
1894年、神奈川県鎌倉市で創業した豊島屋。鶴岡八幡宮の参道に本店を構え、鎌倉を代表する銘菓「鳩サブレー」で知られる老舗菓子店だ。さらに近年は、「鳩」をモチーフにしたグッズや、洋菓子専門店の運営でも注目を集めている。代表取締役社長の久保田陽彦氏に、商品開発におけるこだわりや経営理念、今後の展望をうかがった。
「鳩サブレー」を看板に多彩な和菓子・洋菓子を製造
ーー事業内容を教えてください。
久保田陽彦:
弊社は創業以来、鎌倉の地でお菓子づくりをしており、明治30年頃に初代が鳩サブレーをつくりました。
当時は皆、バターの味わいに馴染みがなく、昭和以降にその味が認められたと聞いています。おかげさまで、今では鎌倉の定番として親しまれる存在となりました。
販売店舗は神奈川・東京の百貨店や駅ビル内にもありますが、本店をはじめとする直営店は、鎌倉界隈にあります。自家製パンを味わえる「鎌倉駅前扉店」、和風喫茶を併設した「豊島屋菓寮 八十小路」、わっふるの実演販売が人気の「瀬戸小路」。そして、カフェスペースを設けた「豊島屋洋菓子舗 置石」など、店舗ごとに特色を持っていることが特徴です。
ーー洋菓子専門店をつくった経緯もお話しいただけますか。
久保田陽彦:
私の代になってから、和菓子事業と洋菓子事業を完全に分けました。和菓子屋である一方で、クリスマスやバレンタインといった洋のイベントが強い状況が気になり、和の暦を前面に打ち出すために、店舗も区別しました。
和菓子は、伝統的な製法を守り、より美味しいお菓子をつくることが大事で、洋菓子とは多少つくり方が違うと感じています。その上で、洋菓子づくりはもっと自由にやろうと決めました。
洋菓子屋の多くはオーナーパティシエが開発を主導しますが、和菓子屋は店主と職人のキャッチボールから、その店の味がつくられます。当店でも、私が食べたいと思う洋菓子を職人につくってもらい、和菓子屋のDNAを感じる開発スタイルを続けています。
鎌倉に人を呼び、豊島屋ファンをつくるグッズ展開

ーー鳩サブレーの関連グッズはどのように誕生したのでしょうか?
久保田陽彦:
「鳩グッズ」は、ファンづくりのツールとして私が考案しました。手元に置くことで「鳩サブレーを食べたい」と思ってもらえるようなグッズが欲しい、という発想から生まれた商品です。
私はお客様をお得意様に、お得意様をご贔屓様にしたいと考えています。ご贔屓様は「豊島屋さんじゃなきゃダメ」と言ってくださる熱烈なファンの方ですね。
「鳩これくしょん」と題した鳩グッズは、本店のみで取り扱っています。鎌倉で生まれ育った私としては、鎌倉に店を構えたからこそ豊島屋はここまで大きくなれたと思っています。鎌倉に貢献したい、地元の人を喜ばせたいという思いがあり、極論を言えば豊島屋で買い物しなくてもいいので、鎌倉に足を運んでほしいという気持ちで本店限定販売にしています。
鎌倉には、多くの子どもたちが修学旅行で訪れますよね。鳩サブレーを買っていただくのはもちろんありがたいですが、面白いグッズを見たことなど、家でお土産話をする材料になるだけでもとてもうれしいのです。
すべての人を笑顔にする経営で「受け継がれる企業」へ

ーー経営において大切にしていることをうかがえますか。
久保田陽彦:
楽しく仕事がしたい、自分が楽しめなかったら周りの人も楽しめない。そんな思いから「すべての人が笑顔になるために…」という経営理念を掲げました。従業員もお客様も笑顔にしたいからこそ「正直な商売」を心がけ、自分の目の届く範囲で商品を販売しています。
私は、豊島屋の四代目になってからもよく店頭に立っています。店が忙しい時には従業員の力になりたいし、お客様と接する時間が何よりも楽しいのです。現場に立つ時間を大切にしていたら、自然な形で理念が社内に浸透したと言えますね。
ーー今後の展望をお聞かせください。
久保田陽彦:
原材料費や人件費が上がる中で、地元価格を維持できているのは「鳩サブレー」が看板商品としてがんばってくれているからです。これからも「地元の方のために」という気持ちを第一に、利益率よりも美味しくよろこんで頂けるお菓子づくりを続けていきます。
豊島屋は、関東大震災や戦時下、コロナ禍といった多くの困難を乗り越えてきました。世の中は何が起こるかわからないということを前提に、素直な心で現実を受け入れ、未来につながる今をつくっていかなくてはいけません。豊島屋を「受け継ぎたくなる会社」にすることが私がするべき仕事だと捉えているので、事業承継にも真摯に取り組んでいくつもりです。
編集後記
歴史ある豊島屋の四代目として、守りに入らず新しいことに取り組んでいる久保田社長。ネット上で話題となった「鳩グッズ」が本店限定である理由は、鎌倉に人を呼ぶための仕掛けだとは驚いた。彼がいかなる形で次の世代にバトンを渡すとしても、地元愛あふれる企業理念は必ず受け継がれるだろう。

久保田陽彦/1959年生まれ。1983年、慶應義塾大学商学部を卒業後、横浜銀行へ入行。1987年、家業である株式会社豊島屋へ入社。工場長、本店長、専務取締役などを経て、2008年に代表取締役社長に就任。2013年、鎌倉商工会議所の会頭に就任。