
50年以上美容業界の最前線を走り、雑誌やテレビでも紹介される老舗美容室チェーンがある。その舵を取るのが、株式会社ティ・ケー・エスの代表取締役社長、中澤浩子氏だ。同社では「最高の技術で髪に触れ、最高の接客で心に触れる」という理念を掲げる。多世代の顧客に寄り添いながら、同社は今まさに第二の創業期といえる変革期に立つ。演劇の舞台から金融、食品などの異業種を渡り歩き、1991年に美容業界へ転身してから30余年。今回、中澤氏に、「人」を軸にした経営哲学と今後の展望を聞いた。
異業種キャリアから美容業界へ 転身の背景と創業期
ーーこれまでのご経歴と、美容業界へ飛び込むことになった経緯、さらに当時の会社の状況を教えてください。
中澤浩子:
大学では演劇に没頭し、卒業後も舞台女優を目指しました。しかし、生計を立てる必要があり、父の紹介で株式会社西武クレジット(現・株式会社クレディセゾン)へ入社したのが社会人の始まりです。
そこで接客業務などを経験した後、株式会社不二家でのチョコレートショップ管理、劇作家・山崎正和氏の秘書兼制作など、オフィスワークと現場仕事を交互に経験しました。さまざまな仕事をしてきましたが、自ら履歴書を送ったことは一度もなく、常に「ご縁」が道をつくってくれました。
美容業界へ転身したのは、演劇制作会社の社長が弊社創業者のご息女で、ある日「美容事業を手伝わないか」とお誘いをいただいたことがきっかけです。私自身、毎週美容院やエステへ通うほどの美容好きで、店に長時間いても全く苦にならないタイプなので、二つ返事でこの世界に飛び込みました。
1991年の入社当時は、創業者とご息女、私を含めごく少人数での本部体制でした。まだパソコンもなく、帳簿も企画書も全てワープロと手書きの時代です。私は式典の司会からカタログ作成、現場の応援、さらに社外へのプレゼンテーションまで、まさに「何でも屋」でした。
当時、従業員は約150名おりましたが、教育や評価の制度は未整備な状態でした。「この会社をしっかりとした企業組織にしたい」と強く感じたのを覚えています。
社長就任と変革期 危機を乗り越えた決断と手腕
ーー社長就任のいきさつと、その後の課題、課題を乗り越えたプロセスをお聞かせください。
中澤浩子:
創業者が病に倒れ、会社を投資ファンドに譲渡した後、新しく就任した社長の任期満了が決定し、ファンドから私に声が掛かりました。私はもともと裏方気質で、「右腕」のまま一生を終えると思っていたので、大変戸惑いました。しかし、社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと、社長就任を決意しました。
就任後、苦労したのは、働き方改革とコロナ後の需要変化のダブルパンチです。1日8時間・週休2日を守ると人件費は増え、売上が落ちてしまいます。そこで、最適な人件費で最大の成果を出すために、オプションメニューの追加などで、アップセールの重要性を浸透させました。
あわせて、売上拡大のために、EC事業の展開を強化しました。EC事業では、プライベートブランド製品を楽天で販売開始し、店舗外収益の拡大を図りました。今後は、EC比率を現状の3%から5年で20%に引き上げる計画です。
また、新たな売上の柱としてFC事業も構想中です。独立を目指すOB・OGが多く、「ティ・ケー・エスブランドで開業できないか」という相談が年々増えているため、直営で培った教育と接客の仕組みをパッケージ化し、オーナーが本来の美容業に専念できる支援モデルを提供したいと考えています。
50年の信頼を次世代へ 自社の強み・戦略・求める人材

ーー貴社の強みと今後の戦略、さらに求める人材について教えてください。
中澤浩子:
首都圏で19店舗を展開する弊社の最大の強みは、「技術教育」と「顧客体験」を両輪で磨き続けてきた企業文化にあります。30年前から社会保険完備・週休2日制・残業管理を徹底し、「美容師=安定した職業」というイメージを確立しました。加えて、専門チームによる集合研修で技術を底上げし、コンテスト入賞者を輩出する教育体制を築いてきました。
