※本ページ内の情報は2025年8月時点のものです。

ニューコン株式会社は、「創造」「信用」「努力」をモットーに日本と中国の架け橋となり、グローバルなIT技術集団として活躍している企業だ。医療システム開発や法人向けソフトウェア開発を主軸に、近年では画像・音声入力技術にも力を入れ、付加価値の高いビジネス展開を目指している。日中両国のDNAを持つIT企業である同社の代表取締役社長、朱映山氏に話を聞いた。

国費留学生の驚きが生んだIT企業

ーー貴社の創業の経緯を教えてください。

朱映山:
弊社の創業者は中国出身の王春華です。王は1972年の日中国交回復後、第1期国費留学生として京都大学に2年間留学しました。当時の中国は国営企業しかなかったのですが、日本に来てみると「お金を持っている人が、人を集めて自分のやりたいことをやっている」という光景に非常に驚いたそうです。

特にゲーム開発の分野に強い関心を持ち、「自分の会社でゲームをつくりたい」という夢を抱いて、1991年に再来日したといいます。京都大学時代にお世話になった日本人の方々の応援を得て、会社を立ち上げたのが弊社の始まりです。

私自身は1995年に入社しましたが、もともと香港のゲーム会社で教育用ゲームソフトの開発をしていた経験があり、創業者の思いに共感して入社を決めました。

ーー貴社の変遷についてお聞かせください。

朱映山:
設立後は1999年に、オフショア開発の拠点として上海に子会社を設立し、その後2004年には海南島にも拠点を広げました。2008年ごろにはジャスダック(現:東証スタンダード)への上場を目指して準備を進めていましたが、リーマン・ショックの影響で断念せざるを得なくなってしまったのです。その後、中国のIT企業と資本提携し、中国での上場も視野に入れていましたが、さまざまな要因で実現せず、2023年に資本提携を解消することとなりました。

2014年に私が社長に就任して以来、この11年で会社は大きく変わりましたね。まずDX化を強力に推進し、紙やExcelシートのやり取りで行っていた帳票管理を完全に電子化しました。

幹部社員に株式を分配して社内の結束を固めるとともに、日本市場に軸足を置いた経営に戻しました。この6月には本社を秋葉原へ移転し、グローバルビジネスの日本の営業拠点としても活動していく予定です。

長年培った技術力で、多様なソリューションを展開

ーー貴社の事業内容について教えてください。

朱映山:
弊社はシステム開発をメインに手がけており、大きく分けて3つの分野があります。1つ目は医療システム事業です。全国で400を超える医療機関に、弊社の臨床検査システムを始めとしたソリューションを導入いただいています。設立当初に医療系システムの下請けをしていた経験があり、長年培ったノウハウが弊社の大きな強みとなっています。

2つ目が法人向けのソフトウェア開発です。メーカーや企業向けにシステム開発を行っており、大手企業とも直接取引をしています。加えて、情報サービス事業といって、お客様が紙で持っている情報を電子化するサービスを提供しています。こちらも既に数百万枚の実績があります。画像認識や音声入力などの分野にも力を入れているので、単なるデータ入力ではなく、より付加価値の高いサービスを提供することで、売上を上げていきたいですね。

ーー新しく取り組んでいる事業はありますか?

朱映山:
近年、特に力を入れているのがグローバルビジネスです。日本の中堅ソフトウェア会社が自社パッケージを中国で売りたいという場合に、販路開拓やローカライズ、カスタマイズ、アフターサポートなど一貫してお手伝いしています。現在は、病院向けの栄養管理システムを中国で販売するプロジェクトが進行中です。反対に、中国の優れたソフトウェアを日本に導入するといったことも手がけています。

ハードとソフトの融合でビジネスモデルの拡張を目指す

ーー今後の展望をお聞かせください。

朱映山:
昨年からは医療分野での新たな取り組みとして、システムと消毒装置などの製品を組み合わせたパッケージ販売も始めました。これまでの請負業務だけでなく、システムと製品を一緒に提供することで、ビジネスモデルの拡張を図っていきます。また、既存顧客に対する横展開と縦展開を強化して、新規顧客の開拓も積極的に行っていきたいと考えています。

ーーこれからの採用方針を教えてください。

朱映山:
弊社が求めているのは、固定観念にとらわれず新しい価値を創造できる人材です。特に日本人の採用を積極的に進めており、日本の会社として人を育てていきたいと考えています。弊社はこれまでの経験から日中両国のDNAを持っており、中国の開発力と日本の緻密さを融合できる環境があります。日本市場向けのビジネスでは日本人スタッフの役割が大きいと感じているので、チャレンジ精神を持った方々とともに、新たな価値の創造に挑戦していきたいですね。

編集後記

取材中、朱社長の口からは「チャレンジ」という言葉が何度も出てきた。創業者の日本再来日から始まり、オフショア開発拠点の設立、上場挑戦と撤退、そして現在の自社製品開発。失敗を恐れずに常に挑戦し、進化を続ける姿勢は創業時のDNAが今も息づいている証だろう。ビジネスで成功を掴みとるために必要なのは、この「挑戦し続ける勇気」なのかもしれない。

朱映山/1964年、中国上海市生まれ。上海工程技術大学卒業。1992年に初来日し、1995年にニューコン株式会社へ入社。2005年、同社取締役就任。2014年、代表取締役就任。中国子会社の上海飛楽ニューコン、海南ニューコンの総経理も兼任している。