※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

日本唯一の総合釣り雑誌「つり人」を発行している株式会社つり人社。同社は雑誌・書籍出版を軸に、ウェブサイト制作や14万人以上が登録するYouTubeチャンネル運営など、幅広く展開している。自然環境保全の啓発から高齢者向け釣り大会の開催まで、釣りを通じた社会貢献活動にも力を入れる同社の挑戦について、代表取締役社長の山根和明氏に話を聞いた。

自然環境を守る使命感から出版の道を選んだ

ーー出版業界を目指した経緯を教えてください。

山根和明:
私が弊社に入社したのは、就職氷河期と呼ばれた時代です。当時の私は就職活動にあまり熱心ではなく、それよりも釣りに夢中で、友人とともに北海道やニュージーランドまで足を伸ばし、ときにはテントを担いで1カ月間も釣りをしているほどでした。就職活動では数社の説明会に参加しましたが、「今年の採用はありません」と言われる状況で、本格的に就職を考えなければと焦っていたことを覚えています。

その焦りから自己分析を始め、「これから伸びる業界は何か」、「自分が本当にやりたいことは何か」と考えたとき、「釣り」が思い浮かびました。当時はまだブームというほどではありませんでしたが、徐々に注目を集め始めており、今後伸びていく可能性を感じていたのです。

最終的に出版の道へ進んだのは、過去のある体験が影響しています。北海道で釣りをしていたときのことですが、ある川を遡っていくと、人里離れた場所にダムを発見しました。しかし、そのダムは何の役割もないもので、マスやサケの遡上する道を塞いでしまっていたのです。自然環境の破壊を目の当たりにし、このままでは釣りができなくなると危機感を抱き、マスコミという立場からこの現状を訴えていきたいと考えました。

全国の釣り名人ネットワークを活かした情報発信

ーー貴社にはどのような経緯で入社したのでしょうか?

山根和明:
当時、「北海道の湖」というガイド本を読み、その出版元である弊社に直接電話したのがきっかけです。面接で当時の編集長(現会長)が環境問題や釣りの魅力について熱く語る姿に感銘を受け、同時に最終選考まで進んでいた釣り具メーカーではなく、出版社の道を選びました。入社後は非常に忙しく、休みがあるのは大晦日と元日くらいという生活でしたが、それでも続けられたのは、環境問題に取り組み、自然を守るという使命感があったからです。

弊社は1946年、戦後の焼け野原の中で井伏鱒二さんなど文豪たちが、釣りを通じて日本人の心に安定を取り戻そうと考えて設立した会社です。私はこの精神を受け継ぎ、2006年に雑誌「つり人」の編集長、2015年に代表取締役に就任しました。設立から約80年が経ち、時代とともに発信する媒体の幅は広がりましたが、釣りの素晴らしさを伝えるという軸は変わりません。現在は出版にとどまらない多様な取り組みを実践しています。

ーー貴社の事業内容についてお聞かせください。

山根和明:
弊社は雑誌や書籍の出版を中心に、ウェブサイト制作、動画制作、イベント運営などを行っています。「つり人」は全国規模の総合釣り雑誌として、現在では唯一の存在となりました。私が入社したころは同業他社が50社ほどありましたが、出版不況の中で次々と廃刊になっていきました。

「つり人」の編集体制としては、5人ほどの編集部が核となり、全国の釣り名人たちが執筆者として参加しています。これは日本中の釣りに関する情報ネットワークとして機能しており、弊社独自の強みだと自負しています。また、書店以外にも釣具店や図書館への流通ルートを確保していることも強みといえるでしょう。

世代や国を超えて釣りの楽しさを届けていきたい

ーー子どもたちへの教育活動も行われているとうかがいました。

山根和明:
私は公益財団法人日本釣振興会の理事も務めており、小学校での釣りの授業や、川での体験活動も実施しています。現代の子どもたちは水辺で遊ぶ機会が減っており、情操教育の観点からも一人でも多くの子供達に釣りを楽しんでもらいたいと考えています。また、「良い子は川に近付かない」という偏った教育がなされており、川の危険性を十分に知らないまま大人になる方も少なくありません。子どものうちから川で遊ぶ楽しさと同時に危険性も教えることで、事故を防ぎつつ自然と共生する文化を育んでいます。

ーー今後の展望について教えてください。

山根和明:
リアルとデジタルの両面から釣り文化を発信していく計画です。「つり人」は2026年に創刊80周年を迎えますが、これからも信頼性の高い情報源として継続していきます。一方、デジタル戦略として展開しているYouTubeチャンネルは、釣り名人のトークや大会の中継などを配信しており、現在では14万人以上の登録者を獲得することができました。紙媒体は輸送コストや翻訳の課題がありますが、ウェブコンテンツなら自動で翻訳などもできるため、日本の釣り文化を世界に発信するツールとして活用していきたいと思っています。

また、釣りのセルフメディケーション効果にも注目しています。釣りは日光を浴びる機会をつくるとともに、適度な運動や早寝早起きのリズムをもたらしてくれるのです。2024年には製薬会社の龍角散をスポンサーに迎えた70歳以上の釣り大会を開催するなど、高齢者の健康維持にも貢献してきました。これからも釣りを通じて、人々の心身の健康と日本の豊かな自然環境を未来へつないでいきたいと考えています。

編集後記

就職氷河期に釣りへの情熱を原動力として道を切り開いた経験談には、趣味を仕事にすることの喜びと責任が凝縮されていた。特に印象的だったのは、文豪たちが戦後の日本人の心の安定を願って創刊した雑誌の精神を、現代においても大切に受け継いでいる姿勢である。伝統的なメディアとしての誇りと、時代に即した変革への意欲が共存する企業文化に、つり人社の未来を見た。

山根和明/1972年、神奈川県川崎市生まれ。駒澤大学経済学部卒。大学4年生のときにアルバイトとして、株式会社つり人社へ入社。卒業後に正社員となり、2006年に月刊つり人編集長に就任。2015年に代表取締役へ就任。