※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

岐阜県多治見市に本社を置き、パチンコホールを展開する株式会社平成観光。同社は大手ショッピングセンター内への出店戦略で成長を続け、厳しい業界環境の中でも積極的なM&Aによって規模を拡大している。この成長を支えるのが、父の会社の倒産という壮絶な経験を乗り越え、22歳で起業した代表取締役社長の東野昌一氏だ。「最終的に行き着くのは、やはり『人』」と語る同氏の徹底した人本位の経営哲学こそが、企業の原動力となっている。逆境から這い上がった創業の経緯や、人を育み企業を成長させる独自の戦略、そして未来への展望について話を聞いた。

父の会社の倒産から22歳の再起 平成元年に刻んだ創業の誓い

ーーまずは、東野社長が起業されるまでの経緯をお聞かせください。

東野昌一:
大学3年生のときに父の会社が倒産し、その再建処理に携わったのが社会人としての実質的なスタートでした。学生時代から家業を手伝っていたこともあり、私が中心となって事業の引き継ぎなど後処理に追われる毎日で、大学にはほとんど通えませんでした。

大学卒業時には会社はなくなってしまいましたが、火の車ながら子会社は残っていました。しかし、そのまま事業を継続するのは困難です。借金を返済するためにも事業を立て直す必要がありましたが、当時の私たちにはパチンコ事業のノウハウしかありませんでした。そこで、もう一度この事業で挑戦しようと決意し、元号が平成に変わるタイミングで「平成観光」を設立したのです。

ーー会社を設立されてから、事業はどのようにスタートさせたのでしょうか。

東野昌一:
親の借金も残る中での船出でした。当時はバブルの最中でしたが、資金調達は難航し、銀行を30行ほど回っても融資は得られませんでした。これが最後と決めて訪ねた金融機関が幸運にも支援してくださることになり、融資に関するさまざまなご指導をいただきながら何とか会社をスタートさせたのです。

大手チェーンの脅威が生んだ逆転の発想、ショッピングセンター出店への挑戦

ーー創業から事業を拡大される中で、大きな転機となった出来事は何でしたか。

東野昌一:
大手総合スーパー『アピタ』などを展開するユニー様との出合いが、私たちにとって最大のターニングポイントです。2店舗までは順調でしたが、当時、ダイナム様やマルハン様といったナショナルチェーンが台頭し始めていました。いずれ自分たちのエリアにも進出してくると考えたとき、資本力やノウハウでは個人店は太刀打ちできません。そこで、人が集まるショッピングセンターに出店して生き残るしかない、と考えたのです。

ーーどのようにしてショッピングセンターへの出店を実現されたのですか。

東野昌一:
ユニー様へ3年間、通い続けました。3年後、テナント出店の機会を得ます。32社の入札で一度は落選したものの、出店予定だった企業の辞退により幸運にもお話をいただき、岐阜県中津川市にあるアピタ内に3号店を構えることができました。

拡大路線から理念経営へ、2年半の停止期間で築いた「安心」という土台

ーー事業拡大の過程で、課題を感じることはありましたか。

東野昌一:
愛知県知立市に4店舗目を出店したとき、このままではいずれ「人」の問題で行き詰まると痛感しました。パナソニックの創業者である松下幸之助さんがおっしゃっていた名言の一つに、「企業は人なり」という言葉がありますが、まさにその言葉の通り、店舗の拡大ペースに「人」の育成が全く追いついていなかったのです。

そこで2年半の間、出店を完全にストップし、会社の存在意義や企業理念を徹底的に追求する期間を設けることにしました。当時、業界で最も勢いのあったマルハン様が「マルハンイズム」を掲げて急拡大されていたのを参考に、私たちも目的なく人を集めても事業は継続しないと考えたのです。この期間に、資格等級制度から給与体系まで全てを再構築しました。

ーーその際に策定された理念を、どのようにして現場に浸透させていったのですか。

東野昌一:
理念が形骸化しないよう、現場への浸透を徹底しました。たとえば、従業員同士で多角的に評価し合う「360度サーベイ」を導入したり、繰り返し理念について説き続けたりと、その徹底ぶりは宗教団体のようだったかもしれません。

そのときに定めた社訓が「安心」です。これは、父の会社が倒産した際にお客様にご迷惑をおかけした原体験に基づいています。お客様、社員とその家族、そして取引先様など、関わる全ての方に「安心」を提供できる会社にしたい、という思いを込めました。この社訓を評価制度の柱に据え、実践できる人材を評価する仕組みをつくったのです。

商品で差がつかないからこそ「人」で勝負する、現場主導で顧客体験価値を創造

ーー競合他社との差別化を図る上で、最も大切にされていることは何ですか。

東野昌一:
最終的に行き着くのは、やはり「人」です。パチンコ店は扱っている遊技台がどこも同じで、商品での差別化ができません。だからこそ、ハード面ではなくソフト面、すなわち「人」で差別化するしかありません。具体的には、画一的なマニュアル対応を行うのではなく、お客様一人ひとりの状況や雰囲気に合わせたパーソナルなコミュニケーションを、スタッフ自らが考えています。

お客様の立場に立ち、自分たちがどう介在できるかを考えることが私たちの商売の根幹です。トップダウンではなく、現場チームが「こういうことをしたい」と稟議を上げてくる。そうした自発的な提案を促すため、私は常に「とにかくみんなで考えよう」と伝えています。

業界の逆風を追い風に、積極的なM&Aで描く5カ年計画

ーー今後の事業展望についてお聞かせください。

東野昌一:
2年前に「5カ年で売上1400億円に戻す」という中期経営計画を立てたのですが、積極的なM&Aが功を奏し、今年度で達成できる見込みです。5年かける計画を2年で達成してしまったので、現在、次の5カ年計画を新たに策定しているところです。近年、滋賀県、愛知県でのM&Aに加え、徳島県の企業36店舗を傘下に収めました。これからも、本業であるパチンコを通じて、お客様に安心して楽しんでいただける場を提供し続けます。そのために社員教育に最も力を入れ、M&Aも積極的に進めていく方針です。

ーー今後の業界の動向と、その中での貴社の役割をどのようにお考えですか。

東野昌一:
パチンコ業界は、今後さらに淘汰が進むでしょう。その中で私たちは、どこまでいっても地元のコミュニティの場でありたいと考えています。現在、業界では7番手の規模ですが、それぞれのエリアのお客様に「安心」を提供できる店舗づくりを徹底していくことに変わりはありません。

しかし、ただ「安心」という言葉に甘んじて現状維持に陥ってしまえば、いずれ会社は衰退し、かえってお客様にご迷惑をおかけしてしまいます。そうならないためにも、他業界の動向も注視しながら、常に成長を模索し続けていく必要があると考えています。

編集後記

父の会社の倒産という原体験が「安心」という揺るぎない経営理念となり、企業の成長を支えている。東野社長の話からは、逆境を乗り越えてきた経営者だけが持つ、静かながらも圧倒的な力強さが感じられた。「最終的に行き着くのは、やはり『人』」という言葉通り、同社の強みは現場で考え、行動する人材そのものにある。業界の淘汰が進む厳しい時代だからこそ、「人の力」は、他社にはない強力な差別化要因となるに違いない。5カ年計画を2年で達成するという驚異的なスピードで成長を続ける同社の挑戦は、これからも続く。

東野昌一/1966年岐阜県で生まれる。1988年札幌大学経営学部経営学科卒業。1989年に株式会社平成観光を設立し、専務取締役に就任。2011年、同社代表取締役社長に就任。