また、新人には練習用ウィッグ50台を無償支給し、半年後にはカットモデルに入れる体系的カリキュラムを用意していて、これによって費用負担をなくし、サロンワーク、講習のそれぞれに集中できる環境を実現し、成長を加速させています。
ほかにも、主要店舗に専任のレセプショニストを配置し、施術スタッフとの役割分担を徹底しています。レセプションはカルテと独自の「おもてなしメモ」で、お客様の好みや会話履歴を共有し、2回目でも初回以上にパーソナルな接客を実現しています。この仕組みは接客コンテストでも表彰され、曾祖母から曾孫まで四世代で通うお客様を生むほどのリピート率につながっています。
信頼を物語る逸話として、1985年の日航機墜落事故で奇跡的に生還した客室乗務員であったお客様が、面会謝絶の中で唯一、弊社藤沢店の担当美容師との面会を許可したという出来事がありました。これは、50年にわたり「髪に触れ、心に触れる」というスローガンを体現してきた結果、生まれた信頼の象徴だと思っています。
ーー今後の店舗展開やブランド戦略、注力している取り組みについて教えてください。
中澤浩子:
今後10年で小型店を10店舗増やす計画です。さらに、2つの新ブランドを立ち上げます。1つは、熟練美容師がマンツーマンで高付加価値サービスを提供する「レジェンドサロン」。もう1つは、若手がカラーやデザインに特化してトレンドを発信する「ジュニアサロン」です。
レジェンドサロンは、ベテラン美容師がマンツーマンで施術することで、受け入れられるお客様は限られた数になるものの、その分、技術や体験の面で顧客満足度を創出します。美容師にとっては、高単価であることにより、技術と収入を維持できるプレミアム業態です。
ジュニアサロンは、経験年数が少ない美容師が、その感性で最新のカラーやデザインを発信し、トレンド志向のお客様の満足度を高めるとともに、成長できる場になると考えています。
ーー今後、貴社が採用したい方の人物像や、採用のための取り組みを教えてください。
中澤浩子:
美容と人が好きで、自分から挨拶や感謝の言葉を発せられる方です。技術は教育で伸ばせますが、人間性は簡単に変えられません。弊社には最年長で80歳直前までハサミを握ったスタッフもいるように、長いキャリアを描ける会社だと思っています。
採用強化のために、人事制度の見直しも検討しており、売上評価に偏らず、教育貢献・SNS発信・CS評価など五つの軸で査定する新賃金制度を準備中です。努力が可視化され、スタッフ自らが次の目標を設定できる仕組みにしたいと思っています。
また、採用後に社員が成長していくためには、社内の文化醸成も大切だと考えています。創業50年超の企業は日本に0.7%しかありません。その灯を絶やさず次の50年を描くために、従業員一人ひとりが積極的に意見を表明し、問題を発見・解決していくことが必要だという意図で「プレゼンテーション&ソリューション」をスローガンに掲げました。この文化を根付かせて、道を拓くきっかけをつくり、次の世代にバトンを託すのが私の使命だと思っています。
編集後記
「最高の技術で髪に触れ、最高の接客で心に触れる」という中澤社長の言葉には、顧客と社員の双方に向けられた深い愛情がにじむ。働き方、環境という二つの軸に対して同時に課題解決に取り組む姿勢は、美容業界に新たな羅針盤を提示するだろう。100年企業を見据えて挑戦を続ける同社の軌跡と進化に、今後も目が離せない。

中澤浩子/1961年東京都生まれ。株式会社西武クレジット(現・株式会社クレディセゾン)、株式会社不二家、演劇制作会社などを経て、1991年、株式会社ユイコーポレーション(現・ティ・ケー・エス)入社。営業・教育を担当し、専務取締役を経て2024年に代表取締役社長に就任。