派遣サービスの会社を起業
ーー起業の経緯を教えてください。
渡辺郁:
20代の頃、リクルートスタッフィングの新規開拓営業に携わり、女性として初めて1Q(四半期)で売上1億円を達成しました。先輩がまだ開拓していない企業を狙い、とにかく行動量を増やすことで、多くの新規顧客を獲得することができました。
その後、病気を患ったことをきっかけに地元山梨へ戻り、7年間の療養生活を送ることになります。回復後、甲府の派遣会社に就職したのですが、そこで外国人労働者が不当な扱いを受けている現状を目の当たりにしました。
この状況に憤りを覚えるとともに、「そもそもなぜこんなにも多くの外国人が日本で働いているのか?」という疑問を持ち、甲府市の多文化共生推進計画策定委員会に参加しました。そこで、多くの外国人が日本社会で差別や不平等に直面していることを知りました。
外国人が誤解や偏見にさらされる理由のひとつに、日本語能力の壁があります。たとえば、やむを得ない理由で欠勤する際に、日本語で適切に説明できないために不信感を持たれてしまうなどのケースは少なくありません。
株式会社アンサーノックスを立ち上げたのは、外国人と企業の間に生じるこうした誤解をなくし、両者をつなぐ「接着剤」になりたいという思いからでした。創業当初は人材派遣と人材紹介事業のみを展開していましたが、会社の成長に伴い、家事代行サービスなどの新規事業も開始しました。
困っている人を支えたいーー無償で外国人の就職活動をサポート

ーー事業はすぐに軌道に乗りましたか?
渡辺郁:
2008年の起業当時は、「派遣切り」や「派遣村」などの影響で、派遣業界全体のイメージが非常に悪かった時期でした。そのため、営業電話をするだけで相手から怒鳴られることも珍しくありませんでした。
リーマン・ショックの影響で、派遣社員として働きたい人は多くいても、受け入れ先の企業がなかなか見つからない状況でした。そんな中でも、少しでも外国人労働者の支えになりたいと考え、履歴書や職務経歴書の作成を無償でサポートしました。
日本の履歴書には国籍や宗教、在留資格などを記載する欄がないため、「どのようなビザで来日していて、いつまで滞在できるのか」などの重要な情報を企業に伝えられないのです。そのため、履歴書とは別に、個別の職務経歴書を作成する必要がありました。
また、少しでも外国人の方々が元気になれるよう、ブラジル料理を提供するイベントを開催するなど、さまざまな支援活動も行ってきました。弊社のキャッチコピー「ドアを叩いてくれた人すべてに応えたい」には、困っている人に寄り添い、支援を惜しまないという創業時からの理念が込められています。
「中小企業で働く人材を幸せにできれば、日本社会を変えられる」
ーー今後の展望についてお聞かせください。
渡辺郁:
今後は、特定技能人材のビザ申請サポートや人材紹介事業にさらに力を入れていきたいと考えています。また、弊社でインターンを経験した外国人留学生たちが、母国で起業する事例も出ています。中には、「自国にアンサーノックスのような会社を作りたい」という声もあり、将来的には海外展開も視野に入れています。
ーー最後に、社長としての想いを聞かせてください。
渡辺郁:
弊社は外国人支援事業からスタートしましたが、今後は外国人に限らず、働きづらさを感じている人や高齢者、定年後も働き続けたい人たちに向けた支援にも注力したいと考えています。
人生100年時代といわれる今、多くの人が定年を迎えた後も働き続ける必要があります。しかし、働き続けることが前提の時代にもかかわらず、「何のために働いているのか?」と、疑問や不満を抱えている人も少なくありません。そうした人々に仕事のやりがいを感じてもらい、日本全体がより良い方向に向かうような事業を展開していきたいと考えています。
編集後記
「アンサーノックスで活躍できる人材とは?」と質問すると、渡辺社長は「会社の理念に共感できる人」と即答した。創業当初から無償で外国人の支援を行ってきた同社のスタンスは、まさに「ドアを叩いてくれた人すべてに応えたい」という理念を体現している。
今後、外国人支援だけでなく、より多くの人が働きやすい環境づくりにも挑戦するという。利他の精神にあふれるアンサーノックスが、今後どのような社会貢献を果たしていくのか、大いに期待したい。

渡辺郁/1970年、東京都生まれ。小学校から高校までを山梨で過ごし東京都内の学校を卒業。20代でリクルートスタッフィングの新規開拓営業、労務管理等に携わり、女性初の1Qでの売上1億円を達成。その後、山梨に戻り2008年、株式会社アンサーノックスを創業。「ドアを叩いてくれた人すべてに応えたい」との想いを社名に込め、一人ひとりが最大限の力を発揮できる場所を提供する派遣会社を目指し続けている。