
世界的なサイバーセキュリティ企業として、35年以上にわたりデジタルデータの安全を守り続けるトレンドマイクロ株式会社。同社は世界各所に拠点を持ち、まさにサイバーセキュリティの「トレンド」を先取りするリーディングカンパニーとして業界を牽引し続けている。人々の安全を守るため、新領域にも進出する代表取締役社長兼CEOのエバ・チェン氏に話を聞いた。
コピープロテクションからウイルス対策へ、時代の要請に応える事業転換
ーー貴社を創業した経緯を教えてください。
エバ・チェン:
弊社は、家族とのつながりから生まれました。私の義兄であるスティーブ・チャンがアメリカでソフトウェアのコピープロテクション事業を行っていたとき、「エンジニアを集めてほしい」と連絡があったのです。そこで、当時台湾に住んでいた私は現地で技術者を集め、自分自身も含めてアメリカに移り、共同で弊社を設立することとなりました。
ーーどのようなことがきっかけで、現在の事業領域に進むことになったのでしょうか?
エバ・チェン:
当初はソフトウェアの海賊版対策をメインに手がけていましたが、あるとき顧客から「パソコンがおかしくなった」と連絡がありました。そこで顧客のパソコンを調査した結果、世界初のコンピュータウイルスとされる「Brain」が原因だと判明したのです。
スティーブはこれに興味を持ち、コピープロテクションにウイルス対策機能を追加することを思いつきました。その後、ウイルスが増加するにつれて、弊社はコピープロテクションからウイルス対策へと軸足を移していきました。
ーー貴社の歴史の中で、印象に残っているエピソードをお聞かせください。
エバ・チェン:
最大の転機となったのは、1992年の「ミケランジェロウイルス」の出現です。このウイルスはハードディスク全体をフォーマットするというもので、多くの人が不安に陥りました。そうした中で、弊社は独自のハードディスク保護技術を持っていたため、このウイルスに感染したお客様のデータを保護することができたのです。
この出来事は、弊社を一躍有名にする契機となりました。これを機に私たちはグローバル展開を加速させ、1995年にはスティーブが日本、私がアメリカを拠点として、国際的な事業基盤を確立していったのです。
AIを守り、AIで守る、次世代サイバーセキュリティ

ーー貴社の事業内容を教えてください。
エバ・チェン:
弊社は、企業や個人のデジタルデータをさまざまなサイバー攻撃から守るサイバーセキュリティ企業です。弊社の事業内容は時代とともに進化を続けており、最初はコピープロテクションから始まり、その後は、ウイルス対策ソフト、ネットワークセキュリティやクラウドセキュリティへ領域を拡大。現在はAI時代に対応したセキュリティに注力しています。
弊社の特徴は「トレンド」を重視してアプローチを行う点です。たとえば、インターネット黎明期に私たちは、個々のパソコンだけでなくサーバ側での対策も必要だと考え、サーバを保護する製品を開発しました。このように常に時代の変化を先読みし、セキュリティのあり方を根本から考え直す姿勢が、弊社の強みとなっています。
ーー現在は、どのようなセキュリティ課題に取り組んでいますか?
エバ・チェン:
特に力を入れているのがAIに関連するセキュリティで、2つの方向から取り組んでいます。1つ目は、AIを活用してサイバー攻撃から人々を守る取り組みです。たとえば、最近増加している偽の動画や音声、いわゆる「ディープフェイク」を検出する技術を開発しています。AIが進化するにつれて詐欺の手口も巧妙になっていますが、私たちはAIの力でそれを見分ける技術を提供しています。
2つ目は、AI自体を守る取り組みです。AIは学習データをもとに判断を行いますが、このデータが悪意を持って改ざんされると、AIは間違った判断をしてしまいます。こうした「AIの誤作動」は現代社会において、大きな脅威となります。そこで、弊社はAIそのものを守るセキュリティ技術の開発に力を入れており、安全なAI社会の実現に貢献しています。
イノベーションの源泉は挑戦と失敗からの学びにあり
ーー経営者として大切にしていることを教えてください。
エバ・チェン:
私は「失敗から学ぶ姿勢」を最も大切にしています。2005年、私がCEOに就任して間もなく「594事件」と呼ばれる事件が発生しました。弊社のウイルス対策ソフトのアップデート内容に問題があり、多くのお客様のコンピュータで深刻な障害が発生したのです。
この事態に対して私はすぐに日本に飛び、謝罪会見を行いました。その際、「問題を起こしたエンジニアは誰か」という質問に対して、私は「個人を責めることはしない」と明確に宣言し、自らの給与を594円に減額することで責任を示しました。
なぜなら、これは新しいウイルスへの対策を試みた結果の失敗であり、こうした挑戦を処罰すれば組織からイノベーションが消えてしまうと考えたからです。この経験から、失敗を責めるのではなく、そこから学び成長する姿勢がなにより重要だと感じています。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
エバ・チェン:
弊社は「デジタルインフォメーションを安全に交換できる世界の実現」というビジョンを掲げています。これは単なるスローガンではなく、私たちの存在意義そのものです。今後は、先ほど申し上げたAI関連のセキュリティに注力し、その分野での世界的リーダーを目指します。
最近では「VicOne(ビックワン)」という子会社を通じて、AIで制御される自動車のセキュリティ開発に取り組んでいます。自動車がコンピュータ化される現代において、サイバー攻撃から車を守ることは交通安全の新しい形といえるでしょう。これからも世界中の人々が安心してデータを交換できる社会の実現に向けて、常に一歩先を行くセキュリティ技術の開発に邁進していきます。
編集後記
取材を通して感じたのは、チェン氏の技術と人への深い洞察力だ。常に変化する脅威に対して、変化を恐れず「トレンド」を追い続ける姿勢が、トレンドマイクロをサイバーセキュリティのパイオニアたらしめている要因なのだろう。デジタルデータの安全は、これからも同社によって守られていくに違いない。

エバ・チェン/台湾生まれ。1988年、アメリカのテキサス大学にてMBAおよびMIS取得。同年、ロサンゼルスにてTrend Micro Inc.を共同創業。1996年、トレンドマイクロ株式会社に社名を変更。1997年、同社取締役技術開発部門統括責任者(CTO)へ就任。2005年、同社代表取締役社長兼CEOへ就任。