※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

株式会社かめいあんじゅは、1972年創業の会社である。創業当時、日本にまだ少なかった「気軽に楽しめるフランス料理」をオープン、大阪府を中心に15店舗の直営店舗と3箇所の製菓、製パン、料理の製造拠点を展開し、存在感を発揮している。

また、グループ会社に輸入会社の有限会社カリテ ・エ・ プリと、飲食コンサルティングとライセンス販売会会社である株式会社アプレシアを有し、その会社の幹部はすべてかめいあんじゅ出身者と言うレストランビジネスのノウハウと人を活かしたフードビジネスを広範囲に広げている。

今回、1984年にイタリアンの料理人として同社に入社し、各部署を経験した後、代表取締役社長に就任して現在もチャレンジを続ける真鍋氏に、これまでの経緯や今後の展望などについてお話をうかがった。

「一番美味しいカルボナーラを出していたから」入社し、店舗運営ノウハウを学んだ

ーー株式会社かめいあんじゅに入社した経緯を教えてください。

真鍋純:
小学校の頃から料理人になって自分のお店を出したいという思いがあり、調理師専門学校を卒業した1984年に弊社に入社しました。入社理由は弊社のスパゲティカルボナーラがずば抜けて美味しかったから。また、見たこともない現地そのままの料理を見て、これを作れるようになりたい!との一心でした。不良生徒だった私は専門学校の先生からは「かめいあんじゅは厳しいと聞いているが、お前ほんとに大丈夫か?」と心配されましたが、技術面でも経営面でも学ぶことが多いと聞き、入社を決めました。

最初はイタリアンの料理人として入社しましたが、店舗運営に関するさまざまな業務を経験し、27歳の時に初めて店長として店を任せていただくことになりました。これが、私が料理人からマネジメントや経営などの方へキャリアが変わったきっかけです。

ーー当時、大変だったことや辛かったことはありましたか。

真鍋純:
まず、1995年の阪神大震災が挙げられます。神戸のお店が地震で大きな被害を受け、スタッフが一人亡くなりました。ひとつの店舗、一人の社員のために、全員で助け合ったことを、今でも鮮明に覚えています。

地震後真っ先に自転車で大阪から神戸の店に向かい、全員を励まし、引っ張っていってくれた創業者を見た時に、30歳になり地元の愛媛に帰ろうかとグダグダ悩んで心配をかけていたことが恥ずかしくなり、「もう逃げません」と創業者に頭を下げて、会社をもっと盛り立てようと決意しました。

そして大変だったことといえば、やはりコロナ禍ですね。店舗が営業できず、営業できてもお客様がほとんどいらっしゃらない日が続きました。従業員さんも皆不安だったと思います。お金の準備をしっかりして、コロナの始まった早い段階で「これからも必ず給与を満額支給する」ことを全員に約束し、営業できない状況でも、腕を磨いてもらうために催事出店や研修に今まで通り働いてもらいました。

また、自分の仕事場ではないお店でやった事のない仕事を経験してもらいました。たとえば緊急事態宣言が出なかった奈良のパン屋さんに大阪からパンを作りに行き、買い物に出るのが難しい奈良の高齢者の方々の団地などへ、焼き立てのパンを持っていったこともありました。

お客様に喜ばれる仕事を継続したいとの想いでしたし、「お客様に喜んでいただく仕事」という原点を再確認した時期でもありました。お客様の来ないコロナ禍でしたが、反対に「未来の形に変える時間」をいただいたのだと考え方を改め、長く続けた2店舗を泣く泣く閉店し、コロナ明けの未来を見据えて3軒の新しいお店をオープン、大きな改装、移転などを複数店舗行いました。全従業員さんが自分たちの未来を創るために、本当にがんばってくれました。

社員全員が経営感覚を持ち、未来志向になると自然と目標達成に向けて一丸となれる

ーー貴社ならではの文化はありますか?

真鍋純:
創業時から、社員全員に毎月会社の損益計算書等経営数値を開示しています。毎月7日までに売上から利益、全ての経費の細かなとこまで公開します。弊社は社員さんのほとんどが、料理人・パテシェ・パン職人・クレピエ・販売員・サービスマンと言う技術者集団です。ヨーロッパのすばらしい食文化をお客様に体験していただきながら、数字を基にした店舗運営を大切にし、皆が「自分のお店」という経営者感覚で店を運営してもらうことで、生きる力を身に着けてもらいたいと思っています。

