
阪神間を中心に薬局を展開する株式会社ピープルリンク。同社は、その地域で一番必要とされる存在になる、という信条を掲げ、他では対応を断られがちな処方箋も受け入れることで、地域医療における「最後の受け皿」としての役割を追求している。この揺るぎない姿勢で会社を率いるのが、会社を率いるのが代表取締役社長の奥小路裕麻氏だ。「次の世代へ、我々の残したものをバトンタッチしていく」という使命感を胸に、会社の未来、そして業界の未来を見据える同氏に、創業の経緯と今後の展望について話を聞いた。
父の背中を追い独立 経営の壁と向き合った創業期
ーーまずは、社長が経営者になるまでの経緯をお聞かせいただけますか。
奥小路裕麻:
父が薬局を営んでいたことや、物心ついた頃から「長男は独立しろ」と言われて育ったことが大きいですね。父の会社を手助けできればという思いから薬剤師の道を選びました。大学卒業後は、将来経営者になるためには、薬局の中だけでなく外の世界も知る必要があると考え、大学卒業後は営業職を経験するために、あすか製薬に入社しました。その後、父の会社へ移り、社長の鞄持ちをしながらディーラーやメーカー、医師とのやりとりを間近で学び、現場での立ちふるまいを叩き込まれた経験が今の私の幹になっています。
ーーどのようなきっかけで独立されたのですか。
奥小路裕麻:
父の会社で働いているうちに、社長である父と、従業員である自分との間にある、経験や考え方の絶対的な差が見え始めたことが独立のきっかけです。「このままでは、いざバトンタッチされても自分は何もできないだろう」と感じました。ちょうどその頃、大阪に新規出店の話が持ち上がり、父の事業エリアとは異なるエリアで展開できることを好機と捉え、30歳で独立させてもらったという経緯です。
ーー創業当時は、どのような点にご苦労されましたか?
奥小路裕麻:
お金と人の問題、全てに苦労しました。最初に2店舗同時に開店したため、記憶がないくらい忙しかったです。お金は借り入れができれば返済していくだけですが、人の問題は簡単ではありません。入社してもすぐに辞めていく状況が続き、特に年上で経験豊富な薬剤師の方々を、マネジメントしていくのは一筋縄ではいきませんでした。
ーー経営が軌道に乗る中で、ご自身の考え方に変化はありましたか?
奥小路裕麻:
独立から数年が経ち、少しずつ会社が落ち着いてきた頃、ふと「この会社は何のためにあるのか」と考えるようになりました。それまではがむしゃらに走り、自分のために働くという側面が色濃かったかもしれません。しかし、ある程度の収益が見えてくると、目的を見失いかけたのです。そんなときに出会ったのが、社内にいた一人の薬剤師と、社外のある経営者でした。社内の薬剤師は、マネジメントが得意ではない私に「あれができていない」と臆せず苦言を呈し、会社を組織として機能させる原動力となってくれました。社外の経営者とは意気投合し、薬局事業に次ぐ新たな柱となる別の会社を共に立ち上げることになったのです。彼らとの出会いが、会社を組織として成長させ、新たな柱をつくる転機となったのです。
「最後の受け皿」として。地域に必要とされる薬局の姿

ーー貴社の事業内容と強みについてお聞かせください。
奥小路裕麻:
弊社の事業の8割は薬局の運営です。その最大の強みは、地域の皆さんにとっての「最後の受け皿」になるという覚悟を持っていることです。薬局によっては、在庫がない薬や使用頻度の低い薬の処方箋は、採算の都合からお断りするケースもあります。しかし、私たちはどのようなご要望にもお応えするという姿勢を貫いています。
この取り組みは、薬剤のデッドストックが発生するなどコストがかさむこともありますが、他がやらないからこそ明確な差別化になると考えています。「大変なこともしっかりやってこそ」という考えを従業員に伝え続けた結果、どの店舗でも来局する患者数は毎年増え続けており、最終的に困っている患者さんに喜んでもらうことこそが、私たちの存在意義なのです。
次の世代へ繋ぐために。ピープルリンクが描く未来図
ーー今後の事業展望について、どのようにお考えでしょうか?
奥小路裕麻:
薬局事業においては、DXや機械化をさらに推進していきます。薬剤師がやらなくていい業務は機械に任せ、生まれた時間は患者さんとのコミュニケーション、対人業務に費やしてほしいと考えています。こうした設備投資や、より良い労働環境を整えていくことを考えております。また、他の企業がしていない新しい薬局創りに皆で取り組んでいきたいと思っております。
ーーその他、長期的なビジョンがあればお聞かせください。
奥小路裕麻:
日本のいいものを海外に持っていきたいという思いがあります。たとえば、私たちが培ってきた医薬業におけるノウハウや人材、特に介護の分野は、これから日本と同じ道をたどるであろう国々で必ず必要とされるはずです。人間と人間の助け合いという本質は、どの国でも変わりません。我々が日本でしてきたことを、海外で活かせないかと模索し始めているところです。
ーー最後に、若い世代へメッセージをお願いします。
奥小路裕麻:
今の若い方々は客観的に物事を見る力に長けており、とても感心させられます。一方で、自分で「自分ができる枠」を先に決めてしまい、結果的には成長の芽を自ら摘んでしまっているように感じることがあります。能力は高く、もっと伸ばせるのに「こんなもんでいいかな」と、そこで止まってしまっているような。私は、自分の限界が見えるまで挑戦してみて、そこで初めて自分に合う枠をつくればいいと思っています。いい意味で一つのことを引きずり、できなかったことは「次こそできるようになろうと」心に留めておく。そうした姿勢が、知識的にも精神的にも、人を大きく成長させるのではないでしょうか。
編集後記
「最後の受け皿になる」という言葉に、奥小路社長の経営者としての覚悟と、医療人としての深い優しさを感じた。利益や効率だけを追い求めるのではなく、真に地域から必要とされる存在とは何かを問い続ける姿勢は、まさに次代を担う若者たちの道しるべとなるだろう。同社の挑戦が、次の世代にどのような形で受け継がれていくのか、これからも注目していきたい。

奥小路裕麻/1981年大分県生まれ、2015年グロービス経営大学院卒。あすか製薬株式会社に入社し、数年間営業職を勤める。その後父が経営する有限会社ピープルファーマシーに入社し、会社の運営やマネージメントを学ぶ。同社在籍時に、2011年に株式会社ピープルリンクを創業。