※本ページ内の情報は2025年7月時点のものです。

YouTubeのビジネスアカウントに特化したマーケティングや、コンサルティング支援を行う株式会社Suneight。投資バラエティ番組「令和の虎」など、数百万規模の登録者数を誇るYouTubeチャンネルを多数手がけている会社だ。

代表取締役社長の竹内亢一氏は、会社を立ち上げた理由について「とにかく目立ちたかった」と語る。いち早く動画業界に参入し、リーディングカンパニーとして注目を集める会社の戦略とはどのようなものなのか。竹内社長に詳しい話を聞いた。

ミュージシャンと社長を目指したのは「とにかく目立ちたかった」から

ーー今までの経験について聞かせてください。

竹内亢一:
幼い頃から人前で何かを発信することに強い興味があり、中学卒業後は上京し、バンド活動を始めました。バンド活動を選んだのは、小学4年生のときにテレビでX JAPANというバンドを見て、世の中にはこんなに派手な人がいるのか!と衝撃をうけたのがきっかけです。

上京後、しばらくはアルバイトを掛け持ちしながら生活していたのですが、途中からはバンド活動1本で生活ができるようになりました。その後、28歳までバンド活動を続けましたが、最終的に音楽の道は諦めて映像制作の会社に就職しました。

映像系の会社を選んだのは、ビジュアル系バンドの活動をしていたときの経験が、映像の世界でも役に立つと思ったからです。たとえば、バンド時代は外注するお金もないので、自分でポスターをデザインしたこともあります。CDが売れなければ、映像をつけてはどうか、そんなふうに考え実行することもありました。

今でもCDにMVや握手券をつける手法がありますが、そうしたことを僕は以前からやっていたんです。そうやって無意識のうちに、身についていたマーケティングの知識は、会社へ入ってからも生かされましたね。

ーーそこからどのような経緯で起業することになったのでしょうか。

竹内亢一:
今まで「魅せ方」について詳しく勉強してきたこともあり、僕が制作した映像は非常に評判が良く、僕個人に仕事を依頼したい人が増えたのが起業の1つのきっかけです。

また、もともと「目立ちたい」という思いでミュージシャンを目指したので、バンド活動をやめた後は「これから自分は、どうすれば目立つことができるのだろう」とよく考えていました。

その中で、「目立つためには人と違うことをする必要がある」と考え、そのための方法として社長になることを決意したという背景もあります。

会社名は、人が生きていく上でなくてはならない存在である「Sun=太陽」に、漢数字では末広がりと縁起がよく、横にすると♾という無限大の形になる「eight=8」をかけ合わせて、『Suneight』としました。

すでに存在する物の「魅せ方」を変えて、新たな価値を提供する

ーー事業内容について教えてください。

竹内亢一:
弊社は、YouTubeを使ったマーケティング事業を手がけている会社です。今から約13年前、YouTubeがまだあまり普及していない頃に事業を始め、YouTubeの普及とともに弊社も成長してきました。

「今まで売っていたものを違う角度に魅せて紹介すること」が弊社のサービスであり、その一例が「社長ブランディング」です。このサービスは、クライアント企業の社長の全国知名度を向上させ、企業価値を高めることを目的としています。

たとえばインターネット上で「製造業」と検索するとたくさんの会社がヒットするため、自分の会社は埋もれてしまいます。ほかの会社に埋もれないためには、社長の名前をピンポイントで検索してもらうことが重要なのです。

「社長ブランディング」は、YouTubeを使ったマーケティング事業を通して社長の知名度を向上させ、社長の氏名を検索する人を増やすことをコンセプトに提供しています。

そのほか、動画編集とマーケティングを学べる企業研修プログラムの「Megras(メグラス)」を開校し、動画の編集から、つくった動画をどう運用していくのかまでをトータルでサポートするといった事業も展開しています。

ASEANナンバーワンの会社になり、海外の子どもたちを貧困から救いたい

ーー今後の展望を聞かせてください。

竹内亢一:
日本の業界内でトップシェアをとることに加えて、ASEAN(東南アジア諸国連合)ナンバーワンの企業になることが目標です。。

現在僕はタイに移住していますが、これは知人の社長からタイを勧められたのがきっかけです。実際に訪れてみたところ非常に気に入り、現在はタイを海外進出先として力を入れています。

また、スラム街に住む海外の子どもたちに映像制作を教えて、貧困から抜け出すきっかけをつくるといったことも考えています。

貧困のループから抜けるためには、手に職をつけることが重要です。無償で教えるのではなく、僕たちが教えたスキルを使って子どもたちが稼げるようになったら、そのときに少しずつお金を返してもらう奨学金のような仕組みができたら面白いと思っています。

もちろん海外だけでなく、僕個人としては、日本をより良くしたいという思いもあります。そのため今後は、どうしたら日本の人口が増えるのかをよく考え、何かしらの活動をしていくつもりです。

編集後記

「目立ちたかったから社長になった」と語る竹内社長だが、自分の利益のためだけに動く人では決してない。動画クリエイターの養成事業や、貧困地域に住む子ども向けの教育事業の話を聞いて、子どもたちや若手人材のために行動しようとする熱い人柄が伝わった。

独自の視点で会社を成長させてきた竹内社長率いる同社が、今後アジアでどのような動きを見せるのか。今後の活躍から目が離せない。

竹内亢一/1981年三重県生まれ。小学生の頃にミュージシャンに憧れ、中学卒業後すぐに上京し、バンド活動を開始。その後、映像制作の会社に入社。YouTubeマーケティング事業に着目し、株式会社Suneightを起業、代表取締役社長に就任。