
新潟県新潟市で、洗浄剤や化学工業薬品の製造販売を手掛ける有希化学株式会社。代表取締役の本間英樹氏は、祖父、父が築いた会社を受け継いだ3代目社長だ。しかし、大学卒業後に就職した会社をわずか1年足らずで退職し、フリーター生活を送ったこともある。その体験から自らの弱さを実感したという同氏は、いかにして会社を成長させ、未来の社会に貢献する壮大なビジョンを描くに至ったのか。その経営マインド、そして未来に抱くビジョンの核心に迫る。
新卒入社した会社を1年弱で退社し、35歳で社長になるまで
ーーこれまでのご経歴をお聞かせください。
本間英樹:
東京の大学を卒業後、不動産会社にそのまま入社したのですが、心身ともに想像以上に厳しい環境で、1年経たずに辞めてしまいました。それまでは、どんなハードな職場でも戦えると過信していましたが、この経験を通して自分の弱さを実感しました。
自信を失っていたところ、父が新潟で経営している有希化学の社員から電話があり、「入社しないか」と誘われたのです。
また同時期に、アルバイト先にIT企業を立ち上げたお客さまがいて、「うちの会社で一緒に働こう」と誘っていただいたこともありました。ただ、僕はITには興味がなかったので、「父が経営している会社に入るかもしれないので」という口実でお断りしたのです。すると後日、その方が有希化学について調べたようで、「お父さんは(会社経営を)がんばっていらっしゃるから、本当に帰ったほうがいいよ」と勧められました。
そんなこともあって、あらためて自分自身について真剣に分析した結果、「有希化学に入れてもらおう」と決意し、父に頭を下げて入社したのが26歳のときです。入社後は製造配達、営業を担当したのですが、先輩社員に仕事を教わり、見よう見まねをしているうちに、営業で比較的大きな契約をとれるようになり、少しずつ自信もついてきました。28歳のときには新潟県中小企業家同友会にも入会。そこで出会った先輩経営者らに多大な影響を受け、「35歳で社長になる」と決意し、社内に宣言したのです。社員は当時、本気にしていなかったと思いますが、宣言通りに2022年4月に社長に就任できたときには、やっとスタートラインに立ったと感じました。
「困りごとを解決します」の営業スタンスで顧客の信頼を獲得
ーー貴社の事業内容や強みについてお聞かせいただけますでしょうか。
本間英樹:
弊社は工業用洗浄剤の商社としてスタートし、その後に洗浄剤の製造を始めた「(製造と販売の)ハイブリッド企業」です。現在は工業用だけでなく業務用洗剤、家庭用洗剤の受託製造など幅広い事業を展開しています。
最大の強みは、取引先企業の業界が多岐にわたっていることです。もともとは地元・新潟県の燕市や三条市に多い金属加工業など、ものづくり領域に製品を提供してきましたが、現在では食品工場や酪農業、スパなどの観光リゾート施設など、幅広い分野でご利用いただいています。
ひと口に「洗う」といっても、業種や施設によって汚れの種類は異なります。その点、弊社は幅広い経験があるので、お客さまから「とりあえず有希化学に相談すればなんとかしてくれる」と言っていただけるようになりました。
ーー多様な業界のお客さまに選ばれるのは、なぜだとお考えですか?
本間英樹:
それは、ひとえに先代の頃から「お客さまの困りごとを解決する」という営業スタンスを基本としているからだと思います。製品のカタログを持っておすすめしにいく一般的な営業もしますが、それよりも大事にしているのは、何に困っているのかを聞くことです。
たとえば、「工場のラインを洗うのに、今は3人で1時間かかっている。2人で30分でできる方法はないだろうか」といった悩みをまず聞く。そこで、「こんな方法はどうでしょうか」「この洗剤に切り替えてはいかがですか」と提案するのです。その結果、弊社の製品が採用されるという副産物も期待してはいますが、基本的に目指すのは「お客さまの困りごとを解決する」ことです。
ーービジネスや会社経営で大切にされていることは何でしょうか。
本間英樹:
もっとも大切にしているのは、「一緒に働く仲間を大切にする」ということです。
実は僕は新潟に戻ったとき、いきなり父の会社に入社というわけにはいかないと、弊社が提携している名古屋の外資系メーカーに修業に行ったのです。その会社は当時から在宅勤務で、それが合う人もたくさんいると思うのですが、僕はうまく適応できませんでした。誰も知り合いがいない名古屋で、顔を見て仕事を教わることができない、質問や雑談がしたくても近くに人がいない、という勤務スタイルに心が折れてしまい、ここも1年足らずで辞めて新潟に戻ったという経験があります。そのため、「困ったときに誰かが隣にいるというのは、意外とありがたいものだ」「人には得手不得手があるけれども、助け合い、サポートし合うスタンスで、一緒にいる人を大切にしてほしい」と、日頃から社員に伝えています。
「働く環境を自分たちでつくる」主体的な社風の実現を目指して

ーー今後については、どのようなビジョンをお持ちですか?
本間英樹:
今年(2025年)4月に、弊社の「VISION 2035」を作成しました。キャッチフレーズは「ココロオドル〜関わるすべてがきらめく、どんな瞬間(とき)も愉しめる場所〜」です。有希化学が2035年までに実現を目指す社風や組織、業務内容、社員の働き方や待遇、地域との関わりなどをまとめています。
この中でも、「途上国の衛生に貢献できる仕事をつくる。未成熟な地域に『キレイの文化』をつくる」というのは、特にやりたいことですね。「洗う」「キレイにする」という文化がない国や地域にその文化をつくれたら、「衛生」という切り口から見える世界は変わるのではないかと思うのです。
また、国内でいえば「日本中に洗剤製造のネットワークをつくる」という構想もあります。弊社にさまざまなお問い合わせをいただく中で、どうしても私たちだけではつくれない製品も出てきてしまいます。そこで、特定の製品製造を得意とする企業との協力体制を構築し始めました。いずれは弊社が問い合わせのハブになり、お客さまのどんな相談にも網羅的に対応できるネットワークをつくりたいですね。
そのためにも、人材採用に注力しているところです。もっと学生の目に留まる会社、学生から見て魅力を感じられる会社にしていきたいですし、同時に発信も強めていきたいと考えています。たとえば今、新しい取り組みとして「福利厚生プレゼン大会」というものを始めました。社員が自分たちで福利厚生のアイデアをプレゼンし、投票で選ばれたものを導入します。働く環境を自分たちでつくることができる、そんな社風づくり、会社づくりを大切にしていきたいですね。
編集後記
本間氏は、新卒で入社した会社を1年足らずで辞め、フリーターも経験するなど、決して順風満帆とは言えない道のりを歩んできた。しかし、インタビューからは、そうした挫折を乗り越えてきたからこその誠実さが強く伝わってくる。特に印象的だったのは、顧客の困りごとを解決することに徹する営業姿勢、そして、一緒に働く仲間を大切にするという経営哲学だ。自らの経験から「困ったときに誰かが隣にいるありがたさ」を知る同氏だからこそ、社員が主体的に働く環境をつくり出すことに注力しているのだろう。多様な業界の「キレイ」を支え、途上国の衛生に貢献するという壮大なビジョンを掲げる同社の、2035年に向けたさらなる飛躍に期待せずにはいられない。

本間英樹/1986年、新潟県生まれ。大学卒業後、東京の大手不動産に入社するも1年弱で退職。フリーターを経て2012年に有希化学に入社。2022年に35歳で代表取締役に就任する。中小企業家同友会・全国青年部連絡会副代表(5年目)。