「技術の経営の両輪」で努力していくと言うのが弊社の文化です。一従業員時代から数値責任を持ち、自分事で仕事するからこそ、弊社の経営幹部になる人、独立して店を繁盛させている人をたくさん輩出しています。「全員経営」とは人を人として、立派に成長させていくすばらしい理念だと思っていますのでこれからも大切にし、引き継いでいます。

ーー働くうえで大切にされていることを教えてください。

真鍋純:
人を育てることを大切に考えています。創業社長も人材を人財と言ってとても大切にしていました。たとえば、創業社長は、創業間もないころから自分よりも先に、社員さんを3年もの長期にわたり何人も海外修行に出しています。社長自身も創業前は有名なフランス料理店で働いていたのですが、自身はフランスに行ったことはありませんでした。しかし、現場で働く社員にこそ本場の雰囲気や味などを知ってほしいと考え、社員が現地で十分に生活できるだけの給与を支払い続ける体制を整え、フランス・イタリア・ベルギー・イギリス・スイスなどへこれまで社員を派遣してきたのです。

こうした姿勢は私が社長に就任してからも変えることなく、社内接客研修、調理研修、他店舗視察のほか、海外研修も行っています。昔のように長期に行ってもらう事は最近できていませんが、出来る限り早い時点で行ってもらいたいと考えています。他にも、創業社長が言われていた「会社・お店は従業員さんのためにもお客様のためにも継続が一番大切だ、継続することで生まれるお金以外の利益は計り知れない」と言う会社を長く続けることの大切さを引き継ぎ、店が長く繁盛し続くように皆で日々努力しています。

弊社の店舗は、流行を追いかけるものではなく、「ヨーロッパの地元の方が、昔から通っているような、生活になくてはならない業態、リーズナブルで美味しい、そして働く人もカッコいい店舗」を目指しています。そのため、店舗デザインやメニュー構成も、流行に左右されず美味しくて、いつの時代も楽しめるものを意識し、お客様から長い間ご愛顧いただける店舗ばかりになっています。

「永続的発展」を続けるために、必要なことにチャレンジしていくという姿勢

ーー今後の事業展開について教えてください。

真鍋純:
これからも従業員全員で、「美味しかった、また来るわ」とお客様に毎回言っていただけるよう、日々努力しつつ、数値目標をしっかり達成して、皆のお給料をもっと上げていけるよう全員で努力し続けていきます。

これまで「おいしいパンが手に入らないから、自分たちでパン屋を始めよう」「高品質なワインをヨーロッパ現地のような手頃な価格で楽しんでいただきたいから、ワインの輸入しよう」「パリの紅茶サロン、本格的クレープリーが日本にないから日本に紹介したい」というように、従業員の想い、ヨーロッパ愛からさまざまな業態を手がけてきました。これからもレストラン業を人材育成の場、ノウハウ蓄積の場、そしてヨーロッパの食文化の原点として大切にしながら、新たな展開、たとえば日本の食をかめいあんじゅ流に体現した業態や、FC展開、通販事業にも挑んでいます。

社員一人ひとりの得意分野を伸ばす育成をしながら、全員で経営感覚を磨きたいと考えています。今後も店舗拡大だけに目を向けるのではなく、お客様に喜んでいただくのはもちろん、働く従業員さんを大切にし、物心ともに幸せになってもらう経営を目指し「儲かっている会社」「大きな会社」というだけでなく「皆さんから必要とされる、なくてはならない立派な会社」を目指して全員で努力していきます。

「食べること」が大好きな方、料理人さん、パテシェ(菓子職人さん)、ブーランジェ(パン職人さん)、サービスマンとして腕を磨きたい、知識を得たい方、また将来独立を考えている方も数値管理から経営を学ぶ環境があります。食を仕事にしたいという思いを持つさまざまな方に入っていただきたいと思っています。同じ店の運営経営に携わる仲間として、全員で成長できると嬉しいですね。

編集後記

大阪を中心に、関西エリアで「美味しいものをリーズナブルに食べられる」店舗を長年にわたり展開してきた同社は、社員全員で経営感覚を養い、自己成長と会社の成長を実現している場所だった。店舗を次々に展開するより、お客様や時代のニーズに合わせて着実に店舗を運営するスタイルで歴史を紡いできた同社は、これからも気軽に美味しいものを楽しめる店舗を守りながら長く続いていくことだろう。

真鍋純/1964年愛媛県今治市生まれ。愛媛県立今治北高校から辻学園日本調理師専門学校に進学し、卒業後の1984年に株式会社かめいあんじゅに入社する。イタリア料理の調理、接客を経験し、ソムリエ資格を取得後、製菓部門、製パン店長、管理部長、取締役営業本部長を歴任。2002年より代表取締役社長に就任し、現在に至る。