※本ページ内の情報は2025年8月時点のものです。

循環器領域に特化した医療機器専門商社として、最先端の治療を支える株式会社エム・イー・サイエンス。同社は心血管インターベンション(※1)やカテーテルアブレーション(※2)治療に不可欠な医療材料を提供する一方、日本で唯一の「AEDミュージアム」を運営し、救命率向上という社会貢献にも取り組む。代表取締役社長の西村覚氏は、大手医療機器ディーラーで新規事業や海外事業を自ら立ち上げるなど、常に挑戦を重ねてきた人物である。「挑戦するからこそ仕事は楽しい」と語る同氏に、ビジネスに対する信念の源泉と未来への展望をうかがった。

(※1)心血管インターベンション:カテーテルと呼ばれる細い管を血管内に通して、心臓や血管の病気を治療する方法。

(※2)カテーテルアブレーション:カテーテルを足のつけ根の血管から挿入し、心臓内の組織を焼く焼灼(しょうしゃく)を行う治療法。不整脈の治療の一つの選択肢として挙げられる。

安定志向から挑戦の道へ 社長就任までの軌跡

ーーどのような経緯で医療機器業界を選ばれたのでしょうか。

西村覚:
学生時代、「医療や薬品といった業界は他の職種に比べて安定しており、長く勤めるには良いのではないか」と漠然と考えていました。私が大学を卒業する頃、神戸に本社を置く宮野医療器株式会社が、年間1〜2名の採用から、初めて大学卒を十数名採用するという人材強化のタイミングでした。縁があって、その一期生として入社したのがこの業界に入ったきっかけです。

ーー入社後はどのような業務に携わってこられたのですか。

西村覚:
入社して20数年は営業職として、神戸大学医学部附属病院などを担当しました。キャリアの後半10年ほどは、建築会社や設計会社と一緒になって病院の新築や増改築する仕事に従事していました。その後、販売促進部門へ異動し、ルート営業の経験を生かして新築や増改築を専門的に扱う「市場開発部」という部署を新たに立ち上げました。

ーー当時を振り返って、印象的だったエピソードはありますか。

西村覚:
当時、日本の医療機器販売会社で海外に進出している企業はまだ少数でした。そこで、会社に提案して海外事業の部署を立ち上げさせてもらいました。ベトナムのODA(政府開発援助)関連の円借款案件に携わり、ベトナム側が主導権を持つ「ステップ案件」という新しい形のプロジェクトに参加する機会を得ました。これは、一般の販売会社にとって大きな挑戦でした。

ーー社長に就任されるまでの経緯についてもお聞かせください。

西村覚:
病院PFI事業として、神奈川県立がんセンターの新築案件に携わったことから、横浜に4年間赴任していました。そのタイミングで、宮野医療器がエム・イー・サイエンスをM&Aで子会社化することになったのです。そして会社から「神戸に戻り、買収する会社の社長になれ」という辞令を受けました。急な話でしたし、私が経験してきた分野とは異なる循環器系に特化した会社だったため、全く分からない世界に入ってしまったという感じでした。しかし、これも新たな挑戦の機会だと捉え、自分にできることから始めようと決意しました。

ーー安定性を求めて入られた業界で、これほど挑戦を続けてこられた原動力は何だったのでしょうか。

西村覚:
医療の世界は、人の生死に関わる仕事です。弊社が納めた医療機器が、患者さんの命を救う一助になる。病院の方から「あなたたちのおかげで命を助けることができた」と言っていただけたときの喜びは、非常に大きなものです。

仕事をするうちにそうしたやりがいを強く感じるようになったことが、私がこの業界で働き続けている一番の理由だと思います。同じことを繰り返すだけでは面白くない、常に新しいことに取り組みたいという気持ちも原動力になっています。

事業の根幹にある思いと独自の社会貢献

ーー社長に就任されてから、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

西村覚:
常に新しいことに取り組まなければ、日々進化する医療業界では生き残っていけません。歴史ある弊社の強みを維持しつつ、他社との差別化を図るために新たな特徴を打ち出す必要があると考えました。その一つが、AED(自動体外式除細動器)の普及活動への注力です。そしてもう一つは、不整脈治療の一つで、今後さらに需要が広がると予測される「カテーテルアブレーション」という分野への本格的な取り組みです。

ーー日本で唯一という「AEDミュージアム」を始められたきっかけについて教えてください。

西村覚:
私が入社する前から社員の中で「AEDをただ販売するだけでなく、もっと社会貢献につながる活動にできないか」という構想がありました。そして私の「新しいことをやりたい」という考えとタイミングが一致したのです。「そういう企画があるならぜひやろう」と決めてスタートさせました。この取り組みは社会貢献の一環として非常に価値があると確信しています。

ーー地域社会への貢献について、具体的な取り組みをお聞かせください。

西村覚:
弊社は本社を構えるこの淀川区で育った会社として、何か地域に恩返しができないかと考えてきました。その思いから、淀川区と地域連携協定を結んでいます。「AEDミュージアム」の運営もその活動の一環です。当初は近隣の方に見ていただく想定でしたが、今ではメディアに取り上げられ、日本全国からお問い合わせがあります。一般の方々に対する救命活動の啓発や、いざというときに役立つ経験の提供が、非常に意義のある社会貢献につながると信じています。

未来への展望 日本そして世界へ

ーー今後、会社をどのように成長させていきたいとお考えですか。

西村覚:
まず、この「AEDミュージアム」の活動をもっと日本全国に広めていきたいです。そして、現在の45名ほどの会社ですが、将来的には新卒採用も強化し、50人から60人規模にまで雇用を広げたいと考えています。(日本の人口が減少していく中で、国内市場だけを見るのではありません。)AED事業の海外展開も含め、事業を広げていくつもりです。

ーー新たな事業展開として、具体的に考えていることはありますか。

西村覚:
取り扱う製品の幅を広げることも重要です。たとえば、海外から優れた製品を直接輸入し、弊社がメーカーとして販売する事業モデルもその一つです。仲介業者を介さないことで、より安価に質の高い製品を顧客に提供できます。既存の事業領域にとらわれず、新しい分野に一歩足を踏み出すことで、海外も視野に入れた新たなお客様との取引機会を創出していきたいと考えています。

ーー最後に、この記事の読者に向けてメッセージをお願いします。

西村覚:
弊社は、医療の中でも非常に専門性の高い分野で事業を展開しています。それと同時に、「AEDミュージアム」のような活動を通じて、救える命を一つでも多く救いたいという強い思いを持っています。弊社の事業や社会貢献活動について、ぜひ一度、話を聞きに来てください。この場所を訪れたことがきっかけで「こういう仕事がしたい」と思ってくださるかもしれません。お会いして、さまざまなことを共有できれば嬉しく思います。

編集後記

「新しいことに挑戦するからこそ楽しい」。この言葉は、西村氏の歩みそのものを表している。安定を求めて入った業界で、現状に甘んじることなく、常に自らの手で新たな道を切り拓いてきた。その挑戦する姿勢は、予期せぬ形で社長に就任した後も変わらない。日本唯一の「AEDミュージアム」という独創的なアイデアは、事業と社会貢献を見事に両立させている。人の生死に直結する仕事の重みを真摯に受け止めながら、挑戦を楽しむことを忘れない。そんなリーダーが率いる同社の未来は、日本国内にとどまらず、世界へと広がっていくだろう。

西村覚/1960年、兵庫県出身。宮野医療器株式会社で常務取締役などを歴任しつつ、2022年5月、株式会社エム・イー・サイエンス代表取締役に就任。