※本ページ内の情報は2025年3月時点のものです。

大阪の街を代表する飲食店「串かつだるま」を運営する、株式会社一門会。代表取締役会長兼社長の上山勝也氏は、わずか3坪12席で始めた店舗を、今では国内17店舗にまで増やし、海外出店も果たすなど事業を急拡大させた人物だ。もともとはガソリンスタンドの運営会社に勤めていたという同氏だが、どのようにして一門会を継ぐことになったのか。今までの道のりや経営観を聞いた。

先輩から「だるまを継いでほしい」と言われ、経験ゼロから串かつ屋の社長に

ーーどのような経緯で一門会の社長を務めることになったのでしょうか。

上山勝也:
私は浪速高校のボクシング部出身なのですが、そのときの先輩である赤井英和さんから「だるまを継いでほしい」と言われたことがきっかけです。当時、だるまを運営していた3代目の店主が病気で店を閉めており「もうお店を続けられない」と赤井さんに話していたのです。

もともとは別の後輩が「だるまを継ぎたい」と赤井さんに相談していましたが、私の方が赤井さんと距離が近かったこともあり、最終的に私がだるまを継ぐことになりました。

ーー会社を継ぐことになったとき、どのような思いがありましたか。

上山勝也:
「やるからには、きちんとした会社にしよう」という思いが強かったです。会社のため、自分のため、従業員のために組織をつくり、会社を育てていこうと決意しました。会社を任されてから10年ほどは休む暇もなかったです。お店に立つこともあれば、百貨店の催事で地方を回ることもありましたね。

また、私は料理人の経験がなかったので、自分で味をつくるのではなく「元の味を変えてはいけない」と考えました。先代の味を変えることなく、お客様が満足するものを提供することを意識して、少しずつ取り組んでいきました。その結果、今では味はもちろん、きちんとした接客や店構えなども弊社の強みになっています。

会社の成長に必要なのは人材教育。教育に力を入れて長生きする会社を目指す

ーー力を入れてきた取り組みについて教えてください。

上山勝也:
社員教育に力を入れてきました。バイトや社員として働いてくれる後輩たちもいましたし、彼らが家庭を築き、幸せな生活を送れるようにするのが私の務めだと思ったからです。そこで、週2回、44ページにもわたるマニュアルを通して、店長としてあるべき姿や考え方などを徹底的に伝えました。

このマニュアルには、私から部下への思いも書いてあります。「自分が犠牲になってでも会社を大きくするんだ」という使命感から、作成した当時は過労で倒れることもあり、半ば遺言のようなつもりで書きました。そのほか、一般社員向けの教育も毎月1回行い、従業員の階層別に勉強会を開催しています。

ーー今後はどのようなことに力を入れていきたいとお考えですか。

上山勝也:
会社の体制強化として、店長を担える新たな人材を増やしていきたいです。会社の成長には教育が不可欠なので、今後も教育に力を入れていきます。

また、その年ごとに会社の核となる人材を生み出すのが、会社が長生きする秘訣だと思っているため、広い視野を持ち、高い理解力を持った人材の採用・育成にも力を入れていく予定です。さらに、「串かつだるま」は女性のお客さまの比率が高いので、今後は女性目線で新しい商品を考えることも進めていきます。

道頓堀を代表する立場として、大阪・関西万博を成功に導くのが目標

ーー会社を経営するうえで、大切にしている考え方を教えてください。

上山勝也:
「ドライな考え方では、一致団結できない」というのが私の考えです。弊社の「一門会」という社名は相撲部屋の派閥を表す「一門」が由来で、皆で切磋琢磨しながら強くなろうという思いが込められています。皆が同じ方向を向けるように、ベクトルをそろえるのが社長の仕事。遠足や慰安旅行などを開催しているのも、一致団結して会社を良くしたいと思っているからです。

また、社員が会社から認められているとご家族の方に知っていただくため、社員の配偶者や子どもの誕生日にはプレゼントをお渡ししています。実際に弊社の社員の中には、自分の妻と子どもをバイトとして採用し、育てている店長もいて、私も非常に嬉しく思っています。

ーー最後に、今後の目標をお願いします。

上山勝也:
大阪・関西万博を大成功に導くことが目標です。実際に道頓堀商店会の会長として、カザフスタンに誘致に行き、大阪の街について説明させてもらいました。道頓堀は大阪を代表するような場所です。その道頓堀の代表として、大阪・関西万博を成功に導けるよう尽力したいと思っています。

編集後記

今では知らない人もいないほどの大人気店となった「串かつだるま」。海外進出など、その勢いは止まらない。熱い思いを持った上山氏が率いる同社なら、日本を代表する飲食店として大阪・関西万博を成功に導き、世界に日本のグルメの魅力を届けてくれるだろう。

上山勝也/1961年、大阪生まれ。浪速高校ボクシング部出身。大阪・新世界の先代串かつだるまの三代目大将が病に倒れ、閉店危機に陥った際、ボクシング部の先輩である赤井英和氏から店を継ぐよう説得され、当時勤務していたガソリンスタンドの運営会社を退職。三代目大将のもとで修業ののち、四代目となる。以後、大阪、京都に17店舗、インドネシアに1店舗を展開。大阪の食文化の活性化に人一倍情熱を傾けている。