
千葉県鎌ケ谷市を拠点に、介護事業を主軸として地域に根差したサービスを展開するW hospitality株式会社。スタッフ一人ひとりの「やりたい」という思いを起点に事業を創出し、全体の離職率は5%以下という驚異的な定着率を誇る。同社を率いるのは、ホテル業界出身という経歴を持つ代表の渡辺正晃氏だ。ホテルマンとして培ったホスピタリティと観察眼は、いかにして介護事業、そして組織づくりに活かされているのか。人を育て、地域と共に成長する独自の経営哲学に迫る。
ホテルマンの経験を強みに 介護業界で見出した新たな活路
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
渡辺正晃:
高校卒業後はフリーターとして過ごしていました。その頃は就職氷河期の真っただ中でしたが、大学へ進学した友人たちが就職活動を始める姿を見て「このままではまずい。自分も何かやらなくては」と危機感を覚えたことが転機です。当時、飲食業でアルバイトをしていたのですが、その経験から人に携わるような、サービスを誰かに提供する仕事をやってみたいと思っていました。その中でも私はホテルマンになりたいと考え、調理師専門学校へ進学したのです。
いくつかのホテルのレストラン部門で業務を経験し、最終的にはエリアマネージャーとして4店舗、200人近いメンバーをまとめる立場になりました。新規オープンにも携わり、仕事は充実していました。
ーー独立を考えるきっかけは何だったのでしょうか。
渡辺正晃:
親会社の都合で総支配人が頻繁に交代することには、大きな葛藤がありました。「お客様目線で」と言われたかと思えば、次は「数字を重視しろ」。時には「両方だ」と言われる。このように方針がぶれ続ける環境に、大きなやりづらさを感じていました。そして、「組織のトップの方針に左右されず、自分の信念に基づいたサービスを提供したい」という思いが強くなりました。それが独立を決意したきっかけです。
独立後、最初は一人で始められる高齢者向け配食弁当のフランチャイズからスタートしました。全く儲かりませんでしたが、高齢者の方々と接点を持つ中で、地域のケアマネージャー(介護支援専門員)の会議などに呼んでいただけるようになったのです。
ある時、訪問介護スタッフの利用者様への言葉遣いに違和感を覚えました。「ホテルで培った丁寧な接客が、この業界の強みになるかもしれない」と直感した瞬間でした。
頑張りすぎない「7割主義」 人が人を呼ぶ、無理のない成長の秘訣
ーー創業時に掲げた夢や目標を教えてください。
渡辺正晃:
創業時に掲げた目標は、大きく3つありました。1つ目は「10年で100人のスタッフと働く」という事業規模の目標。2つ目は、「人財の再生」で、能力や意欲がありながらも力を発揮できずにくすぶっている人たちに、もう一度輝ける場所をつくりたいと考えていました。そして3つ目は、スタッフが成長し事業が成功してから「自分の年収を上げること」でした。おかげさまでスタッフは300人規模にまで成長し、目標は達成できたと自負しています。
目標を大きく上回る成長の転機になったのは、人との「つながり」、それも「絆」と呼べるような深い関係性を築けたことです。うわべだけでなく深く付き合うことで、人は本当に大切な仲間を紹介してくれます。スタッフにビジョンを示し真摯に向き合うことで、紹介による採用がうまく機能し、会社が成長しました。
ーー経営で大切にされている価値観を教えてください。
渡辺正晃:
スタッフには「100%やりすぎるな、70%くらいでやれ」と常に伝えています。仕事に心をすべて持っていかれると、自分が疲弊してしまいます。頑張りすぎないことで、長く良い関係を築けると考えています。働いた分が報われるよう、件数手当を導入するなど給与の仕組みも工夫しました。
また、創業時から「今より明るい景色を」という話しをしてきました。利用者様は当たり前ですがスタッフに対しても、「どうすれば今より明るい景色を見せてあげられるか」を考えます。その思いが、時を経てスタッフと共有するスローガンに自然と変わっていきました。
離職率5%以下の秘密は社員の心を察する洞察力

ーー貴社ならではの強みは、どのような点にあるとお考えですか。
渡辺正晃:
会社全体の離職率が5%以下である点です。特に管理職以上では昨年1年間、退職者は一人もいません。私たちは、まず「やりたい」という人が現れてから事業を展開します。人を育ててから動く。この順番を間違えないことが大切です。
ーー社員が生き生きと働き続けられる秘訣は何でしょうか。
渡辺正晃:
ある程度の自由さと、やりたいことを言える環境があることだと思います。ただ、そうは言っても本音を言えない人もいると思います。だからこそ、部長以上の管理職には「君はこう考えているのでは?」と、スタッフの本音を引き出すような対話を大切にしてもらっています。
これは、ホテルマン時代の経験が活きています。レストランでは、お客様が入店された瞬間の雰囲気から、その日の目的や気分を察知する必要がありました。その観察眼が、今はスタッフ一人ひとりの表情や心の機微を読みとることにつながっているのです。
介護の枠を超え地域と共に未来を描く
ーー貴社の今後のビジョンを教えてください。
渡辺正晃:
「地域をつくっていく存在」になりたいです。私たちが手がける介護や医療といった事業は、地域の利用者様や公的な財源からいただくお金で成り立っています。だからこそ、その収益をスタッフへの給料としてだけでなく、イベント開催などを通じて地域の方々にも還元していくべきだと考えています。この循環こそが、お客様、スタッフ、そして弊社の「三方良し」を実現する鍵です。このWin-Win-Winの関係が重なっていくことで、地域全体が豊かになると信じています。
ーー組織の体制強化についてはどうお考えですか。
渡辺正晃:
バックオフィス部門の強化が必要だと感じています。マーケティング部をつくるなど、組織化を進めていく考えです。現場を経験した新卒社員を配属し、現場の気持ちが分かる管理部門をつくる。それこそが私の役割だと思っています。
人財育成についても方針があります。今後は部長や取締役といった経営幹部を外部から招くのではなく、この地域や社内で育った人財に任せるつもりです。そのためのチャンスを会社としてしっかりとつくり、育てていくことに全力を注ぎます。
ーー今後の事業展開についてお聞かせください。
渡辺正晃:
人を育て、そこから新しい事業を展開していくことに注力しています。最近では「農業をやりたい」というスタッフが出てきたので、それも地産地消の形で始めてみようと計画中です。弊社の施設やレストランなどで、自分たちでつくった野菜を提供したいですね。「医・食・住」を通じて地域の福祉力を強くすることを目指しています。
数年後には、サービスに特化した事業を成し遂げて、働くスタッフがワクワクするようなキャリアパスを創るのが目標です。
編集後記
「70%でいい」。渡辺氏のこの言葉は、常に100%以上を求められがちな現代において、働く人々の心を軽くする力を持つだろう。ホテルマン時代に感じたトップダウン経営への葛藤。それが、社員の「やりたい」という思いを起点に事業を創り出す、真逆の経営スタイルを生んだ。「再現性はない」と本人は謙遜する。しかし、その根底にあるのは、人を深く信じ、その可能性に投資するという普遍的な経営の真理ではないだろうか。

渡辺正晃/1978年千葉県生まれ。聖徳調理師専門学校卒業後、サービス業の道を目指しリーガロイヤルホテル東京へ就職。その後、グランドハイアット東京を経てオリエンタルホテル東京ベイへ入社。2011年に高齢者向け配食弁当を個人事業としてスタート。2014年W hospitality株式会社を設立し、2015年には訪問介護事業をスタート。2025年7月時点で、グループ会社4社、12拠点、27事業所を展開している。