※本ページ内の情報は2025年5月時点のものです。

3大和牛の1つである「近江牛」は、国内でも最古のブランド牛の1つとされている。大吉商店株式会社はその近江牛を、1896年から120年以上取り扱ってきた。現在、同社を率いる4代目代表取締役である永谷武久氏から、事業の特徴や経営理念についてうかがった。

家業を継いでいきなりぶつかったBSEの壁

ーー代表就任までの経歴と就任後の取り組みについて教えてください。

永谷武久:
弊社は創業以来、近江牛を専門に取り扱っており、私で4代目となります。父からは高度経済成長期の経営について、さまざまな話を聞かされて育ちましたが、実を言うと、私はもともと家業を継ぎたいとは思っていませんでした。しかし、1992年に父が亡くなり、長男である私のほかに姉が1人、妹が3人おり、全員がまだ独身だったので、家族を支えるために当時23歳だった私が後を継ぐことになったのです。

ちょうどその頃BSE(牛海綿状脳症)の問題が浮上し、生産保証の観点から、父の代で一度閉鎖していた牧場経営を再開しました。また、父が始めたばかりだった輸出の事業も受け継がねばならず、輸出拡大とBSE問題が重なった激動の時期でした。大変ではありましたが、新しい挑戦にやりがいも感じていましたね。当時はアジア諸国が急成長していた時期で、父から聞かされていた日本の高度経済成長期の状況と重なる部分があったため、父が語っていた話を思い出しながらアジア市場に進出した結果、一定の成功を収めることができました。

牧場から食卓まで。近江牛のストーリーテラーになる

ーー現在の貴社は、どのような事業を行っていますか?

永谷武久:
弊社では、自社牧場での近江牛の生産から精肉製造・加工、さらに京都と滋賀に展開するレストラン「だいきち」での提供まで、一貫した6次化体制で事業展開をしています。牧場で育てた牛は、国内販売、輸出、レストランでの提供といった形で自社内で使い切っており、他の業者には卸していません。このようなスタイルは近江牛業者の中でも珍しいでしょう。私たちは、牛肉の流通における「ストーリーテラーになる」という理念のもとで事業を運営しています。

輸出先は現在アジアを中心に8か国以上に広がっており、また、国内ではヤマト運輸がクール便の取り扱いを始めたことを機に、高島屋様に提案してスタートした産地直送の取り組みが大きな強みとなっています。インターネット通販が普及する前から、地方の企業が東京に高価なブランド牛を直送し、適正価格で販売するというモデルを確立したのです。この取り組みは当初、売れ行きがかんばしくなかったものの、必ず成功すると信じて続けてきました。

弊社の主力商品として2010年のモンドセレクションで金賞を受賞したローストビーフも、産地直送の取り組みの一環で生まれたものです。このローストビーフは、私が育った家の近くにあった老舗の岩佐商店の醤油を使用して味付けしたもので、その美味しさを多くの人に届けたいという思いから、1999年の「デパ地下」ブームの時期に高島屋様に提案すると、たちまちヒット商品となりました。

日本の中小企業には世界を目指す潜在力がある

ーーSDGsについて貴社ではどのような取り組みをしていますか?

永谷武久:
弊社では、牛の糞尿を6か月かけて堆肥化し、それを契約農家さんの田に撒き、そこで育った近江米の稲わらを牛の飼料用として頂く、循環型牧場の取り組みを行っています。このプロセスは、日本の畜産における伝統的な方法、美学、理論を体現したものです。私は日本の畜産業界が世界で最も環境に配慮していると考えていますが、その取り組みが世界的に十分認知されていないのが現状です。弊社の活動を通じて、日本の畜産がいかにSDGsに貢献しているかを世界に発信し、その価値を理解してもらえるよう努めていきたいと考えています。

農家レストラン「だいきち」HP

ーー読者に向けて、特に伝えたいことは何ですか?

永谷武久:
新たな和牛会席への取り組みについてです。

私はこれまで、輸出事業でシンガポールや香港など、アジアの様々な都市を訪れました。国ごとの風土やスタイル、風習の違いは大きくありますが、和食がそれぞれの都市で新しい食文化として受け入れられ、根付いていく過程を肌で感じました。こうした経験から、海外での成功事例を基に日本国内で新たな食のスタイルを提案し、またその知見を日本にいながら世界に発信できると考えています。

私たちの和牛会席は、和牛という世界に通用する日本の宝を使い、和の出汁、味噌、醤油等を使い、日本古来の料理方法など新しいスタイルにモチーフした肉料理として提案したいというものです。

その中で知り合ったのがシンガポールにあるマリーナベイ・サンズ内のレストラン「Waku Ghin」のオーナーシェフである和久田哲也氏で、現在、弊社の近江牛を使っていただいています。

和牛会席「ぎをん だいきち」HP

和久田氏から「世界一の肉だ」という評価をいただいたように、日本の中小企業は技術力や製品開発の面で、世界一を目指せる大きな可能性を秘めているのです。しかし、多くの中小企業が安価で普遍的な商品の提供に力を注いでおり、日本の潜在力を活かしきれていないのではないかと感じています。グローバルな視点で考えれば料理はこれからまだまだ進んでいくと思っています。私たちも遅れることなく、頑張ってこの流れについていこうと日々精進していきます。

私は65歳で引退する予定で、今は56歳です。残りの10年間で、日本の中小企業が世界一を目指せるように気運を高め、世界市場での成功をつかむための意識改革を推進していきたいと思っています。

日本はアジア諸国から尊敬を受けている一方で、競争力の面では遅れを取り始めています。これからは日本企業やメディア、そして日本人全体が「世界を見て、世界から見られる視点」を持ち、世界一を目指すための流れを作り出していく必要があると強く感じています。

編集後記

永谷武久氏の近江牛への深い愛情、自社製品への誇り、そして日本の産業全体を世界に広めようとする情熱が、今回のインタビューを通じて伝わってきた。単に利益を追求するのではなく、一流の商品力で世界市場を目指すべきだという力強いメッセージは、多くの企業に対して強い示唆を与えてくれる。大吉商店株式会社が提供する「世界一」の近江牛の未来に、日本の中小企業の可能性と誇りが映し出されているようだった。

永谷武久/1969年京都府生まれ。竹岸食肉専門学校を卒業し、1992年、大吉商店株式会社4代目として代表取締役に就任。